MMRワクチンを問い直す

 −「お上の」予防接種は安全なのか?−

     栗原 敦

     MMR被害児を救援する会々員

 

  我が子の被害

 1983年12月長男(当時4才7ヶ月)の幼稚園入園をひかえ、妻との相談で安易に「おたふくかぜワクチン」(財団法人阪大微生物病研会−以下、阪大微研会−製造、田辺製薬販売)をうたせてしまった。接種2週間後、初めて39度余りの発熱と「耳が痛い、足が痛い」等を訴え、かかりつけ医に診てもらった。3、4日で快復したように見えたが接種後18日目に、突如「てんかん発作」に襲われて以後現在まで治療の成果はおもわしくなく「難治てんかん」の発作は継続している。その間、知能の発達は阻害されるだけではなく、発達上の退行すらみられ発達年齢は2ないし3才程度。療育手帳Α(最重度)、精神保健福祉手帳1級、身体障害者手帳2種4級をもつにいたった。現在17才。

 86年、厚生大臣(中央薬事審議会)は因果関係を「否定できず」、不十分ながら(財)医薬品副作用被害救済基金(今の略称、医薬品機構)は救済を決定した。現在も障害児養育年金1級(当初2級認定、後に改訂)及び医療費・医療手当(入院した場合)の支給を受けている。翌87年から89年にかけて阪大微研会・田辺製薬との間で「損害賠償請求の調停」を申し立て、「見舞金180万円」を支払わせた。

 この体験から以下に述べるMMRワクチンの批判に関わることになった。

 

  MMRワクチンと被害

 一回の接種ではしか(M)おたふくかぜ(M)風しん(R)を予防できるとして、

89年4月に導入された「新三種混合ワクチン」(以下MMRという)は、予防接種法(1948年施行)史上最大規模の被害を発生させ93年4月事実上中止された。

導入後数ヶ月のうちに無菌性髄膜炎(後述)を高頻度に発生させることが判明していた。管見の限り(95年12月31日現在)、この間の被害で認定・救済された事例は死亡2名(ライ症候群、突然死)、急性脳症による重度心身障害1名(障害児養育年金1級)、両側性高度感音難聴1名(同年金2級)、無菌性髄膜炎1千名余り(但し、この診断を受けた幼児は保健医療局の発表では計1754名)。他に、死亡3名、急性小児片麻痺1名が判明しているが更に被害が潜在していると思われる。

 無菌性髄膜炎とは、様々なウィルスによって発病するが、発熱・嘔吐・吐き気・項部(首)硬直などで2週間あまりの入院を要する、小児にとって重い病気である。

 被害の元凶は「M=おたふくかぜワクチン」だった。

 93年12月24日大阪府下で死亡した2児の両親4名が国と阪大微研会を相手に損害賠償を求め提訴した。更に96年4月23日急性脳症と後遺障害を負った6才の少女と両親が提訴し、原告7名の訴訟へと発展している(大阪地裁)。争点は欠陥のあるワクチンを供給したこと及び接種後の副作用が頻発した時点でワクチン接種を中止しなかったことの2点である。私は長男の被害体験から、提訴準備段階より弁護団会議に参加し情報提供をしてきた。

 

  なぜ今問題にするのか

 エイズ薬害訴訟における95年3月以後の川田龍平君ら被害者原告たちの悲壮ではあるが逞しい行動が私を励ました。10月6日和解勧告と以後の劇的展開。同年12月12日第2回「人間の鎖」で学生・市民の厚生省前「パレード」の隊列に私も加わったその瞬間、一予防接種被害者の運動が「薬害」運動と繋がった。菅厚生大臣就任後からのファイル発見、座り込み、謝罪から対企業行動そして96年3月29日和解成立。この経過の中で、木村三生夫他「わが国における自社株および統一株MMRワクチンに関する研究」なる論文(1)(以後、研究班論文という)を入手したことがこれから主張する「MMR人体実験論」の個人的動機となった。そもそもMMR導入間もない89年から「人体実験」を意識する専門家・市民が存在した(2)ことは明らかだが、私自身が一定の根拠をもち国民にわかりやすく主張できるようになったのは、薬害エイズの実態が私に力を与え、研究班論文が自ら暴露した薬害エイズと酷似したMMRの経過・研究者及び行政の体質を知った今年3月だった。以後、法を盾に行政権力総動員で幼児に「いかがわしいワクチン」を強制し大被害を発生させた厚生省を告発し、川田君らの提起を受け止め薬害根絶に決起しないではいられない「沸き上がる思い」を抑えることは出来なかった。ワクチンに重要な問題があるならば、他の「くすり」の薬害とは異なる、薬害エイズ以上の「国家的犯罪」を指摘せざるを得ない「予防接種の本質」(3)があるからである。

 私はワクチン全面否定論者ではないが、MMRの経過に多くの疑義を認識した以上、国民と良識ある医師・研究者の英知を結集し、全てのワクチンと予防接種行政を洗い直さねば子供達の命が危ないことを読者に伝える使命と責任を自覚したのである。

 しかも、研究班論文など5本の体制派論文(4)だけでも人体実験的様相を指摘できるのである。

 

