LGBTのLはロリコンのL ~ガラスの壁が壊れる日~

制作者:KrK (Knuth for Kludge)

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LGBTという言葉がある。

女性同性愛者・男性同性愛者・両性愛者・トランスジェンダー(性別越境者)の頭文字を組み合わせたもので、彼ら彼女らを性的少数者だからと言って差別しちゃいけないよ!という考えである。

結婚の権利まであるのかは賛否両論あるようだが、人間として差別してはいけない、というのは無条件に受け入れるべきだという風潮がある。

しかし、同じく性的少数者である幼女性愛者・少女性愛者に関しては、無条件に否定すべきであるという風潮がある。「被害者」のいる児童ポルノはまだしも、実際は成年を迎えている女性を子供っぽく撮った「疑似児童ポルノ」、果ては未成年の性的な「絵」まで取り締まるべきという声まである。

何故だろう?

有識者は言う。「まだ性的知識のない幼女・少女に無理矢理性的行為を行う事は犯罪だ」と。

それは確かに当然だ。だが、それは「普通の」人はもちろん、LGBTの方だってそうだ。女性同性愛者を差別してはいけない、女性を好きになってしまうのは仕方がないことなのだ、と言っても、女性同性愛者が女性に痴漢をしたら犯罪だ。

幼女性愛・少女性愛がLGBTと違うのは、例え合意があっても性的干渉をしてはいけないというところだ。幼女・少女性的干渉は無条件で罪として良いだろう。性的知識不足はもちろん、身体のできていない幼女・少女と性的干渉を持つことは良くないことだろう。未成年者に飲酒・喫煙をさせるようなものだ。

その為か、幼女性愛・少女性愛犯罪が起きると、必ずと言って良い程「ロリコンは死ね」位の論調が現れる。何故「幼女性愛者・少女性愛者である」というだけで全否定されなくてはいけないのだろう?

例えば犯罪行為である痴漢行為を題材にしたアダルトビデオは普通に売られている。そしてその様な動画を見るのが好きだからと言って「死ね」とは言われないだろう。痴漢行為の動画を見るのが好きでも、自分で行うのは我慢していれば何も問題がない。ただし、疑似ではなく実際の痴漢行為を撮影した動画は「被害者」がいるので良くないが。

多くの幼女性愛者・少女性愛者も同じである。「自分は幼女・少女が異性として好きである。でも実際に手を出すと犯罪だし、何より幼女・少女を傷つけてしまう。」よく理解している筈だ。

例え話になってしまうが、「幼女性愛・少女性愛になる薬」を自ら飲んだのなら、それは選んだ道である。しかし、何がきっかけでそうなったか分からないが、幼女・少女を異性として好きなのは変えようがない。「幼女性愛・少女性愛でなくなる薬」は存在しないのである。いや、たとえ存在したとしても、「自らの性癖が変化する」=「人格が変わる」薬を絶対飲むべきだとは言えないだろう。

よくLGBTの方々が「自分が性的少数である」事に悩んでいる事を悲劇(感動ポルノ)のように扱うことがある。

それは幼女性愛者・少女性愛者も同じなのである。

いや、前述の通り最終行為に及ぶこと自体が法的にも倫理的にも「罪」である以上、LGBTの方々より悩みは深い。

「常識とは、成長する過程で身につけた偏見の集合体。」Albert Einstein


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