<短期掲載>
参考資料


論文問題解法と
解答例比較法
★2001年国立大入試成績開示の意義と論文指導の新段階
@ 2000年6月19日の新聞各紙は「国立大学協会が2001年度より大学入試センター試験と大学別二次試験の得点や順位などを、受験生が請求すれば開示する方針を決めた」と伝えた。この方針は受験生の個人情報の自己管理の推進と評価され得るが、特に重要なのは二次試験の論文点数の公表決定である。

Aこれまで共通一次やセンター試験の点数を公開せぬために、受験生は大手予備校の自己採点集計を比較して二次出願校を決めていた。大学入試センターが個人点数と大学・学部別のセンター点数平均点や分布を公表し、大学側が出願日程を遅らせれば、受験生は間尺にあった出願が可能となる。

Bだが点数化が単純なセンター試験は受験生の記憶復元での推計が容易で、各人の記憶違いも母集団が大きければ殆ど問題とするに当たらない。実際に三大予備校の集計は多少の高め・低めの傾向はあるが点数は近似し、大幅なズレや逆転は殆どない。大学入試で評価点が不透明で受験生泣かせだったのは、増大一途の論文試験だった。この点では論文点数の公表は受験生と教師にとっての朗報だ。

C論文試験も入試科目であり、点数化されて合否が決まる。だが採点基準も評価点も公表されなかったために、論文指導法も指導内容も採点方法もスタンダードが確定されなかった。その結果、資料文を読んで感じたことを掘り下げろ、資料文内容を自分の得意分野と関連付けろ、資料文に対する賛否をまず示せ等々のピント外れの指導法が横行し、合格生徒以下の解答例が流布され、恣意的な印象採点がまかり通る。手抜き指導で論文力は伸びず、受講生の合格率は下がる一方だ。

D私は駿台論文科創設の志を受け継ぎ、設問別の科学的論文解答法の確定と、復元答案比較による良否評価を推進してきた。承知のように講師指導法や解答例の相互比較を伴う神津方式は、教授権侵害だとして手抜き派連中に排斥されてきた。
その結果が、私を解雇した後の駿台論文科の文系難関校の合格実績急低下だった。
他方でその後の極少人数の自主講習会でも高実績を維持ている神津方式は、文T後期94年の丸山真男が指摘する先駆的異端盲説の宿命だったとも言えよう。

E2001年よりの国立大の論文試験の評価点の開示は、論文指導におけるルネッサンスとなる筈だ。受験者の評価点と復元答案を集めれば、答案の優劣評価から採点基準の細目が分かり、ひいては講師解答例や指導法の適否も明確化する。神津が当ホームページで主張している、設問別解答法確定と解答例良否比較の論文指導法スタンダード確立の前提条件が揃うわけだ。逆に生徒が大学側評価点と合格実績に敏感になれば、ホラだけ得意で実績の伴わぬ手抜き派はアウトだ。

Fだが論文採点の不透明性は、実は大学側にも内在している。97年度東大文T
後期で、十数通の復元答案中でトップ評価の受験生が落ちた。この生徒は論文T(英論)復元答案もトップ評価だったため、まず東大学長の蓮実重彦に公開質問状を出そうとの話となり打診まで行った。しかし本人からSFC入学後に「もういいや」の声が出たので、入試成績開示請求話は沙汰止みとなり職を賭して協力せんと考えた私も引いた。論文成績が開示されれば、掛かる混乱原因はなくなる。

G97年の文T論文復元答案のトップ生は留学経験のある三〇歳代の社会人だが、この年には字数が半分程度の現役生が合格している。また98年にも答案内容の優れた浪人生が落ち、さほどでない現役生が受かる例があった。近年のどう考えても不透明な合否結果は論文科の手抜き派野合以上に論文指導への意欲を低減させた。2001年より 論文成績を開示すれば、大学側も匙加減を操作出来なくなる。誰にも分かるクリ アな基準が確立すれば、論文指導は急進展しよう。

★論文U(文T)対策の王道

*く文T論文出題の特色と問題点〉


 東大文Tの後期論文試験の出題形式は,制限時間は150分で1200字の思索型論述二題だ。文Tの形式順守は当初より一貫しており良い意味での論文出題のスタンダードが固まりつつある。後期論文8年目の97年出題も,思索型の直球的論文二題だった。(98年も同様)
 97年出題の特色の第一は出題分野の学部系統対応だ。本年の第1問は戦後日本の民主主義で政治分野,第2問は公平さの成立する条件で法律分野の典型的問題だ。文Tは法学部系であるが実際出題が法学部系とは限らず,2問とも学部系統対応となったのは5年ぶりだ。後期論文受験生は,社会科目の得意な者が多く公民選択で法学系の基礎分野もこなしている。合格レベルの受験生には,本年の問題は2問ともすらすら書けた筈だ。大学側には比較評価差の付きにくい問題を避ける工夫が欲しい。
 特色の第二として挙げたいのは出題分野のパターン化だ。8年間の16題を見ると複数のチームの交代出題システムが読み取れる。だが過去問全体を見通して類似出題を避けるチェック制度がないためだろうか,個別チームで最良問題を選んでも他年度問題とダブル結果が続出しているのだ。例えば本年の第1問の戦後日本の民主主義は,平成7年の自由と民主主義の関係と類似し,切り口は平成2年のナチズム下の知識人の動向に連動し,目配りは平成8年の日本的集団主義と対応する。また本年第2問の公平さの成立する条件は,平成4年の公平の意味と類似し,目配りは平成7年のグローバル・エコノミーと米国国益主張の関連に対応する。受験生に裏を読まれるようでは出鹿のプロの名がすたる。系統的な出題チェックが必要な時期だろう。
 上記の特色を踏まえると,文T後期論文対策の大道は社会科学の入門的知識の充実と,社会事象への幅広い目配りと,特に過去問対策の徹底となろう。確かに本年答案を見ると冷静な客観評価では,論文対策の大道を歩んだ浪人生の方が概して出来が良い。だが最終合否では答案比較評価と外れた残念な結果も出ている。論文対策は後回しのため設問要求に沿う構成が弱く解答字数7割程度の現役生が合格し,解答形式は整い問題意識も主張も明確な多浪生が不合格の事実があるのだ(論文Tを含め比較検討した上での論文指導のプロの目での判断であり,受験生本人了承分については復元答案の比較公開も可能である)。
 本年の多浪生不利の合否結果が意図的なものだとすると,長い目でみると中教審が進める大学の社会人への門戸開放に反する愚行であり,東大後期論文試験自体への信頼を揖ねる重大問題に発展しかねない。この点が結果的には97年文T論文入試の最大特色だ。
 大学側は疑惑指摘が不愉快なら慶大法のように評価項目を示し,現役優先の内規があるなら公開して欲しい。論文試験は学科と異なり唯一の正解はないが,大学側は誰にも分かる答案評価基準の定着へ向けての司法試験等の努力に学んで戴きたい。大学批判は予備校にとって本意ではないが,受験生の声を代弁しあえて一言した次第だ。

