A君の親から厚生労働大臣への手紙

 

私達は、平成元年10月25日に、MMRワクチンを接種し、65日後の12月29日に死亡してしまった  Aの両親です。

その長男の死亡後、予防接種の被害者救済制度に申請しましたが、約3年間待たされたあげく、結果は入院中の髄膜炎についてはMMRとの因果関係は認めるが、退院直後からの症状については認めないというものでした。私達は、その内容に納得がいかず、その前後にも、豊中市や、大阪府に交渉に行ったけれど、決めるのは国だとか、自分達はパイプ役だとかいう責任のなすりあいでまともにとりあってもらえず、平成5年12月24日に提訴にふみきり、今年の5月16日にやっと結審をむかえました。

私達の今の気持ちは『だまされた』という思いでいっぱいです。病気の恐ろしさばかりを強調して副作用はほとんどないと書いてある予防接種手帳・育児雑誌、それを支える予防接種推進派の医師達にです。

あのMMRワクチンを接種してしまい長男を亡くし、その後2回の流産のあと、やっとの思いで生まれてくれた長女(9才)次男(6才)がいます。この子たちは、何ひとつ予防接種を受けていません。それなのにこの子たちの方がよっぽど元気に、スクスクと育っています。母子健康手帳の予防接種の記録のページを見てもこの元気な子供たちのは真っ白です。死んでしまった長男のページは「ツベルクリン・BCG」「百日ぜき・ジフテリア・破傷風」「ポリオ」そして「麻しん・風しん・オタフク(MMR)」の欄に、何年・何月・何日に接種されたと記録が残っています。彼の生後4ヶ月頃の日付から最後に受けたMMRの平成元年10月25日まで。

亡くなった長男は、はじめMMRの中のおたふくかぜのワクチンのために、無菌性髄膜炎にかからされ、3週間以上もの入院を強いられました。

「おたふくかぜ」なんて…。長女が幼稚園の年少の時、園ではやり、同じマンションに住んでいて、同じ組でスクールバスも隣りに座って一緒に帰って来てそのあと公園で遊んだその子が、次の日に発症しました。けれども、それだけべったり一緒にいたうちの長女には、全然感染していませんでした。小学校一年生の時にもはやりましたが、結果は同じでした。それに、その時幼稚園や小学校でおたふくかぜにかかってしまったお友達も、誰も髄膜炎になったとか、入院したとかいう事はありませんでした。

おたふくかぜワクチンなんて接種する必要があったのでしょうか?

おたふくかぜだけじゃなく、結核にも、百日ぜき・ジフテリア・破傷風にも、ポリオにも、はしか・風しんにも、長男を亡くすまでは接種してあたりまえ、それが必要、それが義務だと思っていた。これらの病気にも、何一つ長女も次男もかかっていません。

自分の子供を亡くすと言う大きな犠牲をはらい、とても悲しい経験をして、はじめて予防接種の「恐ろしさ」を知らされたのです。

なぜ、もっと早く「副作用が多発している」という事実を公表してくれなかったのでしょうか。

製造方法を無断で変更し、国家検定を受けていないワクチンを販売し、業務停止の処分を受けるなんて犯罪行為だと思います。人の命にかかわる事に、そんな事をして許されるのでしょうか。

誰のためのワクチンなんでしょう。予防接種なんでしょう。

副作用が何百分の一とか、何千分の一とか、何万分の一とか言われますが、一人くらいだったらいいんですか?その子が、その一人が自分の子供だったらという事を考えてほしいです。健康な子供にわざわざ毒を注射しなくても、病気になってしまったら、その病気を治すという薬を開発してほしいです。

今思うことは、病気よりも、営利のために作られたワクチンの方がとても恐ろしい。また、それを守ろうとし、副作用を家族の病気、他の病気のせいにしようとする、阪大微研、厚生省、それとぐるになっている医者達の方がよっぽど恐ろしいということです。何のための救済制度なんでしょうか?もっと子供たちやその家族の立場になって考えてほしいです。これが不必要なワクチンのために息子の命を奪われた私達の気持ちです。

