あけたらめでたい?

制作者:KrK (Knuth for Kludge)

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あけましておめでとうございます。…って何がめでたいのかねぇ。年なんてほっときゃ死なない限り明けるのにねぇ。そうか、生きてる事がめでたいのか。だとしたら毎年じゃなくて毎日、毎秒、いつもいつもがめでたいのではないか?

だが人に会ったときの挨拶は「おはようございます」「こんにちは」「こんばんは」等で、これはそれぞれ「お早いですね。」「今日はお日柄も良く」「今晩はいい月夜で」程度の意味である。これは相手への礼儀であり労いの言葉である。おめでたいという意味は含まれていない。

では何故年始めだけめでたいのか?それにはまず「1年」について考えなくてはならない。

この1年という単位はご存じの通り地球の公転周期である。つまり、地球が太陽の周りを1公転した事がめでたいのである。一周する、つまり元の位置に戻る事がめでたい、という事から分かるように、地球にとって太陽の周りを一周する事は大変なのである。しかし回っていないと公転の中心にある太陽に引き寄せられてしまう。そうなれば当然太陽の熱に負けてしまう。回れば地獄止まれど地獄なのである。そんな爆発したアポロ13号の様な状態でまたスタート地点まで無事に戻ったのがおめでたいのであろう。

しかしそのおめでたい状態というのは、また地獄への出発なのである。はっきり言えばめでたくも何でもない。しかしこれをおめでたいと考えないとどうしようもない状態である。そこで無理矢理この状態を「めでたい」という事にしているのである。

実際に旧暦を採用していた頃は正月の「めでたい」日は今のそれと異なった時であった。つまり「めでたい」日は1年に一度来ればいつでもいいのである。そう考えるとこの正月という行事は、単に休日を公的に決めたその日に過ぎない。自分はそんな正月という馬鹿莫迦しい騒ぎに巻き込まれず生きていきたいと思う。

「人の生き方は二通りしかない。全て当然と思うか、全て奇跡と思うか。」Albert Einstein


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