  導入前後の問題

 日本の国家レベルのMMR開発は、1970年国立予防衛生研究所(以下、予研)が「おたふくかぜ」とそのワクチン研究を開始した時にスタートした。当初から三種混合を指向していた。(5)MMR被害の元凶となった、おたふくかぜワクチンの国産第1号阪大微研会の「ビケン」は81年初頭に市販された。私の長男の接種直前83年秋に、高杉晋吾らは中央薬事審議会生物製剤調査会の2回の議事録を根拠に、このワクチン開発と厚生省の製造承認における問題性を指摘していた。(6)@同調査会が開発主体である予研関係者を多数含んだ不公正な構成になっていること、A組織毒性試験と神経毒性試験の両者を必要とする山内一也(当時、予研)の主張を軽視し、後者の試験を省く方向に結論づけたとみられる、との指摘をした。新薬承認における中薬審の問題としてしばしば批判される委員の構成−開発者が審査する問題−、及びずさんな審査であった可能性を示唆したのであった。83年12月、私の長男を2番目に診察した国立京都病院の西角医師は「接種と発症の因果関係を積極的に否定する根拠がない」と診断した。同医師はその1年以上前に「ビケン」接種後の無菌性髄膜炎例を日本小児科学会京都地方会で報告(国内で初の)していたし、他にも接種後のてんかん発症例を知っていると話してくれた。しかし当時原因を特定する方法が確立していなかったため、その後の類似症例についてもワクチンが原因であったとしても自然感染とされた可能性が高い。(7)メーカーが部内情報として副作用情報を相当量収集したとしても、予防接種法の枠外の任意接種でもあり厚生省は自ら調査せずに情報をもたなかった。(8)88年薬務局はMMRワクチンの製造を承認、公衆衛生審議会がMMR導入の意見をまとめ、保健医療局は関係法令を整備し翌年導入するに至った。

 後に社会問題化するMMRだが、その渦中に唯一人厚生省批判をまとめたジャーナリスト斉藤貴男は、導入時に使用されたMMR(統一株MMRという−後述)について、どのメーカーのM、M、Rを採用し混合するかの判断をする上で要となった予研の杉浦昭(故人)は、MMR導入には消極的であったと記している。(9)私自身、去る3月から4月にかけて予研関係者に尋ねたところ、89年4月導入は早すぎた、実験が足りなかった。おたふくかぜ自然感染後に一定の率で発生する無菌性髄膜炎はワクチン(軽く感染させる)接種後に起こり得ることだった。杉浦部長はその不安を抱いていたなどと答えた。一部市民レベルでも導入見合わせを求める動きがあった。アメリカのMMR副反応情報(10)を入手していた静岡予防接種を考える会(鈴木美子代表)がその先駆けであった。

 さらにこの時期の事実として重視したいことは、MMR被害の元凶、阪大微研会製おたふくかぜワクチンは大量に輸出されており、それを含むSKB社(ベルギー)製造のMMRが、カナダ(86年製造販売許可)で接種開始後まもなく無菌性髄膜炎を発生させた(約6万2千人に1人)のでオンタリオ州では使用を中止した、同社は自発的に販売中止し、90年5月をもってライセンス取り消しになったとの情報(11)があるにも関わらず厚生省が強行したことである。先の予研関係者は「私どもより情報収集能力の高い厚生省はそのことを知っていたはず」と述べている。

 厚生省と企業は、私の長男の被害事例を軽視し、類似の症例(12)をも隠した上、海外での重要な事例と「中止した」行政判断を知りつつ国内でのMMR導入と、強行をしたことが強く疑われるのである。

 

  市民の批判を無視した厚生省

 先の静岡予防接種を考える会は、早くも

88年9月26日静岡市に対し「MMR導入見合わせ」を申し入れていた。以後同会は精力的に学習と申し入れや交渉を(市・県・国へ)を展開し清水市へも波紋を広げ、更に大きな運動のうねりを生み出していく。(13)90年3月に、関係者が大阪に集まり同年8月26日大阪市に於いて「子どものためのワクチントーク大阪」が開催された。主催に名を連ねた団体は、大阪・予防接種を考える会、予防接種情報センター、大阪府教職員組合、大阪市教職員組合、自治労大阪府本部、乳幼児発達研究所、堺インフルエンザ予防接種を考える会、静岡予防接種を考える会、練馬インフルエンザ予防接種を考える会、大田保育教育を考える会、日本消費者連盟、ワクチン禍研究会、関西予防接種被害者の会であった。安全性未確認のMMR批判を重要な柱として開催されたワクチントークは、これを第1回として毎年開催されることとなった。このように組織された市民の行動の他に、新聞テレビ等には多くの母親の不安と厚生省批判が寄せられた。

 既にインフルエンザワクチンの無効性を科学的に検討したことで有名な前橋医師会は、89年4月当初から無菌性髄膜炎に注目し、追跡していた。90年には、由上修三(前橋医師会予防接種委員会)「3種混合ワクチンは欠陥商品でありただちに接種を中止すべきである」が発表され、89年4月から11月の間に前橋市で217人に1人という発生率を公表していた。(2)

 これ以後の厚生省の詳細な対応等は、先の斉藤論文や当時の報道によって確認していただきたい。概略をまとめた表を参照のこと。

 [表] わが国におけるMMRワクチンに関する動き 堺編「予防接種のすべて」

 