く論文の基本解法の確認〉

 高校まで正規の論文授業はないが,入試に論文試験がある以上は論文解答を書かねばならない。論文は大学内でのテスト・就職試験・資格試験の柱だが,驚くことに日本の大学には欧米のコンポジションに相当する論文構成法の授業がないのだ。〈論文とは何か・設問に対してどのように解答するか・解答のどこをどう評価するか〉を明示せず論文入試を課す怠慢に大学教員の傲慢は極まるが,論文試験を受けて入学を希望する以上は受験生は自力で論文解法を体得せねばならない。
 まず確認すペきは国語で扱う作文・感想文と論文の違いである。感想文は資料文を読んで感じたことをまとめ.作文は示されたテーマについて思い付いたことを並べる。だが「感じ」や「思い付き」は千差万別で評価には採点者の主観が加わるため,感想文や作文で可能な一般的評価は文章の巧拙に集中する。採点者の主観に左右される作文や感想文では資格試験や入学試験の客観性は確保出来ない。だが論文は特定問題に対して,自分の考え(=筈)を示し,第三者に説明する客観評価可能な文章なのだ。
 個人の考えの表明を求める論文試験は,学科試験と異なり唯一の正解がない。だが論文試験では(問題→解答→説明)の問題解法は誰にも共通で,解答内容の説明の筋道は誰にも分かる。論文試験の客観性は特定問題に対する解答成否と内容良否の比較評価可能性に担保されている。論文には唯一の正解がないが評価を主観に委ねる訳ではなく,寄観評価が可能だからこそ世界の試験制度の主流に位置しているのだ。その意味では論文学習の王道は論文構造の理解→設問別解法の習得→過去問等での答案作成訓練に尽きる。論文構成法には雄弁術→レトリック→コンポジションの伝統があり論文解法を外しての知識量や美文作成技術は論文試験突破には役立たない。
 (間→答→説明)の論文構造は相互批判や議論や合意や国際交渉の共通土俵であり談合・根回しの日本的問題処理を打破する最良の解決法である。だが論文とは何かを教えず論文試験を課す大学の姿勢は,教員間の相互批判を嫌い論文の客観評価を避け程度に依拠する大学の情けない現状の反映とも言える。戦後民主主義評価や社会的公平を出題する問題意識は科学的な論文解法と評価法を明示してこそ,大学内の開明的な相互関係に貫流し得るのではないか。論文入試は大学を国民に開き,実社会における能力評価の基準や国際社会における相互理解の糧となり得る知恵の宝庫の筈なのだ。

論文U(文T)

<150分・200点>

第 1 問

 下の文章を参考にして,“戦後日本の”民主主義について考えるところを1200字以内にまとめなさい。(句読点も1字として数える。)

 一九四五年,敗戦日本を占領した連合国は,日本の政治制度について(憲法改正を頂点とする)全面転換を進行させるとともに,政治原理として「文明と民主主義」の理想を宣布した。知識人・文化人と学校体系が解説普及する「民主主義」は,現人神天皇制を放棄した後の「精神的空白」を埋める世俗宗教として,数多くの(とくに青少年を中心とする)信徒を集めた。これに対して,堅気の生活者は民主主義を「みんなで仲よく」という秩序原理として理解し,秩序意識の伝統のなかに組入れた。ここで,「みんなで仲よく」とは前に説明した「内側の秩序」の秩序原理であり.第一に「集団一体」(勤め先集合体の正統性の承認),第二に「全員参加」〔参加の民主主義).第三に「全員一致」(採決の回避と全員の拒否権の承認).第四に「全員均霑」(分配の政治)を意味する。したがって,この世間常識のなかで具体化された民主主義の運用が「村内安全.現世安穏」という伝統的な信仰と結合し,「書きこまれたくない」平和主義と合流したのは当然のことである。そして.民主主義のこうした運用は,洋式政論としての民主主義が指令する内容,すなわち.個性の奨励と自由の保障.人権の確保と平等の尊重.国民自治と国民連帯の推 進といった内容とは必ずしも一致しなかった。
                              〔京極純一「日本の政治」より)
論文U(文T)

