萌え漫画の起源 ~純粋遊劇~

制作者:KrK (Knuth for Kludge)

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KrK's Cracked Text > 雑記


良い漫画とは「読んでいるとき面白い漫画」だと思う。が、違う評論をたまに見る。

前に医師関係の漫画の評論にこんなことが書いてあった。「今までタブーだったことを云々」。これは物語を発信する人物に対する評価であって、決して漫画の評価ではない。いくら崇高な使命の元つくられた物語でも、読んで面白くなければ駄作である。

藤子・F・不二雄『エスパー魔美』で言うところの、「たとえ、のんだくれて鼻唄まじりにかいた絵でも、傑作は傑作。どんな心血をそそいでかいても、駄作は駄作。」である。

イイワケがましく書くと、だからこんな本は価値がない、と言っている訳ではない。漫画の形だったからこそ、初めてこの話題に触れてみる気になった人もいるだろう。価値はある。しかしやはり「漫画として」名作ではない。

昔は「ナンセンス漫画」などとわざわざ呼ばなくてはならにほどに、物語に「意味」が求められた。そこに『こち亀』という、ギャグ然としないギャグ漫画が出てきた。これは当時はかなり目新しかったらしい。それを更に追求した漫画家も多いが、多くはガロなどマイナーな方面に行ってしまった。そして現在それをメジャーに振り戻したのが萌え漫画と捉えられる。

萌え漫画が「メジャー」かどうかは難しいが、普通の本屋で新刊が平積みにされているという意味ではメジャーと言ってよいのではないだろうか。しかも、昔からあった新聞4駒のような「あってもなくてもよい」というような漫画ではなく、メインディッシュとなりえる力を持っているという意味でも、注目すべきだろう。

もちろん、萌え漫画自体が新しいのではなく、おまけ漫画を中心に据えてもいーんだ、と考える風潮の方が新しいのかもしれない。が、まぁ、どっちにしろこういう「読んでいればとりあえず楽しい」漫画が増えたのは個人的に嬉しいもんです。

「市民が本当に欲しいのはパンと見世物だけ。」Juvenal『風刺詩』


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