 厚生省の迅速な接種中止への対応がない中で、先に挙げた重篤な被害(死亡1名を除く)と、無菌性髄膜炎の大半は91年9月までの「統一株MMR」によって発生させられた。

 大阪地裁のMMR訴訟原告弁護団(石川寛俊団長)は89年の遅くとも10月には接種を中止すべきだったと主張した。また弁護団は先に述べたカナダにおける事実を現地で調査確認していた。

 

  二つの「株」及び「PCR法」

 91年10月から更に「人体実験」の様相をあらわにして強行されたことを検証しよう。予研麻疹ウィルス部杉浦昭部長(故人)を要として混合された「統一株MMR」がおよそ千人に1人の高率で無菌性髄膜炎を発生させ、無視し得ない世論の高まりの中、厚生省は、“官僚の隠れ蓑”=ここでは公衆衛生審議会の意見により、「統一株に代えて自社株」(14)MMRを導入し非難をかわすことを試みた。

 ここでふたつの「株」を説明しておこう。

同じ病原ウィルスにも種類があり、〜株という区別をつける。当然ワクチンウィルスにもメーカーにより株の違いがある。より優秀とされた、北里研究所製のはしかワクチン(M)、阪大微研会製のおたふくかぜワクチン(M)、武田薬品工業の風しんワクチン(R)を混合したものを「統一株」という。3社が互いに自社のワクチンを交換し、各社で混合し3社が同じ製品を製造販売した。これとは別に3社が自社のM、M、Rを独自に混合し製造承認を受けていた。これを「自社株」という。89年から91年9月までは統一株だけが製造販売された。それは、杉浦昭の「・・・適切な評価が誰の眼にも明らかであるとは限らない商品の場合には選択を単純な市場原理にゆだねることは困難であって、商品の優劣を客観的に評価し得る中立的な機関の科学的判断に待たざるを得ない。それではもし現在客観的立場に立って既存のワクチンの間から最も望ましい組み合わせのMMRワクチンを選択するとすれば」(15)として決定されたのが統一株である。最良の組み合わせによる一つのワクチンを流通させることが国民の利益となるという考えから生まれたのである。

 しかし、同氏が懸念していたという無菌性髄膜炎が予想を大きく上回る率で多発したのである。ところで予研はMMR導入時には、PCR法によるウィルス株鑑別法を開発していた。接種後に無菌性髄膜炎を発症した子どもの腰椎に太い針を刺し、採取した髄液からおたふくかぜウィルスを分離し、その遺伝子構造を解明することで、そのウィルスが阪大微研製おたふくかぜワクチンに使用されたウィルス(ウラベ株)であることが確認されれば、原因が接種にあったことが特定されるという方法である。接種導入に間に合わせたPCR法開発の事実は、杉浦の不安がかなり大きかったことを伺わせる。研究と行政の板挟みとなって杉浦は事態を憂慮していたと斉藤論文が指摘した。

 

  危険な統一株を放置した自社株導入

 91年8月第2回ワクチントークが東京で開催され、「MMR即時中止」を含む声明が採択されていた。(16)公衆衛生審議会伝染病予防部会の意見(同年5月)には、自社株MMRの使用が具申されていた。

 この頃、長男の発作は増悪し発達の退行がみられたなどから治療及び原因の特定に

とらわれ、MMR批判の隊列に加われない状況にあった。今更ながらに悔やんでいる。

 というのは、市民運動は高まりをみせたにもかかわらず、重要な局面を捉えきれなかったように思われる。すなわち、「危険性」が十分確認された統一株が残されたまま自社株導入となっていったのである。薬害エイズにおいて、加熱製剤導入以後もなお非加熱製剤が放置されたことと同質どころか、「最良の組み合わせではない」はずの自社株を持ち込んだのであるから更に悪質だったと言えよう。敢えて危険性を増加させたと言い切ってよいだろう。この全く妥当性を欠いた判断は、市民から最も激しく糾弾されるべきものだった。

94年3月に発表された丸山浩他「MMRワクチン接種後の無菌性髄膜炎発生状況とその対応」(同氏は93年4月接種見合わせ前後に結核感染症対策室室長補佐で、同論文は厚生省としての総括とみられる)では、「・・・1991年6月には麻しんワクチン接種の原則を再確認する一方、保護者の申出によりMMRワクチンを接種する場合には、統一株に代え、自社株ワクチンが使用できるようにした。」(下線は栗原)という全く理解できない表現をしている。統一株が良くないから、予防接種法本来の「はしか単独接種」を確認することはわかるが、厚生省がそう確認するのに親が希望するという想定が何故成り立つのか、官僚の思考は複雑怪奇である。おまけに、統一株、自社株を選んでうてるようにした、とまでくると泥沼も甚だしい。親が何を根拠に合計4種類のワクチンを選択出来るというのか。また4種類のワクチンをもっていた医療機関はないはずである。

 89年被害続発以後、何回も方針変更が繰り返され、適切な対策(接種中止しかありえない)をとらなかった。91年10月、統一株を残した自社株導入は厚生省の失策を最も見事に露呈したといえる。この時期までに接種中止されて当然だった。

 

  実験体制の整備

 自社株導入前には、3つの実験体制の整備がなされていた。

 @保健医療局は、全自治体に対して91年10月以後3ヶ月ごとの接種後無菌性髄膜炎のモニタリングを指示した。統一株と3社の自社株について、接種総数・無菌性髄膜炎の発生数を比較対照する集計を報告せよとした。また従来から設置されていた予防接種研究班のメンバーによる追跡調査がなされた。

