商品の詳細

商品番号 KJ76
商品名 竹雀
価格 売却済み
寸法 本紙 幅   32cm
    高さ  40.5cm
総丈 幅   45.5cm
    高さ 130.5cm
軸先 象牙
竹内四郎極め箱
状態 良好
作者 竹内 栖鳳(略歴等末尾記載)

総丈


竹内 栖鳳(たけうち せいほう)
 
  1864(元治元)から1942(昭和17)

 京都の人。名は恒吉,字は高幹,号は棲鳳,後に栖鳳,踏春居,霞中庵主と号す。
 幼より画を好み,14歳で土田英林につき,さらに幸野楳嶺の門に入りて棲鳳と号す。
 第一回内閣絵画共進会に出品,以後各種の展覧会に賞多く,20歳から京都府画学校に出仕する。
 後に日本青年絵画共進会,日本絵画共進会の審査員となる。
 明治33年(1900)官命を帯びて欧州に美術行脚に出発,フランス,イギリス,ベルギー,オランダ,ドイツ,オーストリア, ハンガリー,イタリア等を回り34年(1901)に帰国,号を栖鳳とあらたむ, このころから独自の写生画風を開き清新な画風を以って「獅子」「和蘭の春」「古都の秋」等を発表す。
 第一回文展から審査委員となり12回文展まで続く。
 さらに京都絵画専門学校の教授として大正13年(1924)までこれに任ず。
 大正6年(1917)帝室技芸員を拝命,帝国美術院会員となる。
 大正9,10年中国各地を旅行,日仏交換展に「蘇州の雨」を出品しルクサンプール美術館の買い上げとなり,フランス政府からレジヨン・ド・ヌール勲章を贈らる。
 さらにハンガリー最高美術賞,ドイツのゲーテ名誉賞とうを受賞。
 さらに第一回文化勲章を受章す。
 わが国画壇の大家として功績多く,門下に多数の名家を輩出す。
 その画室のひとつを耕漁荘と云い,一つを霞中庵と称し,名作を多く遺す。


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