■ 母里啓子「意見書」

甲第A92号証

平成13年9月8日

大阪地方裁判所
 第23民事部 合議係 御中

(住所あり、略)
母里啓子

意 見 書

第1 私の経歴は別紙経歴書記載のとおりであります。経歴書にも記載してありますとおり、昭和51年7月以降、横浜市衛生研究所所員、国立公衆衛生院疫学部感染症室長、横浜市内の3カ所の保健所所長として公衆衛生の立場から感染症対策の研究に携わってきました。
 今般、平成元年4月に接種が始まりましたMMRワクチンについてその副作用に対する行政の対応は、当時から甚だ不十分であると考えており、当時厚生省の教育研究機関にいた一人として当時の状況を踏まえ意見を述べる次第です。

第2 予防接種について
 予防接種は、感染症の流行から子供を守るために利用されるものであります。MMRワクチンは、弱毒化されているとはいえ、生ワクチンを抵抗力の弱い子供に対して使用するものですから、一定の頻度で副作用が発症するのはある意味やむを得ないという考え方もあるかもしれません。
 しかし、予防接種は、一般の医薬品と異なり、健康な子供に対して使用するものでありますから、十分に安全性の確認できたものでなければなりません。しかも、子供の親としても、自然感染の場合は、ある意味で不可抗力に基づくもので、仕方がないとあきらめもつくのですが、予防接種による副作用は、発生すれば、それは人為的なものであり、後悔しても、後悔しきれないのが親の感情で、それ故、接種副反応許容範囲は、100万人に10人以下という意見もあるようです(甲A第47号証)。

第3 行政の対応についての疑問1−厚生省は、無菌性髄膜炎の多発を認識したとき何故接種を一時見合わせ、法によって権限の与えられている立ち入り調査等をして、その原因を探求しなかったのか。

1 MMRの副作用に関連して平成元年に厚生省は、3回予防接種委員会を開催し3回通達を出しています。以下、その要旨を記載します。
 9月10日、@無菌性髄膜炎が極めてまれに(10万から20万人に一人の割合で)発生している可能性がある。A今後ともMMRワクチンを推進されたい。
 10月25日には、@ウイルスが自然感染によるものかワクチンによるものかさらに検討する。AMMR接種後数千人ないし3万人に1人の割合で無菌性髄膜炎が発生している可能性があり看過出来ない。BMMRワクチンを慎重に行う必要がある。
 12月20日、@4月1日から10月31日までの間MMRワクチンを接種した約63万人のうち臨床的に無菌性髄膜炎と診断されたもの311名。この内222名についてウイルス分離を試み79名からウイルスが分離された。そのうちPCR法でワクチン株と判定されたもの60件。A以上の結果からMMRワクチンに由来する無菌性髄膜炎の発生頻度は数千人に1人。B頻度は、従来考えられていたより遥かに高い。C接種は、保護者から申し出のあった場合に接種する。
 このように順を追って書くとよく分かると思いますが、3回の通達内容は、当時の厚生省の狼狽をよく現しています。平成元年10月当時、厚生省は、自ら副作用情報を集めていないにもかかわらず、後述します前橋医師会が発表した副作用の発症率を下げるために、発症例を全国の接種者数で割って、発症率を算出し、出来るだけ副作用の発症率を低くしようとしていた意図が見えます。

2 当初のMMRワクチン接種の手引きに副作用としての無菌性髄膜炎に記載がないのは明らかですが、通常の専門家であれば、仮に製造承認前の臨床試験で無菌性髄膜炎の発症報告がなかったとしても、おたふくかぜワクチン接種による副作用として、無菌性髄膜炎が発症することは容易に予測できることであります。
 当時、厚生省薬務局生物製剤課課長補佐であった國枝卓氏は、製造承認時に無菌性髄膜炎の発症を予測していなかったかのような証言をされているようですが、私には到底信じがたいことであります。しかし、製造承認前の臨床試験で無菌性髄膜炎の発症例が無かったことを捜拠にされるのであれば、これだけ多くの子供に発症が認められた以上、「何故か」という疑問を持つべきでありました。

3 私としては、前橋市の副作用報告を知った段階で、早急にMMRワクチンの予防接種を一時見合わせるべきだったと考えておりますが、仮に、厚生省が、無菌性髄膜炎の発症を予測していなかったとすれば、前橋市の副作用報告は、より以上に一時見合わせるきっかけになったのではないかと考えられます。
 すなわち、予測していない副作用が、看過出来ない頻度で発生した以上、国民の健康に責任をもつ立場としては、より慎重に対処し、接種を一時見合わせ、被害の拡大を防止することができたのではないかということです。