 A薬務局は、その所管下に「現行ワクチンの品質向上に関する研究『MMR研究班』」(以後MMR研究班という。班長木村三生夫、事務局堺春美、いずれも東海大医学部小児科)を設置した。91年9月全国14509名の医師に研究協力依頼し3193名が登録された。(17)

 B予研は、先のPCR法によるウラベ株鑑別法から、全ての野生株・ワクチン株のSSCP法による鑑別法へと発展させた。その研究の当事者である山田章雄は、(自社株導入により)「単味(単独の意)で接種されるムンプス(おたふくかぜ)ワクチンも考慮すれば、5株が国内で使用されている。これらの株の安全性評価を行って行くうえで本方法は大きく貢献するものと考えられる。」と記した。(18)

 重大な見解である。ことは臨床試験段階ではない、法により子供達に本格的に接種されるなかで、安全性評価を行う、接種後健康被害を受けた子供の髄液から分離したウィルスの株を鑑別するという、正に人体実験を肯定した研究者の姿を露呈したといえる。

 もちろん、各メーカーは市販後調査を行い自社のMMRの安全性を確認すべく体制を整えていたはずである。最良の組み合わせ=統一株MMRが破綻したにも関わらず

最良ではない自社株を導入し、このように調査体制を整備したことは国・企業がこれを比較接種試験の好機とみたとしかいえない。まさに第2段階の意図的な人体実験が開始されたのである。

 予研関係者は私の質問に答え、その背景に接種現場=臨床医の強い要望があったと語った。「当時の小児科学会の予防接種委員会の答申に統一株以外の株も使用できるようにする事が望ましいとする意見があり、これに基づいた要望書が厚生大臣宛に提出された(1991.4)ことによるものです。」

たしかに、日本小児科学会(大国真彦会長)日本小児科医会(内藤寿会長)から同時期に要望が出された。しかし、両団体の自社株評価の内容と根拠は不明である。アメリカのMMRの導入について検討を要望していることからして、自社株を積極的に評価しているとは思えない。薬害エイズにおける加熱製剤の緊急輸入論を連想させられる。この要望を背景として採り上げる予研関係者の説明は、MMR導入を時期尚早と判断していた研究者の責任回避といえないだろうか。

 また、これらの要望を口実としてMMRが国により続行された可能性を指摘できよう。

 

  無視された?推進派の批判!

 前述の由上「欠陥ワクチン論」の他にMMR積極推進の立場にあった医師から痛烈な批判があがっていた。

 91年4月堀内清(当時、国立療養所東栃木病院小児科医長、現在、千葉県血清研究所研究開発部長)の「ムンプスワクチン接種後髄膜炎に関する諸問題」(19)及び92年3月岡秀(田園調布中央総合病院小児科部長)の「MMRワクチンについて−実地診療医の立場から−」(20)である。両氏は共に執筆時、従来からある保健医療局所管の予防接種研究班々員であった。

 堀内は次のように述べた。

 ムンプスワクチンを普及する意味からもMMRワクチンの開発および普及に積極的に参画してきた。(無菌性髄膜炎問題について−栗原注)この問題を解決するには、関係者すべてが謙虚に反省し、ワクチン株の選定、製造方法の基本的な見直し、行政的指導の見直しなどの多角的な検討が行われなければならない。とくにムンプスワクチンは問題の当事者であるだけに、徹底的な検証が行われなければならない。さもなくばMMRワクチンが復権することは難しく、この混乱のしわ寄せはすべて子どもたちが負うことになるのである。

 現行のおたふくかぜワクチンはこのままでは使用に耐えない。髄膜炎を軽症とはいえない。おたふくというユーモラスな名の病気、その恐怖を強調しすぎているのではないか。日本のワクチン認可水準は低い、5つのワクチンの比較接種試験を5000例以上の規模で行うべきだ。

 この研究班関係者の中では他にみられない痛烈で謙虚とさえいえる問題提起だが、管見の限り議論を喚起した気配がない。

 ところで、同氏は81年、宍戸亮・堀内清他「弱毒ムンプスウィルス鳥居株(武田)の開発に関する研究 V野外接種試験(21)の論文では、同ワクチンの接種例数は908人となっている。しかし、よく読むとその中には、接種前に自然感染で免疫を獲得していた子どもが411人含まれていた。とすると、接種前に免疫のなかった子ども(ワクチンの効果を判定できる子ども)は、908−411=497人しかいなかったことになる。相当いいかげんな試験だが、にもかかわらず同論文では「試験の結果、鳥居株ワクチンは有効かつ安全」と評価された。その10年後堀内清医師は、自ら加わった臨床試験を否定したことになるのである。高杉の指摘とあわせ、臨床試験の水準が低いことを明らかにしたわけである。

 岡氏も激しい論調で次のように述べた。

 おたふくかぜ占部株ワクチンを含む『統一株MMRワクチン、阪大微研株(自社株−栗原注)MMRワクチン、単味(単独の意−栗原注)おたふくかぜ占部株ワクチン』接種による子供達の健康被害、無菌性髄膜炎の発生増加が心配される。子供達の健康と安全・権利を守るために、『欠陥ワクチン』は、ただちに接種・発売を中止すべきである。当局の中途半端的な通達による現場での混乱、予防接種不振・離れが心配である。自然感染による流行性耳下線炎合併症と、ワクチン接種による副作用(無菌性髄膜炎・罹患年齢の相違など)を比較すること事態、極めてナンセンスな重大問題である。子供達のために、「おたふくかぜ占部株を含むワクチン」は、早急に、全面的に中止させることが、小児科医の使命である。(表現・誤字は原文のまま)