<150分・200点>

*第1問解答例+解説

   く出題資料〉 京極純一「日本の政治」1983年 東京大学出版会刊

<解説>
@著者:京極純一は1924年京都生まれの政治学者。軍隊復員後47年に東大法学部卒業。東大法学部教授を経て,千葉大で政治過程論を教え,後に東京女子大学長を務める。学徒動員中に入信した筋金入りのクリスチャンであり,保革イデオロギー対立に囚われぬ実証的な政治分析を貫徹する。ウェーバー理論による高知県の選挙実態調査をまとめた52年の「現代日本における政治的行動様式」で注目を集め,数量化理論を駆使した実証的研究で国際的評価を集める。思想分析を軸とする丸山真男学派とは別系統の,日本における実証的な近代政治学派の第一人者である。
 専門分野の主著に「政治意識の分析」「現代民主政と政治学」があり,軽いエッセイ風の読み物に「文明の作法」や映画評論家の佐藤忠男との共著の「学校と世間」がある。高見の見物のきらいはあるが,野合と談合による政・官・財癒着の日本的な政治業界人を批判し健全野党による是正に期待してきた。現状を直視し民衆と政治家の内的成熟による民主化を唱え,広く政治と教育全般に捗って啓蒙的発言を続ける。

A出典:政治家志望者は多いが政治学を志す者は少なく,政治学の書物の人気は薄い中で83年刊行の京極の「日本の政治」は異例の注目を集めた。同書は筆者が東大教養学部から法学部に移ってから12年間の,日本の政治過程論の講義ノートをまとめたものだ。選挙行動や政治意識変化などの専門研究が多かった著者の満を持した概説書として評判が高く,発売直後に20種以上の書評が出たという。
 「日本の政治」は政治構造・政治秩序・権力運用の理論と実際に広く目配りし,厳密な全体構成を確定して後に書き始められた理論書的力作だ。これ一冊で日本の政治の現状と問題点や理論的背景が分かる点では,大学教養程度の参考書にはぴったりだ。必要不可欠な項目は全て網羅してある系統的・体系的な著作だが,内容は従来の一般的な政治学の教科書とは随分異なる。最も特徴的な点は世界で最も進歩的な憲法下で本来の民主主義が何故育たぬかとの問題意識の持続であり.天皇制支配批判と同等の比重で戦後民主主義の問題点を掘り下げていることだ。

B資料文の引用箇所:出題資料の引用部は,第3部・5章・12節親心の政治過程・二分配の効果.[議会政の定着」の箇所の冒頭の「民主主義」の全文だ。項目内容を加味して詳細に説明すると(日本の政治における実際の権力運用の特色の第一は,親心と甘えの秩序意識に従い地元の面倒と票を交換する利の政治だ。戦後議会政治における政治家の役割は高度成長が生む富と文明の地域への再分配だが,この分配の政治の正統性の軸は洋式政論とは別の,堅気の生活者による「和」としての民主主義理解と伝統秩序への組入れだ)。

C設問把握:〈問→答→説明)の論文構造を押さえると,論文試験は主観重視の国語表現よりは数学の証明問題に近似する。正確な設問把握は妥当な解答提出と適切な論証の前提である。論文試験では同一の資料文と設問を示し,設問に対する同様な解答形式の土俵上で各自の考えを比較評価する。自分で勝手に問題や枠組みを作って主題を論じても相対比較評価はできないから,設問要求と外れた答案や資料文と無関係な解答説明は当初より合格対象外なのだ。150分で1200宇を2聞書き上げる文T論文では,正確な設問把握は合否評価の大台に乗る必須作業であることを肝に銘じること。

 第1問の設問文を読者の便を一義にして整理すると「A下の文章を参考にして,B‘戦後日本の’民主主義について,C考えるところをまとめなさい」となろう。設問スタイルは〈A資料文を参考にして,Bある事柄について,C自分の考えを述べる)論文入試の基本形式に沿っている(Bの「‘ ’」の不自然さには後に触れる)。
 設問文自体に誤解の余地はないが,自分勝手な甘い解釈が多いので何度も説明する。
 「A下の文章を事考にして」の指示に答えるに,参考にしたことが第三者に分かるように解答の中で明確に示す必要がある。通常はB主題に引き寄せた筆者の考えの道筋やポイントをまず示し,それに触れつつ論述を展開して行く(もちろん資料文の単純要約は不要だ)。だが模試でも講習でも自分の頭の中で参考にした,論述のヒントにした程度の甘い設問理解が余りに多いのだ。答案に書かれたことが解答の全てであり,誰もが「参考にした」ことが分かる必要があり採点者に推測を期待するのは筋違いだ。
 「B‘戦後日本の,民主主義について」は,論述主題の特定指示だ。Aの参考指示を含め,解答文全体をこのB主題に集中して構成する必要がある。「〜について」との設問は主題は示されているが,それをどのように書くかの切り口は特定されていない。この場合は,Bとは何か・何故そうなのか・何が問題か・どうすれば良いか等の具体的な問を自分で作成し,自問自答しつつ解答構成して行くのが王道だ。
 なお本設問でまずいのは「‘戦後日本の’民主主義」と言うあいまいな対象指示である。資料文には‘戦後日本’の語は出てこぬが,内容的には明確に戦後日本の民主主義の二色の章容差を述べている。また「戦後民主主義」は既に社会に定着している一般用語だ。これらを配慮すると「B′筆者の言う民主主義について」とするか,前文で資料内容に触れ「B′戦後日本の民主主義について」とするか,前文で日本の民主主義には様々な考え方があるとして「B′いわゆる戦後民主主義について」とすれば,戦後日本の− の「‘,」をどう扱うか等の真面目な受験生の困惑は避け得たのである。
 「C考えるところをまとめよ」とは自分の考えを述べる論文を書けとの端的な指示だ。資料文の要約や,資料文を読んだ感想や,テーマを見ての思い付きでなく,他人に内容を説明し説得でき他人からも批判可能な自分の系統的な考えを述べよと言うのだ。

D資料文大意:資料文はCで見たように,日本の政治の特色としての日本の「民主主義」を説明した項目の全文だ。掟字数540宇の1段落のみの短文であり,読解に困難はない。だが用語が独特で説明に遊びが少ないので,論理の衝を読み違えると誤読する危険性がある。通常は論述主題を軸に論旨把握を行うが,設問の「‘戦後日本の’民主主義」は資料文全体のテーマであり,読解に格別の配慮は不要である。
 資料文を「参考に」する材料として,論旨の流れをチャート式にまとめておく。

