帰納法の重要性 〜すなわち原初に戻る不完全~

制作者:KrK (Knuth for Kludge)

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現代日本の科学教育はほぼ演繹法を教える。演繹法しか教え込まないとまで言っていいと思う。

物質は真空内では一定速度で減速なく進む、という「大前提」の元、各物理運動を「導いて」行く。しかし「何故その様な結論に達したのか、」は一切教えない。

大学などで研究に入っても、実験を「前提の証明」としか捉えられない。学生実験にて、「正しい」値が出ないとやり直させられる。もちろん、学生実験の目的が「正しい実験方法を身につける」ことなのは重々承知だ。しかし、実験値から法則を考える訓練が致命的に欠けているのもまた事実だ。

しかし、科学法則は、帰納法と思考実験でしか導けない。
すべて帰納法の結果である。演繹法はこれらを「証明」しかできない。

ただし、帰納法にも限界がある。例えば「宇宙はビッグバンで始まった」と言う事象は再現性がないため、帰納法が適用できない。それでもやはり「背景放射が存在する」などの事象が大切なのである。それをせず演繹法だけに頼ろうとすると、疑似科学や、「此の世は神が創った」と無条件信仰する宗教に陥るのである。

Ernest Rutherfordは「すべての科学は物理学か切手収集。」と言ったそうだが、大切なのは切手収集なのである。収集して初めて「裏に糊の無い切手も存在する」とわかる。これを演繹法だけに頼ると「切手とは裏に糊がある物」と言う間違った「前提」から始まってしまう可能性があり、結果、裏に糊の無い切手を「これは切手では無い」と誤った判断をしてしまう。

科学に一番大切なのは帰納法である。

「賢いデータ構造と間抜けなコードの方が、その逆よりずっとましである。」Eric S. Raymond


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