 これらの的を射た見事な批判はどう扱われたのか全く不可解なその後の経過となる。

 岡氏は、89年11月中止を「再三具申」したが「誰一人取り上げ」なかった。さらに厚生省の対応を「子供達の健康を無視した」と指摘し、「怒りを感じる」とした。(22)

 

  5人目の統一株接種後死亡例

 導入前後にこのような批判があるなか、実験体制=データ収集体制が整えられ、危険性が確立していた統一株と、安全性未確認の自社株、合計4種類のMMRの比較接種試験=人体実験が強行された。

 MMR研究班論文で、全国から3万8千例余りのデータを集め解析した木村・堺らは、研究班の積極的な調査は「今後のムンプスワクチン改良研究に際して、貴重な資料となる」と自画自賛している。そして、その期間に5人目の接種後死亡例があったことを初めて明らかにしている(ただし論文では、因果関係は否定されたとしている)。

 人体実験の中で死亡者が発生したのである。2才7ヶ月の子供であった。

 ところで、この件について私はその接種株は統一株の可能性が高い(91年9月までに4人が死亡したことから、当然の推測として)と考え、その確認方法を思案していたが、去る5月14日、東京(三田共用会議所)で開催された「ジェンナー種痘200年祭記念式典」会場で、元研究班々長木村氏に直接確認することができた。2才7ヶ月児は「統一株接種後の死亡例」だと判明した。最初、堺氏に尋ねたところそういう記述があったことさえ記憶していないような回答ぶりだった氏(論文執筆当事者)は、木村氏が答えた場に血相を変えて近寄り「先生そんなこと答えちゃっていいんですか云々」とたしなめたのである。驚くべき光景に私自身当惑した。

 研究班が収集した事例の中だけで、自社株導入以後入院例が146例、その他に先の死亡例を含め重篤な症例が14例も報告された(研究班論文)。

 この研究は国費で為されたにもかかわらず、堺氏は「私どもはそういうことを答える立場にはない。公表できることは論文に書いたことだけだ。」と収集データの所在さえ答えなかった。また、木村氏は、死亡例について「あれは突発的な事故だった。救済申請は出ていない。医師からの報告だ。」

と語った。2才7ヶ月児の親は救済制度の存在を知らないか、関わった医師が因果関係を否定したために申請できなかった可能性が想定できる。研究班論文では「先天的な心疾患」「剖検にインフルエンザに罹患」とあり因果関係は否定されたとしているが、私はそれを鵜呑みには出来ない。その報告書が公開され、親の判断でカルテの客観的検討がなされぬ限り信用できない。

 

  在庫処分の形跡

 さて、91年10月自社株導入以後の統一株の使用状況を研究班論文の集計(東京都と神奈川県)や、私と関係者が集めた一部自治体(京都府、神奈川県、静岡県)のモニタリング情報などからみると、使用量がしだいに減りつつも京都府などでは93年4月(接種見合わせ)に接種総数12人というように、最後まで使われていたことがわかる。そして無菌性髄膜炎を発生させていたことは当然のことである。3社が統一株の生産をいつ頃中止したかは未確認であるが、自社株導入の意見がまとめられた91年5月から遠くない時期に各社とも中止したと考えられる。当然のごとくいち早く自社株の生産を開始することになる。逆に、3社の生産体制を見極めながら、公衆衛生審議会の意見とりまとめや厚生省保健医療局の「導入通知」の日が決定されたとみる方が自然かもしれない。

 しかし、93年の1月から4月の間にも使われるということは、その1年前92年の同時期にまだ製造と予研による国家検定が行われていたことになる。生ワクチンであるMMRの有効期限が1年であることからいえることである。

 国家検定とは、生物製剤(ワクチンやあの血液製剤も同様)の品質管理のために予研によって行われるもので、「国家検定合格之証」のラベルが貼付されない限り市販できないことに決められている。

 ところで、92年12月9日NHKニュースモーニングワイドが「厚生省 MMRワクチンの『統一株』使用中止へ」と報道した。(91年10月自社株導入以後について)「しかし、『統一株』ワクチンについてはその後もおよそ千人に一人の割合で副作用が起きたことなどから製造が打ち切られ、最近は『統一株』ワクチンが全く使われなくなっています。このため厚生省の

予防接種委員会は、これ以上使用を認める意味がなくなったとして、『統一株』ワクチンの使用を中止する方針を決めたものです。厚生省ではこれを受けて近く公衆衛生審議会に『統一株』ワクチンの使用中止を

諮ることにしています。」(23)という内容だった。

 以上のことから、次の3点の問題がみえてくる。

 予防接種委員会が使用中止を決めた時期には、モニタリング(前述)情報によると統一株の使用量はごくわずかになっている時期であり、この決定はあまりに遅すぎる決定で、在庫処分を待って為された決定といわれても反論できないものである。

 個々の接種医レベルで考えて、91年10月以後も統一株を使い続ける医師は、常識的な市民の目からして特に異状である。はしか単独の接種に切り替えることが自然な判断だというべきである。しかし打ち続けたということは、国が放置した故の「在庫処分だ」としかいいようがない。