4 何故、一時見合わせの措置をとれなかったかについては、種委員会の有力メンバーが推進したものであり、その人たちが自ら推進したMMRワクチンの接種を一時見合わせるということは自己否定であり、厚生省の職員も権威を理由に予防接種委員会の意見に安易に追随し、いくら副作用情報が厚生省に送られてもそれを活用する体制になかったというべきです。
 本来、予防接種行政は、国民の健康を守る行政であるべきなのですが、残念ながら我が国では、その点の認識が全くなく、一時停止の決断が遅れてしまったと言えましょう。

5 私は、上記室長に在任中の平成元年10月頃、群馬県前橋市の医師から前橋市のMMR予防接種の副作用情報を入手しました。
 前橋市も他の地域同様平成元年4月からMMRを導入しましたが、6月に入った段階で接種後に髄膜炎で入院した患者が3名いることが分かり前橋市医師会の戸所氏らを中心に調査が始まったことが最初と聞いております。
 そしてこの内1例の髄液からワクチン株おたふく風邪ウイルスが検出され、その内容が9月19日の日本小児科学会の群馬地方会で報告されています。
 戸所氏が10月25日に厚生省に持参された資料は、この裁判の中でも証拠として提出されていますが、4月から9月までの間、前橋市の接種数2022名の内、髄膜炎の患者さんは、8名です。約250名に1人という非常に高率の発症率です。
 私がここで言いたいのは、これらの症例は、高熱、頭痛、嘔吐、けいれん等の症状から病院に入院し、ルンバールを行い、髄液細胞数の顕著な増加を証明した者だけを症例として計上しており、無菌性髄膜炎の診断としては動かないデータだということです。
 前橋の先生方は、この問題に関心が深く連携も密接であったためにこれだけののデータを収集することが出来ましたが、全国的にみると、開業医は無菌性髄膜炎の発症すら予想していませんでした。
 従って9月、10月段階の発症数は、前橋市他極めて限られた地域からのものであり、実際には未報告の症例が数多くあるだろうと言うことは容易に稚測できたはずです。
ところが厚生省は、限られた報告数を全国の接種数と比較し、10万人から20万人に1人等とわざわざ正確な情報が報告されているにも関わらず、不正確な情報によって価値ある情報を薄めてしまったのです。
 予防接種の副作用について行政は、もっと敏感でなくてはならないと思います。新しいワクチンの導入については、副反応の発生が疑われた場合、あり得るという前提であらゆる可能性を考えるのがワクチンの使用を決定する立場からは正しい対応と私は考えております。
 もし重大な副反応であればまず情報を確かめる前にまず接種を中止し被害の拡大を防ぐべきでした。ところが実際にはその後何年も接種が継続されあらたな被害者が出ております。法律には、国に立ち入り調査の権限が与えられています。5年後に立ち入り調査をして、製造方法が変えられていることが判明しましたが、それは平成元年9月の時点でも十分可能だったと思います。
 これらのことが今回当時の行政の対応について、意見を述べようと思った私の気持ちの原点です。

第4 行政の対応の疑問2−せめてMMR接種から麻疹単味の接種に切り替えられなかったか
 MMRワクチン接種による無菌性髄膜炎とおたふくかぜ自然感染による無菌性髄膜炎とを比較すれば、前者では、1歳児、2歳児にその発症が備っているのに対し、後者では、3歳児以降において平均的に発症しています(甲A第13号証)。
 MMRワクチン接種による無菌性髄膜炎が、1歳児、2歳児で多発しているのは、おたふくかぜワクチンを1歳児への接種を義務づけている麻しんワクチンの法定接種と抱き合わせた結果であると考えられます。
 一方、自然感染による無菌性髄膜炎は、幼児が、保育所や幼稚園で集団生活することによって、おたふくかぜに感染し、それが原因で発症するためであります。
 従って、自然感染によるおたふくかぜの感染を予防する目的であれば、3歳児以降に接種すれば充分で、あえて麻しんワクチンと抱き合わせて接種する必要性は極めて低かったと言わなければなりません。
 そのため国が麻疹ワクチンに有用性を考え、MMRワクチンの接種を見合わせなかったというのであれば、せめて予想していなかった副作用が生じた時点で速やかに単味接種に切り替えるべきであったしそれは十分可能であったと思いますが、結局大量に生産されていたMMRワクチンを初期の段階で中止するわけに行かないと言うメーカーの思惑が厚生省にも有形無形に影響したとしか考えざるを得ません。