「★連合国の戦後占領方針一a)日本の政治制度の全面転換(書法改正など)
       
 b)政治原理としての(欧米式)
 「文明と民主主義」の理想宣布一1)知識人・文化人十字接が普及する民主主義
               =天皇制放棄後の精神的空白を埋める世俗宗教
               →(青少年を中心に多数の信徒を結集)
 2)堅気の生活者にとっての民主主義=「みんなで仲よく」の秩序原理
     ↓(日本の伝統的秩序意識に組み入れ)
 「みんなで仲よく」の内容=日本社会の内側の秩序原理
  一)集均一体(勤類め先集合体の正統性の承認)
  二)全員参加(参加の民主主義)
  三)全員一致(採決の回避と全員の拒否権の承認)
  四)全員均露(分配の政治)
 3)世間常識のなかで具体化された民主主義<上の2)の一〜四>の運用
  一)十伝統的信仰(村内安全,現世安穏)
      一上の1)の運用の「巻き込まれたくない平和主義」と合流
  二)「洋式政論としての民主主義」<=上の1)の>学校的民主主義とは不一致
     
「個性尊重と自由保障・人権確保と平等専重・国民自治と国民連帯などの理想」

★復元答案類のなかで誤読が多いのは後半3)部分で,生活者的「みんなで仲よく」民主主義+村内安全意識一巻き込まれたくない平和主義(=学校的民主主義の運用)へ合流したとの論旨理解だ。最も誤読が多かったのはラスト部の「洋式政論としての民主主義」が何なのかの筋道だ。制度と理想,民主主義理念の普及と運用などの対比項を押さえ,指示内容を見れば「洋式政論としての民主主義」とは憲法が示す学校的民主主義と推潤できる。最終文は戦後日本の生活者的な民主主義の運用と,欧米的普毒的人権・憲法理念(の学校的解釈)との不一致をまとめている。じっくり考えてみよう。

E資材文背景と出題意図:日本で民主主義思想は戦前から紹介されており,吉野作造が民主主義の日本化を目指して考えた民本主義は大きな影響力を持った。だが大正デモクラシーは主に知識人・学生の啓蒙運動であり,民主主義は戦後憲法により制度的に保障された。庶民にとっては文明開化と同様に外部から鴇入された民主主義理念はなかなか定着しないが,民主主義を掲げる集埼運営は児童会や町内会から組合や株主総会,更に各種議事から国会まで富徹している。そこで理念と運用が食い違う特異な戦後民主主義の評価は,繰り返し議論されてきているのだ。
 日本の民主主義については様々な評価があるが,多くは戦後憲法と関連させた議論である。だが憲法が定める民主主義を普遍的原理として絶賛ないし維持を図る(戦後民主主義派)か,占領軍が持ち込んだ欧米的原理は馴染まず見直しが必要(民主主義批判派)といった一般的対立と,資料文の民主主義評価は土俵が異なる。京極は新憲法制定への制度的転換の評価と民主主義の受容を区分し,後者の戦後憲法下の民主主義の受け止め方の違いに着目する。憲法は国の基本法であり制定後50年も経ており,日本の政治を分析するには憲法を前提とする議論の方が当然ながら実効的である。
 戦後日本における民主主義の受容の違いの指摘も多いが,殆ピが定着の歪みの指摘と啓蒙の必要の議論である。つまり憲法は普遍的で崇高な民主主義を定めるが政府や財界の教育への圧力によりきちんと津透していない,書法を正しく理解しようの顆だ。筆者も民主主義の学校的な知識理解と生活者の日常的受容を区分するが,正誤評価を加えぬ点が特色だ。憲法知識は知識人・文化人・学生の方が,堅気の生活者より正確で関心も深いだろう。だが京極の拘りは知識人・学校集団も生活レベルでは「みんなで仲よく」の集団秩序に従っている事実だ。諸君も民主主義理念は習ったが,自分が主体となって実際に民主主義を運用した経験は皆無に近いだろう。この民主主義を巡る理念と実際運用の肉離れの直視が,本間の出題前掟と考えてよい。
 資料文では民主主義受容の検討には不自然な世俗宗教や伝統的信仰の語が出るが,クリスチャンの目からはそう見えるの顆だから無視してよい。前半の学校的民主主義が理想反為に止まり,生活者的な集団秩序の形で民主主義は運用されている論旨はすぐ分かるだろう。後半部は最終文に誤読の危険もあるが,きちんと資料文を論理読解すれば,憲法制定直後の二色の民主主義の流れのその後をどう考えるかが,本間の出題意図であることは明確となろう。