 また、予研は髄液検査をやることで無菌性髄膜炎の絶えないことを最も承知しながら、92年4月までは明らかに検定で「合格之証」を貼り続けたのである。MMR導入時期尚早とみていた人物がいたにもかかわらずである。芝田進午(予研裁判の会代表)が本誌5月号に於いて、薬害エイズにおける予研責任を論証されたが、それと全く同質の問題である。HIVに汚染された血液製剤はアメリカ製だったが、このMMR・おたふくかぜワクチンは予研が開発に深く関わったワクチンである。少なくとも真実を知っている研究者の道義的責任が追究されるべきである。早すぎたMMR導入を学者的良心から阻止すべきだったし、早期にMMR接種中止を訴えるべきだった。

 先程来の予研関係者は、MMRが人体実験だったかの私の問いに、但し書き付きではあるが「結論からいえば一種の人体実験であったと考えます。」と回答し、厚生省の責任を指摘し、自らの責任については「私どもにはものを言う場がなかった」と語ったのである。本来的に医薬品特にワクチンは、「この種の人体実験」なしに開発・改良ができないとし、日本の薬事行政、「市販後調査」などのシステムが整備されていなかったことに問題をすり替えるのである。

 今後、予研との討論が必要である。

 

  無視された予防接種委員会の意見

 在庫処分後に「統一株使用中止」を決めた予防接種委員会の意見による保健医療局の通知が実は出されていないことが去る3月末厚生省への確認で判明した。担当者によると詳細は未確認だが、NHK報道に近い時期の公衆衛生審議会では、MMR自体の中止が議論になり、統一株使用中止の決定はなされず(委員会の意見は無視され)、「通知」を出さずに93年4月27日「当面接種見合わせ」に至ったと明言した。

 その最後の過ちが更に5ヶ月ほど統一株を放置させ、規模はまだ特定できないが被害を生んだのであった。

 

  なお続行されるおたふくかぜワクチン

 ここまでみてくると、普通の感覚の市民はいかに思うか、歴然としている。人体実験ではないか、薬害エイズとそっくりだと。

 おまけに薬害エイズ以上のことがまだある。それは、MMR被害の元凶だったはずの、おたふくかぜワクチンが単味で未だに市販を認められ、任意接種で使用され続けていることである。この過ちは予研関係者も認める重大事実である。そして、報道関係者も国民も何も問題指摘していない。

 おたふくかぜワクチンの中止と再評価が必要なのだ。

 

  後遺症発生の可能性

 厚生省は無菌性髄膜炎について「軽症で予後は良い」と言ってきたが、81年に京大医学部小児科グループが「長期経過観察の必要」があることを報告している。(24)そこでは、3歳までに発症した事例中に最長9年後の後遺症を認めている。他にも複数の論文が警鐘を鳴らしており、行政の責任による被接種児の経過観察が緊急課題である。

 そういうことからも、今4〜8歳前後の当時MMR接種を受け、あるいは単味でおたふくかぜワクチン接種をした子らで無菌性髄膜炎の診断を受けた子をもつ親は特にこの問題に注目してほしい。

 厚生省は私がこれを指摘したとき、症例報告があるにもかかわらず「あれは学界の定説ではない」として無視したのである。

実験をやりたい放題やってのけた上、症例という事実をもって警告されている後遺症のチェックもしないという加害行為を許すわけにはいかない。人知れず障害を抱えてしまった子供がいる可能性があるのだから。

 

  MMR未だ終わらず

 私が信頼する宇治徳洲会病院小児科のスタッフはMMRを強行する厚生省の見解を批判して接種をとりやめた事実がある。一時はMMR研究班の調査に協力する意向を示したが、92年7月5日発行の「小児科ニュース bU」(小児科外来に掲示)紙面で、MMRワクチンは「幼児に接種するワクチンとして許容される限界を越えていると判断し」「当院での接種は本年9月より当分中止いたします。」と発表した。

 その根拠として次の4点をあげた。

@新三種混合ワクチン接種後の髄膜炎の頻度は実際の調査よりもっと高い可能性がある。(髄膜炎の軽い例がもっとあるのではないか)

A自然におたふくかぜにかかった時の髄膜炎の頻度が自然にかかったときより“かなり”少ないとは言えない。

B医薬品として考えるなら副反応としてのワクチン接種後の髄膜炎の頻度は現在わかっているものでも高すぎる。

C幼児の髄膜炎は後遺症がないと言いきれない。

 私は93年6月、このニュースをスタッフから入手した。この見解が時期的に遅いことは否めないが、今改めて妥当な見解だと評価する。根拠4点はことごとく厚生省の続行の見解に反論ないし疑義を呈するものであった。特にAは、千人に一人の無菌性髄膜炎発生は、自然感染後の発生率2.4%

(25)より少ないとした公衆衛生審議会・厚生省の算数的ごまかしを当然ながら見破っているものである。MMR接種は接種児全てに軽く感染させるが、その後の発生率を自然感染後のそれとストレートに比較する事には明らかな誤りがある(岡氏の指摘と同じ)。MMR接種該当年齢の子供達全員が感染するわけではなく感染率が無視されているから。そもそも国内のデータではないのである。Cの指摘も先述の通り。

 統一株を使い続けた医師がいる反面、私はこのような当たり前の判断をした医師・医療機関が全国にたくさん存在すると信じている。

 また、接種の実施主体である自治体の独自の判断があったことも一部知っている。

京都府では、八幡市で89年秋に髄膜炎患者が1人発生し被害を認定された直後からMMRを全面中止(はしか単独の接種に戻した)し、新たな被害を出さなかった。賢明な判断だった。

 これら、医療機関・自治体のMMRへの対応を全国的に調査すれば、厚生省と乖離した現場の実態があったことが証明されると確信している。この意味でもMMR問題はまだ終わっていないのである。終わらせてはならない。

 

  この国に住む不幸?

