科学と宗教の絶対性 ~未完の胎児~

制作者:KrK (Knuth for Kludge)

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科学は絶対に正しい。誤ったものは一切ない。何故なら正しいことを述べたのが科学だからである。

もちろん、現代科学には多くの誤謬がある。ニュートン力学は相対性理論によって「超高速時には成り立たない」とされているし、相対性理論もブラックホール特異点では破綻するらしい。

しかし、現代科学が否定されたからと言って科学の敗北にはならない。相対性理論が破綻する場があるのなら、その場でも成り立つ法則を導き出せばよいだけである。

最終的に「いかなる場においても成り立つ法則」が存在するか否かはわからないが、「正しいことを述べたのが科学」という定義上、科学に誤謬はない。

だが、今述べたことは明らかな自己言及である。

科学が「正しい」と証明する手段は、これまた科学である。超高速状態を作り出せない以上、相対性理論が正しいと証明するのはニュートン力学での実験値、もしくはニュートン力学の理論値からの「ずれ」を用いるしかない。ニュートン力学は直接観測できるようにも思えるが、これとて物体に人的作用を加え、その結果を見ているに過ぎない。人的作用がどのように影響するかは思考実験と、やはりなんらかの「科学」を用いて判断する。不確定性原理を考えると、それは「素」の状態を観測できていない。

科学で科学を証明する以上、数学の不完全性定理と同じく、科学は確定しない。

では宗教はどうだろう?

「神がこの世を創った」とする宗教。これを「この世の創成はビッグバンという自然現象である」と科学で否定しても、科学が絶対でない以上、偽証にしかならない。宗教を否定するのは宗教だし、宗教を肯定するのも宗教である。

「●月●日に世界が滅びる」と予言し、実際には滅びなくても、宗教にて「皆の信仰により神が延期した」と「証明」すれば、何も問題がない。むしろ新たな「証明」が加わったことにより、理論と信仰は深まる(フェスティンガーの認知的不協和理論)。科学と同様、宗教は「自立」するのである。

宗教は「現代科学と同程度に」確からしい。

「真理とは抽象物であり、非現実的な虚構である。」Baruch de Spinoza "Ethics"


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