F解答構成への手順:資料文箇所は憲法制定直後の民主主義のあり方を,受容の二色の流れから述べる。諸君も小学校以来繰り返し婁法原理を学んだが,個人主義も基本的人権の専重も表現の自由も男女平等も平和主義も実社会では実現されていないことを知っていよう。戦後日本とは一般に二次大戦後であり,現在もその延長にある。とすると筆者の書く終戦直後の憲法受容の二色の流れと,現時点での害法理念と実際運用の差を付き合わすことが(戦後日本民主主義)を考える最初の糸口だ。
 欧米民主主義思想は軍国主義批判の原点として(丸山真男などの)知識人の内部に受け継がれていたし,戦後憲法は最も進んだ理想的内容だとの世界的評価を得ていた。戦後の学校教師は情熱を込めて「洋式政論としての民主主義」の普及に努めた苦だ。学校民主主義は着実に普及したが,なぜ世俗宗教化し青少年が信徒化したのか。移入民主主義は天皇制に変わる精神的シンボルになり得たが,社会へ着地する通路が見出し難かった。古い伝統的社会土壌に馴染まぬ理想は机上の空論で終わったのだ。
 学校で教える民主主義は世俗宗教化したのに,なぜ生活者的民主主義は社会的に定着し得たのか。移入民主主義は基盤のない個人主義理念としては着地できず,多数決の運用システムのみが伝統的な集団主義秩序に接木されたのだ。日本的なムラ社会では建前は飾りに過ぎず,内部利益確保を一義とする。内部利益確保には全員納得の分配(平等ではない)が軸で,議論は邪魔になる。そこで伝統的な集団主義的組織秩序に形式的多数決を加えた運営法が,生活レベルでの民主主義として定着したのだ。
 二色の民主主義の流れは,伝統的社会基盤への外来憲法理念の移植から生じている。この背景からは日本社会が洋式政論を血肉化し,生活者民主主義の成熟が国際的に認知される等の社会基盤の変動がなければ,二色の民主主義は変質しつつも残存する苦だ。戦後日本は驚異的な高度成長を遂げたが,その原動力は集団主義的民主主義による組織運営であり,豊かな社会の到来に伴い学校的民主主義は青臭い建前論となる。
 現に民主主義理念と運用が肉離れしている,日本の戦後民主主義をどう考えるか。洋式政論の学校民主主義を強化するとの論は,戦後五十年に捗る二重底の残存をどう解消し得るか,社会土壌への新たな通路を示さねば説得力を欠く。また生活者民主主義は異質だが組織運営に定式はないとするなら,根回しや談合が国際社会で通用するか,しない場合にどう対処するかを示さねば単なる居直りになる。また理念と運用はどういう関連にあるのかの切り口もあり,両者は並進せぬとの論もよいが,では現状でよいのか,どうするかに答えぬと現状肯定で終わってしまう。
 他に,天皇制と民主主義の比較・民主主義は欧米資本主義社会の理念・洋式政論の非欧米社会への移植は困難・西欧民主主義への同化は不要・憲法理念と運用の肉離れは政府の責任・集団主義的民主主義は集団運営者の隠れ薫・個人を専重せず民主主義の建前を教えても無意味・冷戦後には時代遅れの憲法は見直すべき・非民主主義的な現実をまず直視すべき,等の論も可能だ。だが戦後民主主義の現状と問題点(=民主主義理念と運用の肉離れ)にピントを合わせぬと,単なる政策論に終始する点へ特に配慮すべきであろう。

G解答良否比較について:論文試験は結果勝負の世界だ。論文と関連深い時事常識を示し書き方例の説明が面白くても,講師評価の基準は実際の解答内容だ。同様にいくら論文の考え方や設問別解法を学んでも,実際に書く努力を重ねないと筆力は伸びない。だが論文評価の軸は文章の巧みさではなく,設問に対する解答成否を前提として,解答内容の良否が比較される。論文力向上の鍵は自分の答案をまず書いて多くの答案と解答良否を比較する作業だが,論文解答の切り口は一律ではなく,本間のような「〜ついて」との問題設定型設問では解答幅は更に多様となる。
 既に解答良否比較の材料は十分に提出してある。本間では解説を前提に講師解答例3通・生徒復元答案3通を並べて各答案のプラス・マイナスの特色を客観的に示し,比較判断は読者に委ねることにした(なお論文指導責任の明確化を含め講師解答例は文責を明示した。生徒復元答案に付いては匿名希望者があったことと,大学側にいま手の内を示す必要もないとの判断から,ここではアルファベット表記とした〉。なお参考までにその他の復元答案骨子を8通まとめておいた。

(1)《青本執筆者・神津≫

 戦後日本の民主主義とは何か,筆者は次のように言う。占領軍は戦後政治原理を「文明と民主主義」に定め,学校で教える教科書的民主主義は天皇制放棄後の世俗宗教となる。他方で生活者庶民は民主主義を和の秩序原理として理解し,日本的集団意識に組み込む。かくして知識人・文化人・青少年が信奉する洋式政論的民主主義と,集団一体・全員奉加・全員一致の伝統に接木された世俗的民主主義は肉離れを起こす。後者の村内安全観の前者の自己防衛的平和主義への合流の指摘を含め,筆者の定義は現在も説得力を持つ。
 例えば授業では個人専重を婁法原理と教えるが,学校での生徒達の民主的経験は行事への集団一体の形式的参加に過ぎない。憲法を神聖祝する戦後民主主義者は,日本の遅れた現実を民主主義の未成熟と言う。だが洋式知識人が民主主義の理想を国民に教える啓蒙的発想では,正しい理念と歪んだ現実の構図は変わらない。本来の民主主義はあるべき理想ではなく,多数著聞の議論を介した特定問題の最適決定システムの苦だ。この視点こそ,戦後民主主義の学校的理念と集団主義的運用への分裂を克服する鍵だと考える。
 戦後日本の民主主義理念は国際関係に翻弄されてきた。米国占領軍は新憲法で平和主義を掲げ軍国主義壊滅を図るが,冷戦期に入ると西側陣営の役割を期待し,日本はこれに応じ再軍備への逆コースを辿る。独立後の55年俸制では革新側知識人や野党は平和憲法擁護を,保守党政府は日米安保推進を掲げる。だが革新側の本音は戦争に巻き込まれたくない平和主義であり,保守側は軍事負担の少ない経済的繁栄を目指していた。戦後日本の憲法論議は東西の冷戦主張に影曹され,民主主義を内化した世界構想は打ち出せなかった。
 戦後民主主義の運用にも問題点は多かった。庶民は筆者の言うように憲法理念へ関心は薄く,地域や職場の集団的安定を念じて保守票を投じた。戦後民主主義の主役は平和憲法擁護の労働者や学生だが,その組織は個人尊重なき集団主義で運用された。経済成長に伴う都市化は保守的地域基盤を崩し,バブル崩壊は「みんなで仲よく」の職場環境を奪った。他方で冷戦終結は革新的抵抗基盤を破壊したが,集団的民主主義は手つかずだ。戦後史の反省を踏まえると,日本の民主化実現には理念深化より集団民主化がまず必要だ。
 冷戦後の国際社会では,冷戦的国家主義は無意味化し平和主義の出番の可能性は高い。だが日本は理念を優先し運用を集団主義に委ねた愚を繰り返すべきではない。自由・平等・友愛の民主主義理念実現の鍵は,特定問題への各人の意見明示・相互批判・最適結論確定・協力的運用だ。日本社会にまず必要なのは,平和的相互交流の前提の,個人間の議論を介した集団の民主化制度の確立だ。日本は個人等量を基本に民主化プロセスを徹底しつつ,欧米的国家主義の相対化と地球規模での地域共同体構想提出に早力すべきである。  (30字×40行)
★自評★ 設問指示に沿い,戦後史・国際関係へも目配り広く主題考察を深めるが,材料を盛り込みすぎのきらいがある。