 薬害エイズの和解までの過程に私たちの国の厚生行政と企業による殺人行為を目の当たりにし、国民の代表としての厚生大臣が官僚の壁にさえぎられて未だに真相解明が出来ない現実を知った。加えて、研究班論文公表を機にMMRの犯罪性を新たに確認してしまい、ミナマタ以来のこの国に住む不幸を痛感した。

 4月、新たに提訴したMMR被害児の母は、91年の接種であり副反応をニュースで知っていたから「はしか単独接種」を希望して医院につれていったが医師の強引な対応でMMRを接種されてしまった。「娘を国にさしだした覚えはない」と悲痛な胸の内を語っている。

 私たちは批判の眼を政・官・産・学だけに向けたままで良いのだろうか。

 医薬が生命をないがしろにし、人権を侵害している、国民自身が自らの「からだの主人公」になれない、当然の要求が通らない、これはこの国の民主主義の後進性、未成熟を意味するもので、主権者である我々の意思が全く反映されない戦後民主主義の限界・到達点を如実に示すといえる。

 それを許してきた我々自身のあり方が問われているのではないか。「お上」のいうことを鵜呑みにし、さからわないできた結果かもしれない。戦後の復興・高度経済成長の過程で、医薬に即していうなら過度な信頼と依存の意識がなかったか。浅薄な科学信仰がなかったか。国家が愚民思想をもって国民を教育した一大成果なのかもしれない。国が国民を「殺した」のか、国民が

愚かだったのか、コロンブスの卵ではないがいずれにせよ黙しては我が身が、我が子が危ない現実を変革せねばならない。

 真の健康とは何か、それを保障するにはいかなる施策が必要かを、はるかに高度な科学、真に国民に奉仕する科学および科学者の力をもって自ら考え判断することを迫られている。日本の予防接種は、最も安上がりの公衆衛生ともいわれ、しかもそれは軍隊の発想、侵略戦争=731部隊とも繋がると指摘される。

 健康と予防の概念の洗い直しが必要ではないか。とにかく「予防」から身を守らねばならない矛盾・不幸が現存するのだから。

 しかし、この国に住み続ける以上悲観してならない、諦めてはならない。この国の良心を掘り起こすことで展望は開かれる。薬害エイズと闘う良心の人があり、「我々にはものを言う場がない。」と語る人がいるから。全国予防接種被害者の会事務局長藤井俊介氏は、これまで予防接種禍と他の薬害被害者の連携は困難だったと語った。過去の予防接種禍訴訟が接種体制の不備(禁忌者識別、予診の不十分さ)や副反応情報の非開示の2点で主に保健医療局と争い原告勝訴となってきた。しかしMMR訴訟が初めてワクチンの欠陥を争点にしたことで、薬務局の責任が問われる薬害の問題になったといえる。そこに薬害エイズ被害者、過去の薬害被害者との連携が必然性を帯びてきたのだ。予防接種制度批判からワクチンの評価へ縦の深まりをもち、被害者の横の広がりをみせようとしている。既に被害に遭った私たちと現状のままではいつ被害にあっても不思議ではない広範な国民との共同の闘いを目前にしている段階である。

 

  MMR新たな行動へ

 MMR被害児を救援する会(勢馬彰事務局長)、予防接種制度検討市民委員会(藤井俊介座長)が去る4月27日大阪でMMRの犯罪性について意見交換の上、菅厚生大臣宛要望書を提出する事を決定した。MMR・おたふくかぜワクチンの製造承認から副反応情報等の情報提供を求める旨の要望書を5月12日付で提出した。MMR原告・弁護団は前回6月6日の公判で被告国が提出を拒んでいる文書の提出命令を申し立てた。

 同ワクチン接種後の副反応情報を是非ともお寄せいただきたい。この好機を逃さず批判を展開したいと願うものである。

 

  今新たにワクチンが危ない

 ここ数年、ワクチンに含まれる様々な添加物が原因となるアレルギー反応による副反応が大きな話題となっている。昨年6月日本感染症学会(東京)で、予研の井上榮感染症疫学部長が添加物ゼラチンがアナフィラキシーショックなど重い副反応を起こしていると症例報告をした。その6月から7月にかけて薬務局はゼラチンを含む注射製剤の添付文書改訂と注意喚起を行った。ほとんどのワクチンが対象となるのだ。対応を誤れば死に至る危険があるという。井上氏は私の質問に答える中で「大変困った問題です。今のところゼラチンに代わる安定剤はみつかっていません。」と困惑気味だった。

 また、この5月14日はジェンナー種痘200周年に当たり、研究者・業界団体=(社)細菌製剤協会・国などが一体となって記念式典を催した。4月から秋にかけて関係団体がワクチン礼賛のキャンペーンをはるとみられる。14日の式典で、天然痘撲滅で活躍した蟻田功(現国際保健医療交流センター理事長)は講演の最後に「予防接種の煩雑さ−何回も接種しなければならないこと−を混合ワクチンの開発で解消する必要」を強調した。日本のワクチンの水準、副反応、健康被害等には全くふれずに

