商品の詳細

商品番号 KJ119
商品名 寿老人・鹿
価格 売却済み
寸法 本紙 幅   28.5cm
    高さ  94.5cm
総丈 幅   31cm
    高さ 183.5cm
軸先 紫檀
合せ箱
状態 良好
作者 月僲(略歴等末尾記載)


月僊(げっせん)

寛保元年(1741年) - 文化6年1月12日(1809年2月25日) 江戸時代中期から後期にかけての画僧。
俗姓は丹家氏。 名は玄瑞・元瑞。字は玉成。 尾張国名古屋の味噌商の家に生まれる。

7歳で得度、玄瑞の名を与えられて浄土宗の僧となる。
10代で江戸芝増上寺に入り、「定月大僧正月俸」の号を賜った。
仏門修行の傍ら、雲谷派に連なり「雪舟十二代画裔」と自称した桜井雪館に画を学ぶ。
その後上洛して知恩院に住し、円山応挙に師事して写実的画風の感化を受けた。
また、与謝蕪村の影響も受け、さらに諸派に学んで独自の画風を確立した。

山水・人物を得意とし、人物の形影が寂寥としていることを特長とする。

誰に乞われても必ず画料を取るところから「乞食月僊」と世に知られた。

知恩院の貫主に懇願されて、1774年(安永3年)伊勢国宇治山田(現在・三重県伊勢市)の寂照寺を再興するために入山。

画名が高まり画を請う者が絶えず、巨万の富を積みさらに銭をむさぼること甚だしいため、譏る人も多かった。 しかしのちに寺の伽藍・山門を建て、経典を購入して倉におさめ、山道の改修・天明飢饉の施米・宮川架橋・文化年間の伊勢大火罹災者の救済などに尽くす姿を見せ、 人はみなその功徳に服すようになったという。

死に臨んで遺言し、窮身永代救済に千五百両を奉行所へ寄託する。

京都妙法院、愛知県岡崎市昌光律寺・寂照寺、三重県立美術館などに作品が残されている。
門下に立原杏所・亜欧堂田善・村松以弘などがいる。 「列仙図賛」「耕織図」「月僊画譜」などの作品がある。

ウィキペディアを引用

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