商品の詳細

商品番号 SS5
商品名
価格 売却済み
寸法 横  34cm
縦  27cm
状態  良好
作者 山田 無文(略歴等は末尾記載)

本紙

銘


山田 無文(やまだ むもん)

1900年7月16日 - 1988年12月24日
昭和期日本の代表的禅僧。
チベット探検で有名な河口慧海を頼って出家するが、あまりの厳しい生活に結核になってしまったというエピソードもある。わかり易い法話で親しまれた。

河口慧海に出家を申し出ると、親宛に「修家は承知ですか」と手紙が送られる。 それを聞いた父は、「裁判官にでもしてやろうと学校に行かせたのに」と怒り、 母は「ぼんさん(お坊さん)出さなあかん程、うちは世間に悪いことしてない」と泣く、 父は親交のある人相見に無文を診せると「この子(無文)は孤独の性だな、坊主か何かになるしかない」と言われ、無文に「好きにせい」と言い放つ。

結核時、無文には兄がいて、兄は結核で命を失う。 無文は闘病中の夏の日。縁側でそよ風に吹かれると、ふと考えた。 風とは何ぞや。 風とは空気。空気とは何ぞや。空気は自然。 その空気を朝から晩まで晩から朝まで、呼吸して生きている。 「そうだ私の後ろ盾には大自然が付いているんだ」と考えたら、寝てられなくなった。 そして、元気が出てきたときに、下手な句を読んだ。 「大いなる者に抱かれあることを、今朝吹く風の涼しさに知る」 南天の実が赤かった夏の日のことでした。(NHK-TVあの人に会いたい より)

経歴 [編集]
愛知県北設楽郡武節村(現・豊田市)に生まれる。
1925(大正14年)、臨済宗大学(現・花園大学)卒業。
1929(昭和4)年、妙心寺専門道場。ついで天龍寺専門道場で関精拙に参ずる。
1949(昭和24)年、花園大学学長。
1953(昭和28)年、神戸・祥福寺専門道場師家。
1964(昭和39)年、禅文化研究所所長。
1978(昭和53)年、臨済宗妙心寺派管長、花園大学名誉学長。
1988(昭和63)年、没。

著書 [編集]
「自己を見つめる」(禅文化研究所)
「坐禅和讃講話」(春秋社)
「むもん法話集」(春秋社)
「臨済録」(禅文化研究所)
「無文全集」(禅文化研究所)

ほか。


ウィキペディアを引用


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