第5 行政への疑問3一有効性は安全性に優先するのか

1 厚生省は、平成元年9、10月当時把握していた副作用情報によると、全ての副作用の程度は、軽微であった上、完治し、後遺症が残っていなかったと主張しております(曽我21)。このことがその後のMMR接種の継続を理由付けしたかのような表現です。
 確かに、当時判明していた副作用の大半は、完治していたかもしれませんが、いずれも軽微であったといえるかは疑問があります。
 厚生省は、後遺症がなかったということを大きな判断材料として軽微であると主張していますが、それ以外の要因をどの程度斟酌しているか全く不明です。自然感染による無菌性髄膜炎は一般に2週間くらいで完治すると言われていますが、前橋の当時の調査結果では、完治するまで3週間以上もかかった症例もあったようです(甲A第13号証)。また、平成元年12月20日開催の伝染病予防部会に提出された副作用情報に関する資料(乙第70号証)によると、2週間以内に退院しているのは、311例のうち13例しかなく、明らかに自然感染による無菌性髄膜炎よりも入院期間が長期化していることは明らかです。このように入院期間が長期化した要因の一つとして、MMRワクチンを抵抗力の弱い1歳児から接種したことが考えられます。

2 それとこの問題に関連して国は、本件訴訟において、おたふくかぜに自然感染した場合、重篤な合併症を発症する率が高く、そのため、おたふくかぜワクチン接種の必要性が高いと主張し、合併症の発症率に関し、MMWRを証拠として提出しています(乙第73号証)。
 しかし、MMWRの報告は、我が国における発症情報ではなく、我が国でその報告内容と同程度の合併症が生じていたかは、明らかではありません。
 我が国では、MMR導入前も一時停止後もおたふくかぜワクチンは任意接種であり、法定接種として使用されたことは一度もなく、MMRが実施されていなかった期間のおたふくかぜ単味ワクチンの接種率も低かったと思います。換言すれば、我が国において、おたふくかぜワクチンが法定接種にされなかったのは、その必要性が低かったからにほかなりません。

第6 行政のへの疑問4一海外の副作用情報を全く生かしていない。

1 昭和63年には、カナダオンタリオ州保健省では、占部株を含むMMRワクチンの接種により、数例の無菌性髄膜炎が発症したため、その使用がが禁止され、病院から在庫品を回収していますが、このような情報は、遅くとも平成元年9月の時点では、メーカーを通じて厚生省にも伝わっていたことでしょう。

2 また、私は、平成2年10月、カナダ健康保健省のウイルス製造部門の責任者であるコントレラス氏から、ファクシミリで我が国のMMR予防接種による副作用を教えてもらいたい旨の連絡を受けました。カナダのMMRワクチンも、当時、おたふくかぜワクチンについて占部株を使用しており、副作用が発症したため、わが国の情報を収集しようとしたのです。なぜ、私にこのような連絡が来たかといいますと、私は、平成2年7月、国際感染症学会に出席するため、カナダのモントリオールを訪問し、カナダ健康保健省の人と知り合いになったからです。
 私は、カナダからの問い合わせについて、どのように対処すべきか、当時の国立予防衛生研究所の杉浦部長に問い合わせたところ、私から直接回答するようにと言われました。
 そこで、私は、即日、前橋市医師会が調査したMMRワクチン接種による無菌性髄膜炎の副作用に関する記事が掲載されていた日本医事新報3441号の43頁「MMRワクチンが原因と考えられる無菌性髄膜炎について」(甲A第13号証)という日本語の論文をそのまま送りました。
 その結果、カナダでは、前橋市の副作用報告を知って、2カ月後の12月にはMMRのライセンスの取消と販売停止を決定しました。
 カナダでは、このように直ちに対処できたのに、どうして我が国では、できなかったのでしょうか。我が国の予防接種行政に携わる人が、中立の立場で、真に国民の健康を守るという意識に欠けているからにほかなりません。

以上

経歴書
昭和35年3月 千葉大学医学部卒業
昭和36年3月 インターン終了
昭和36年6月 医師免許取得
昭和40年3月 千葉大学大学院医学研究科微生物学修了・医学博士取得
昭和40年4月〜同50年3月 愛知県がんセンター研究所生化学部研究員
昭和45年7月〜同47年6月 カナダオンタリオ州トロント大学がん研究所留学
昭和50年4月 東京都がん検診センター隠床検査部勤務
昭和51年7月 横浜市衛生研究所細菌課勤務
昭和60年1月 国立公衆衛生院疫学部感染症室長
平成5年4月〜同12年3月 横浜市衛生局(3カ所の保健所長)
平成13年4月 医療法人敬生会介護老人保健施設やよい台仁施設長