これにつけ加えもう少し言いたい事があります。まず、亡くなった長男がMMRを受けさせられた経緯です。

生後1ヶ月の頃、豊中市の保健所から保健婦さんが体重を量ったり、育児の指導のために自宅に来られました。その時に.予防接種の表がのっている「育児のしおり」を持ってこられ、「予防接種、できるものから順番にやっていきなさいね」と言って帰られました。悪い情報を得る手段がなかった私は母子手帳や、市の広報、育児書などを見て、予防接種はみんながやらないといけない、それが義務だと思わされました。予防接種のスケジュール表までついている育児雑誌もあります。そして、副作用の事も多少は載っている…といっても、副作用の欄には、接種した部位が赤くなるとか、副作用はほとんどないとばかり書かれています。その育児書を参考にしながら、保健婦さんの言われた通り、順番に、集団接種のポリオ、BCGを受け、そして個別接種で3回受けないといけない「百日ぜき、ジフテリア、破傷風」の3種混合を近藤小児科で受けました。この3回目を受けて帰る時に、近藤小児科の受付で「次は、はしかやけど、はしかはもうMMRに変わったからこの問診表に書いて来てね」と渡され、平成元年10月25日に受けてしまう事になりました。豊中市の広報にもMMRに変わったように書いてありました。ここで私が言いたい事は、MMRを好きこのんで受けたのではなく、行政の力で受けさせられたのだという事です。

次に、そこの近藤医師が、予防接種を推進する立場で阪大微研とも強いつながりがある、また、予防接種の副作用を軽く考えていると感じた事を書きます。

長男が生後6ヶ月の頃、突発性発疹にかかり、診察してもらいに近藤小児科に行った時、「ぼくの友達がこの病気のウイルスについて研究しているから、この子の血液を使わせてほしい」と言われ、協力させてもらいました。そして、近藤医師は「痛い目さして悪かったから、これから有料の予防接種も全部“ただ”でしてあげるからどんどんやって行きなさい!」と言い、カルテの名前の欄に斜線を引いて、目印にしていると教えてくれました。他にもたくさん名前の欄に斜線のひかれたカルテを見せられました。

そして、この近藤医師の、うちの子がMMRを受けてしまった日の言動ですが、まず副作用の説明として「万に一人脳膜炎になる事があるが、そんなん恐がってたら予防接種なんかできひん!」と。そして「おたふくかぜの免疫がつくのは80%〜90%」とみんなの前で言われました。そして、うちの子の順番がきて、個別の問診の際、「その脳膜炎になったらどうなるんですか?」と質問すると、「ほっといたら治る!!」と言い放たれ「やっぱり、もうやめときます。」と言える雰囲気は全然ありませんでした。

この近藤医師は、本当にこの時点で、副作用は万に一人という情報しか得ていなかったのでしょうか?本当は、もう少し詳しく知っていたのではないかと思います。なぜなら、ちょうどこの日は厚生省から「慎重に接種するように」と通達が出された日だからです。

もう何日かでも早く、こんな情報を得ることができていればと悔やまれます。そして、行政を恨みます。この数日後に新聞に載り、親戚のおばから「副作用が多いみたいやから、やめときや!」と、電話がありました。この時にはまだ副作用が現れていなかったので、まさかと思っていた事が起こってしまい、こんな不幸な結果になってしまいました。

健康に育っていくことを願って、そして安全であることを信じて受けたMMRなのに…。接種する1ヶ月前の9月には、生まれて初めて行った東京ディズニーランドを、とても元気に走りまわっていました。それが、あの欠陥ワクチンのために入院を強いられ、一旦退院したものの、走り回れる元気は全然なくなっていました。

そして、因果関係として「インフルエンザが、インフルエンザが…」と言われますが、長女も次男も産まれてから何回かはインフルエンザにかかったことはあります。でもこんなに元気に生きています。100歩、いえ1000歩ゆずって、長男がインフルエンザにかかっていたとしても、ふつうの元どおりの元気な体なら、あんなに悲惨に血を吐いて死んで行ってしまうような事はなかったと思います。あのMMRにあんなに体を痛めつけられていなかったら。

1才代にかかりやすいといわれるはしかのワクチンと、3才以降にかかりやすいといわれるおたふくかぜや風疹のワクチンを混ぜてやろうとしたのがそもそも間違いのはじまりだったんじゃないでしょうか。そんな必要は全然なかったんだと思います。あんなワクチンはいらなかったんです。

12月29日という年末に、長男は逝ってしまいました。

ついさっきまで、にこっと笑って、暖かくて、やわらかかったのに…。数日後に迎えたお正月の空気の冷たさと寂しさは、今でも忘れられません。

子供たちは親の宝物です。社会の宝でもあるはずです。そんな大事な子供たちにされるワクチン、予防接種なのだから、もっともっと細心の注意を払って作り、実施してほしいです。

長男は大がかりな人体実験に使われてしまった、そんな気持ちがしています。

もう、こんな事が二度と起こらないよう、お願いします。そして、不必要な予防接種はやめてもらえるようにお願いします。

 

2002823