*解答例(2)く駿台講師・斉藤)
 戦後50余年を経て日本の戦後体制の意義が問い直されている。設問が求めるいわゆる戦後民主主義の評価・考察もその根幹に位置付けられる。こうした検証では1945年が歴史上の結節点として有する意義への判断が必要だ。資料文は連合軍が政治制度の全面転換と日本国憲法を頂点とする民主主義原理の理想を宣布したとする。それを知識人や文化人は天皇制に代わる現世宗教として受容し,学校体系を通して布教した。一方,一般大衆はそれを伝統秩序に組み入れたと言う。筆者は1945年は米国による外形的な政体や制度の変更に過ぎず,社会意識の内的転換の契機は欠けていたとの前提に立つ。
 確かに筆者前提では戦後民主主義が西欧と車離して,集団調和と一体化した点の説明は容易だ。だが,すペてを伝統と文化に解消したある種の諦念しか今後の方向として示せない。天皇制下での大戦の悲惨な結末を真華に受けとめ,民主制下での平和国家を希求した大衆の心性には戦後を画期とする意味があったと考える。むしろ転換をなし崩しにした経過の考察が現状の民主主義評価の前提だ。  
 戦後の民主化と資本主義の健全化は日本社会の基層に届きつつあっ
た。農地解放や労働運動の高揚は個人や人権の内発条件だったはずだ。だが,その方向を歪めたのは冷戦激化による占領政策の転換と主権回復後の安保体制下での社会の硬直化だ。冷戦を反映した55年体制下の自民党一党支配は工業立国と経済成長をバーターに民主主義を集団や企業の安定的成長原理へとすり換えた。又,経済成長に遅れて独立・自営の自負を失った農民の結束は,国策を頼んだ票と補助金の交換団体に堕す。国民大衆は一定の生活充足で民主主義の変質を甘受し「国内安定」血中に埋没した。民主主義は個人を作れぬとの筆者意図は尤もで,民主主義を手段とする個人相互の自覚的競合が可変的に社会集団を進展させるのも確かだ。だが,日本社会の伝統を嘆くより,戦後民主主義の変質体験を直視して民主主義原理の再生への模索を全体認識として共有するべきだ。
 冷戦は終結し民主主義と資本主義の世界化は進行中だ。この世界史的転換を戦後の原点から見通す思想的深化が求められる。冷戦が枠付けた生活か個人・民主主義かの保守理念は失効し,国家・国民概念をも相対化する社会の多様化は現実となった。戦後民主主義を変質させた理念や条件が解体したのは自明だろう。だが,こうした事態に対応する民主主義の再生の道は違い。民主的自己変革に着手できぬ政党・政界への不信感は国民大衆を政治的ニヒリズムに近づけつつある。鳴りもの入りの政治改革への失望も根は深い。
 事態の打開には個人が属す日常的集団の民主化が必要だ。民主主義を政体・国家レベルに棚上げする遠巻きな観客こそが民主主義の原点から問われる。個人を起点とする民主的集団運営の積み上げこそが,世界と共に新状祝*解答例を切開できる方向だと考える。 (30字×40行)
★寸評★ 筆者の大衆民主主義批判をペンミズムとみなし,米国と政府による民主主義抑圧を批判。意欲的な論で格調高いが,実証性やや弱い。

*解答例(3)《駿台講師・奥津)
 戦後日本の民主主義という主題を論じるにあたり,まずはそれに対する私なりの評価を示しておかなければならないだろう。戦後日本の民主主義に対する評価の違いによって,筆者の指摘に対する私自身の見解の内容も異なってくるからである。
 仮に戦後日本の民主主義が社会や人々に対して大いなる繁栄と安定とをもたらしたと積極評価するのであれば,筆者の指摘は今後私たちが克服すべき対象にはならないはずである。しかし,私は戦後日本の民主主義を積極評価することはできない。その理由はいろいろあるが,とりわけ討論を通じた問題解決が社会に根づいていないこと,それどころか低投票率にも象徴されるように討論に参加すらしない人々が増えていることを私はあげたい。言うまでもなく討論は民主主義に不可欠なものである。それを回避しようとする傾向は,安全保障のあり方や原発など嫌悪施設の建設のように,合意形成が困難ではあるが解決不可避な問題の場合とりわけ顧著である。現在こうした問題が数多くあるはずだが,そこでは民主主義がまったく横能せず,いたずらに解決が先送りされてしまっている。
 戦後日本の民主主義がこのような事態に至った背景と克服の方向性を考える上で,筆者の指摘は大いに参考となるだろう。筆者は戦後日本の民主主義について,「知識人・文化人と学校体系」と「堅気の生活者」とに分けてそれぞれの特色を指摘している。さらに,そうした戦後日本の民主主義と対置される「洋式政論としての民主主義」の内容も紹介している。この指摘を受けて、「知識人・文化人と学校体系」あるいは「堅気の生活者」それぞれのあり方の変革を迫るというのも,克服の方向性の一つである。また,「洋式政論としての民主主義」の内容に,社会や人々をどう近づけていくのかを探るのも良いだろう。このうち,私自身は「知識人・文化人と学校体系」(「彼ら」)のあり方をどう変えていくのかを考えたい。
 筆者は戦後日本の民主主義を「世俗宗教」とも表現しているが,そ
のように民主主義をお題目にしてしまったことの責任は「彼ら」にもある。「彼ら」は民主主義の意義を十分すぎるほど知っているのだが,それを「堅気の生活者」の実感に合わせて語り伝え,実践することを怠ってきた。「彼ら」と「堅気の生活者」とのズレが,戦後日本の民主主義を風化させてきたのだ。「彼ら」のあり方を変えるというのは,学問や学校のあり方を変えることでもある。学問については,民主主義理論の探求と紹介だけにとどまるのでなく,“象牙の塔”を出て理論の実践方法を考え,行動することも必要になろう。学校については,民主主義のイロハを教えるよりも,自分たちで物事を決めることの大切さとおもしろさを子ビもたちに実感させる教育こそが必要である。こうした身近なことの積み重ねがズレを解消させていくのだ。    (30宇×40行)
★寸評★ 戦後民主主義の定義なく否定評価を述べ,特殊な筆者論に賛同する形のため,構成と論旨の流れにムリが生じた。知識人批判はよいが,3段の読解に難あり。

