控訴審に向けて

MMR訴訟原告  木下正美・佳代子

 日頃は、MMR訴訟にご支援を戴きましてありがとうございます。

すでにご存知の方も多くいらっしゃるかと思いますが、MMR訴訟は一審だけで9年以上もの歳月を費やし、今年3月14日に判決が下り、私達を含む2家族については一審勝訴と言う結果となりました。

判決が下されたその日の夕方、ワクチンメーカーである阪大微研に交渉に行き、翌日上京し、厚生労働省(国)に対して「もうこれ以上裁判を長引かせず、子供のほうを向いた予防接種行政を」と訴えてきたのですが…当日交渉に応じた国側の役人は、6人も揃いながら一言の謝罪もなく、私達の話に誠意を持って応じようと言う態度がまったく見受けられず、予想はしていたけれど失望して家に帰りました。

 東京からの帰りの新幹線の中で、交渉の場面を思い、かつて同じような気持ちにさせられた事を思い出しました。私達の息子、大輔が平成4年夏に亡くなり、翌年6月、当時住んでいた高槻市の職員から「国からの通知がありました…」と電話があったときのことで、その経緯をここでお話したいと思います。

 金曜日の夕方、その電話はかかってきました。国からの通知、のひとことに続いて「ご在宅なら今すぐ書類をお持ちしたい」と、職員は何度も強く言ってきました。この時間帯は夫は仕事に行っている時間です。「ちょっと待って下さい!そんな大事な話、一人で聞けませんよ!」と、その日は来宅させず、週明けに夫婦揃って話を聞きました。もし金曜の夕方に来宅をOKしていたら「奥さんに書類を渡してお話したから、もう私たちの仕事は終わりました」と言うことになってしまうところだったのです。夫婦揃って職員たちから書類を受け取り長時間にわたって話をさせたのですが、「私たちはただこの書類をお持ちしただけで、反論があれば大阪府や国のほうへ言ってください」と言う言葉と、大事な子供が、しかも信頼して受けた予防接種で亡くなったと言うのに、たった数枚の紙に、さっぱり意味のわからない数行の言葉でその時はMMRとの関係を簡単に否定されたのです。その数日後大阪府庁に行きましたがここでも「私たちは国と市町村のパイプ役でしかない」と、ここでも冷たい態度と無責任なたらい回しをされてしまいました。その時に「息子のためにも、予防接種行政はこのままではいけない」と強く感じ、審査請求(国の決定への反論)の手続きとともに本格的な訴訟の準備に入り、平成5年12月24日裁判をスタートさせました。

 「被告国は全ての資料を出して、司法の判断を仰ぐべき」これが常識、これが当たり前の事なのですが、被告が資料の出し渋りをした事もあり、とても長い裁判になってしまいました。裁判の途中で審査請求の結果が出て、一転「行政上の認定」を受けたのですが、それでも国は裁判を断念しようとせず、判決で勝訴しても、全く自分たちの非を認めることなく、判決日の2週間後、ついに国は勝訴した2家族に対し控訴したと言う知らせを聞きました。「予想はしていたけれどやっぱりなぁ」という思い、そして国や行政の対応に対してずっと思う事は、「子供さんの健康のためには予防接種で怖い病気から守ってあげましょう」という言葉をただ信頼してMMRを受けたのに、一旦被害者となった者に対して、私達に対応した行政担当者は誰一人として人間味のある対応をしてくれなかったという事です。

 私達は、また裁判を続けなければならなくなりました。けれどこの事を前向きにとらえて「また、国に対して発言をするチャンスを得た。これから、少しでも多くの理解者を得て、前を向いて頑張っていけばいいんだ」と今は考えています。またこれから大変な思いもしなければなりませんが、二審では、現在裁判をしている3家族そして全ての被害者が報われる結果となり、また予防接種が本当に安全か、全て打って行かなければならないものか、と言う事も裁判を通して問題提起して行き、「子供の方を向いた予防接種行政」となるよう頑張っていきます。皆様のお力にまた頼らせていただくことにもなるかも知れませんが、更なるご支援をどうぞお願いいたします。                             平成15年7月6日

ワクチントーク・高槻の日によせて