である。また挨拶に立った菅厚相は予防接種法の改正の背景に健康被害があったことをきちんと話したが、松村明仁保健医療局長(郡司篤晃生物製剤課長の後任−非加熱血液製剤を放置した)それにはほとんど触れずに日本の感染症対策を講演したのである。

 危険を予感しないでいられない。

 

 付記1

 先の堀内論文に関して同氏に文書で質問した結果次のような文書回答があった。

 質問:5社のおたふくかぜワクチンの評価について

 回答:「安全性及び有効性に関する評価は、現在義務化され行われている『市販後調査』の成績が5年後に集積されて公表される」ことになっている。「当所のワクチン」については「人体で臨床試験をするには10,000人の子供に接種しなければ、既存の株と優劣がつきません。」

 質問:日本のワクチン認可水準の低さについて

 回答:「わが国の医薬品の製造認可の基準は欧米に比べれば甘いことは常識で、現在欧米の基準に近付ける作業が行われております。」

 質問:MMR接種見合わせ後もおたふくかぜワクチンが流通・接種されていることについて

 回答:「起こり得る髄膜炎の説明に十分納得された人達のワクチンを受ける権利を否定することはできないと思います。ただし、阪大微研が未承認のワクチンをMMRに混合した薬事法違反に関してはしかるべき処断を受けるべきでありましょうが、国、研究者を含めわが国のムンプスワクチンに対する認識に甘さがあったことは否定いたしません。」

 最後に「蛇足ながら」として「かっての2分の1に減った子供の大切な健康維持に必須のワクチンは改良すべき問題が山積しております。」と評価の困難さを語ってくれた。

 

 付記2

 油井香代子によるMMR訴訟原告3家族の紹介記事(週刊女性セブン6月13日号)

の読者から、MMR被害児を救援する会あてに、新たな被害事例が届いた。MMR接種(89年)後、てんかん発作を起こし7年後の今もなお抗てんかん薬を服薬しているというケースである。この事実は、被害の潜在化を強く示唆し、更に訴えれば大量の被害事実が明らかになることを推測させるものである。

  (1996年5月〜6月9日執筆)

−注−

(1)木村三生夫ら「わが国における自社株および統一株MMRワクチンに関する研  究」 臨床とウィルス Vol.23 No5 96.12.30

(2)由上修三「3種混合ワクチンは欠陥商品でありただちに接種を中止すべきであ  る」 毎日ライフ 90.5 他

(3)一般の治療薬は、治療上の必要性から医師と患者の間で使用が決定されるが、 ワクチンは薬務局が製造承認したものを、保健医療局及び自治体が一体となって、 予防接種法の下で子供達に事実上強制するもので、ワクチンに問題があるとただ ちに多数の子供達が危険にさらされるということ。

(4)堀内 清「ムンプスワクチン接種後髄膜炎に関する所問題」

    小児科Vol.32 No.4 91.4.1

  岡 秀「MMRワクチンについて-実地診療医の立場から-」

    小児科臨床 Vol.45 No.3 92.3.5

  山田章雄ら「SSCP法によるムンプスウィルス株の鑑別」

    (財)予防接種リサーチセンター刊 予防接種制度に関する文献集    (22) 92.7

  丸山 浩ら「MMRワクチン接種後の無菌性髄膜炎発生状況とその対応」

    臨床とウィルス Vol.22 No.1 94.3

  及び(1)木村ら論文

(5)国立予防衛生研究所「予研年報」 1971

(6)週刊ポスト 83.10.14

(7)予研学友会「ワクチンハンドブック」 94.2.28 のMMRの項

(8)テレビ朝日「ザ・ニュースキャスター」93.4.30 放映の尾崎新平  ・結核感染症対策室室長のコメント

(9)斉藤貴男「新三種混合ワクチンは安全か?」 月刊「文藝春秋7月号」 1992.7

(10)藤井俊介訳「アメリカ合衆国における予防接種に伴う副反応サーベランス」  予防接種情報センター刊 86.12

(11)Canada Diseases Weekly Report

  90.12.15 他

(12)NHK-NEWS-TODAY 89.11.17 において「82年から  接種後に髄膜炎になったというクレームが19件メーカーに寄せられていた」  と報道された

(13)静岡予防接種を考える会(代表・鈴木美子)編

   「予防接種を考える No.23」

(14)(4)丸山ら論文

(15)杉浦 昭「麻疹・ムンプス・風疹三種混合弱毒生ワクチン」

   臨床と微生物 Vol.12 No.5 85.11 他

(16)「子どものためのワクチントーク東京」資料 同実行委員会編 

   91.8.25

(17)同研究班事務局から研究協力医あて文書 92.7    

(18)(4)の山田ら論文           

(19)(4)の堀内論文           

(20)(4)の岡論文            

(21)臨床とウィルス Vol.9 No.3 81.9所収   

(22)(4)の岡論文            

(23)NIFTY-Serve NHKテレビニュース原稿ファイル

(24)中野省三ら「乳幼児無菌性髄膜炎の長期予後」

   日本小児科学会誌 Vol.85 No.12 1981

(25)Lancet No.7876 1974