*解答例(4)《生徒A復元答案》
 戦後日本の民主主義は,青少年にとっては現人神天皇制の代わりとしての世俗宗教的存在であり,堅気の生活者には「みんなで仲よく」を実現するための秩序原理として理解された。筆者は,元来の洋式政論としての「民主主義」の内容と日本での「民主主義」の内容とが一致しない点を指摘している。政体というのはその国ごとの風土,歴史等の上に成立していくものである以上,必ずしも西欧と日本の民主主義が一致せねばならぬいわれはない。しかし,日本に民主主義が導入されて後50年たった現在,種々の問尭が露呈されている。世界全体も大きな変動の中にある。今こそ日本の民主主義は見直される時にあるといえる。
 敗戦後,アメリカの手により与えられた日本国憲法は,声高らかに新たな時代の到来を告げた。民主主義の理念も国民の議論を経ることなく国民の盲従を招いた。秩序原理として作用した民主主義は古くからの体制を温存することとなり,結局政・官・財は癒着しあい,もたれあいの悪習が残され続けた。制度的にはオープンであるはずの議会はきわめて閉鎖的であり,密室で国民生活を左右するような事例が決定された。もっとも,このような事態が多少なりとも日本をある程度までの発展に導いたのも事実である。
 しかし,長年に渡り隠し通してきたほころぴも,近年の世界的な変動の潮流に刺激されてか,様々な方面で表面化してきている。日本の政治は,今まさに一つの岐路に立たされているといえよう。55年体制の崩壊,多数の小党の分立状態,政権の目まぐるしい変化等,これまでの日本から考えると決して尋常ヒはいえない事態が続いている。投票率の低下や汚職事件の続出も加え,混迷をきわめる現状に対して,多くの批判がなされている。政治への無関心者も増加し,日本の今後への悲観論が渦巻いている。
 しかし,混沌とした時代というのは常に新時代を開拓するチャンスを秘めている。これまでに蓄積された膿を一掃するには,現在こそ国民が自覚を持って行動することが求められる。与えられたものに盲従するのではなく,もう一度自らの足下をみつめ直し,議論し,土台をつくり直さねばならない。論じあうことが「民主主義」を自らの制度として真に浸透させる第一歩である。論じあうことが可能な,個々の成熱が現状を打開するに必要不可欠である。   (30宇×33行)
★寸評★
筆者主張を枕に,戦後民主主義の歴史と問題点と克服案を述べる。断定的な論調だが,読解は正確で,構成は明快,論旨も明確だ。

*解答例(5)く生徒B復元答案)

 戦後連合国は政治原理として「文明と民主主義」の理想を宣布した。しかし,その「民主主義」は知識人・文化人と学校体系の中で,現人神天皇制を放棄した後の「精神的空白」を埋める世俗宗教となった。また堅気の生活者には「みんなで仲よく」という秩序原理と受け取られ,「村内安全,現世安穏」という伝統的な信仰と結合し「巻きこまれたくない」平和主義と合流した。戦後日本の民主主義は元来の内容である個性の奨励か自由の保証・人権の確保・平等の尊重・国民自治と国民連帯の推進といったものと必ずしも一致しないものになってしまったと著者は言う。
 民主主義とは本来,西欧において,君主独裁もしくは寡頭政治において民衆が抑圧され,不利益を受けていた時に,それを批判し,改善していくために生まれた思想である。そのため,人権の確保・自由・平等などが基本理念として強調されるようになった。
 では,現在の日本において民主主義はピのように受容されてきたのか。民主主義の理念が一薔強く表れる選挙を見てみる。日本の選挙では,特に田舎で,政治家は地元の利権と深く結びつき,人々は議論の良し悪しではなく政治家に対する義理なピで票を投じることが多い。人々は地元に利益を還元してくれるという観点で政治家を選び,国民自治や国民連帯といったレベルでものを考えることが少ない。また,学校においても民主主義の平等の理念ばかりを強くとりあげたため,個性の専重がおそろかになり,イジメなピの問題が多く起こっている。
 このような事態を考えた時,日本における民主主義が連合国が導入しようとした本来の民主主義とはずいぶんちがってしまったことがわかる。戦後民主主義の一番の問題点は,人々が戦後新しく入ってきた民主主義と自分の過去の思想体系とをひき比べ,自分の思考について深く考え,反省することをせず,民主主義を自らの内にある思想体系にあうように歪め,受け入れてしまったことである。そのため,民主主義の根本である個性の奨励・自由の保障・平等の専重などの中から今までの秩序体系に合うように平等のみが強調され,その肥大化し歪められた平等が他の個性の奨励などの理念を押しつぶすまでになった。この状態から抜け出し,日本の民主主義政治をよりよいものにしていくためには,人々が本来の民主主義の理念に立ち戻り,それに拠って,自分の中の思想体系をもう一度吟味し直す必要がある。    (30字×35行)
★寸評★ 筆者主事をベースにした無理のないすなおな論である。面白さにやや欠けるが,読解は正確で文章もすらすらと流れる。

*解答例(6)く生徒C復元答案)
 筆者は,日本の政治制度が敗戦によってそれまでの天皇制から,連合国の持ち込んだ民主主義へと全面転換したことに言及しながら,その民主主義が日本においては,欧米における民主主義の性格,即ち個人を専重し,自由や平等を保障していくものとして運用されたのではなく,日本の伝統的な「村内安全,現世安穏」を目指す平和主義や事なかれ主義と結合したことを指摘し,日本では民主主義本来の役割が必ずしも十分には生かされなかったと主張する。これを踏まえて戦後日本の民主主義について以下考察していく。
 そもそも民主主義は,欧州の絶対王政の下で生まれた自然法思想に基づく社会契約説がその思想の拠り所である。社会契約説は,人間が生まれながらにして自由・平等である権利を有していることを前提とし,国家権力を一人の王のものではなく,平等な個人の相互契約により形成されたものとする思想である。そしてこの考えを現実社会に適用する為に人々は市民革命を起こして参政権を勝ち取り,国民が政治の主体となる民主主義を確立した。即ち,欧米における民主主義は,人間が自由かつ平等であるという思想と表裏一体のものである。
 しかし,戦前の日本に確固として存在していた思想は,「国体」と
いうものであった。そして,これを制度面で支えていたのが「天皇制」である。ところが,敗戦によって天皇制は崩壊し,代わりに民主主義が連合軍によって肯入されたのは筆者の述べる通りである。その上で筆者はその日本の民主主義が本来の欧米のそれとは異なる方向に用いられたと主張するが,それは必然的なことであったのではないだろうか。
 何故なら,日本には元来個人の自由や平等という思想が存在して
はいなかったからである。個人主義や人権の専重という考え方の無い所に,それらを実現し保障することを目的とする様な制度を導入しても有効ではないことは自明である。よって,筆者の言う様に日本人が民主主義を現世安穏という考え方と結びつけたのは,その様な伝統的信仰を新しい制度を思想面で補強するものにしようとしたと捉えると,無理のないことであると言わざるを得ない。
 以上述ペた様に,戦後日本の民主主義は,その思想面が欠落した片手落ちの制度であり,十分に日本の政治や社会に生かされてはいない。この日本の民主主義に本来の働きを与えるには,国民一人一人が自由や平等の意味を問い直し,積極的に自らの手でそれらを守ろうとする姿勢が必要である。選挙への投票率が非常に低下し,民主主義の原則が形骸化している現在こそ,民主主義をその精神から考えてみることが大切ではないだろうか。           (30宇×38行)
★寸評★ 学科的知識を生かした現役らしい清新な論である。目配りは広いが,筆者意見とのつながりは弱い。

*〈他の生徒解答8例の段落別骨子紹介〉


(a)@筆者の指摘+コメント(洋式政治と一致する必要はないが,間焉が噴出している戦後民主主義の見直しは必要)一C戦後民主主義の特質(移入理念,議論なく国民は盲従,もたれ合い秩序)一H現状(世界の激軌55年体制崩亀小党分立などほころび拡大)一C対策(議会を介し新たな土台を形成)。

(b)@筆者の視点(戦後民主主義の流れのまとめ)一C戦後民主主義は集団的民主主義(筆者指摘はもっとも+α)一C諸外国とのズレ(環境問題など)−C数の暴力の危険(いじめ,差別の温床)一D議論活性化(学校でのデイベート導入など)。

(c)@筆者の指摘(戦後民主主義の特殊性)一A戦後民主主義の評価備入思想の定着としては秀逸)一C現状の問題点(伝統的部落差別と国際的閉鎖性)一C「みんな仲よく」の限界(「部落」を排除)一D閉鎖性の問題点憮着任体制)一是々非々の再検討が必要(「和」は生かし,問題点の克服を図る)。

(d)C筆者の指摘(流れの紹介)一C戦後民主主義の問題点(少数派の黙殺と多数派への賛同)一C個人意見の欠如(投票率低下など)一C個人主義充実(洋式政論の徹底)。

(e)@筆者の指摘+コメント(理念と運用のズレは今も続く)一H集団一体・全員参加・全員一致・集団主義助長一集団優位の全員均蕎の政治一C戦後民主主義の歪みは輸入憲法受容の歪み一(参拝式政論は普遍性あり 伯治訓練と経験で定着図る)。

(f)@筆者指摘+コメント(なぜ洋式政論とズレたか)一C生活者は大衆多数派(民主主義理念より経済復興が大事)一C外発的民主化の限界一C経済成長後の日本的集団秩序の見直しの動き一Dどうするか(教育を軸に内発的民主化を図る)。

(g)@筆者指摘一集団主義的民主主義の成果と限界一C国際社会では一国的な閉鎖的民主主義運営は限界→C国内的にも構造的腐敗一D戦後民主主義の長所を生かしつつ是正せよ。

(h)@筆者指摘は日本の民主主義理念不在を示す一C民主主義理念無視(政府の憲法無視政策,学校の集団管理)一H戦後民主主義は個人原理欠落し集団主義化一C集拭主義化の問題点と課題(知識人の責任,措置的腐敗があるが個人自立の動きに期待)。
★青本執筆者概評:(a)〜(d)が合格答案で(e)〜(h)が不合格答案だが,ポピュラーな問題なのでどれもよく書けている。細部読解より,論旨構成の明快さと説得力の差が合否を分けたようだ。

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