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2001年2月のお嬢(上)

2月10日 人と犬と

退屈な退屈な土曜の夕刻。
母と祖母と3人で、NHKのドキュメンタリーの再放送を見る。
引退する盲導犬と飼い主の最後の2週間を密着取材した番組で、
なんとまぁ、よくできた作品だった。
わがままも言わず、吠えもせず、伏せダコ(待っている間ずっと伏せているためできる)を
前足のひじに作っても、目の不自由な飼い主とともに生きる「レザン」の生活。
別れが近いのを悟ってか、歌手である飼い主が自分との最後のステージに立つと、
声が聞こえるのに離れているのが不安で、舞台のそでで小さな小さな声を上げた。
別れの日。
彼女の最後の仕事は、自分が余生を過ごす新しい家まで飼い主を連れていくこと。
別れの瞬間。
飼い主はその家のリビングで彼女に「ステイ」と言う。
しかし、そこにいろ、という最後の命令を、レザンはきかなかった。
玄関まで追いかけて、そして、そこで別れを覚悟して、それ以上は追わなかった。
飼い主もそんなレザンを振り返らずにしばらく歩いて、そして、立ち止まり、
とめどなく流れ落ちる涙を拭って煙草を吸った。
避けられない別れ、というのがある。
それにどう対処するか、どう立ち向かうか、どう乗り越えるか、どう受け止めるか。
犬だって悲しいし、犬だって悩むだろうし、犬だって寂しいし、犬だって辛いんだ。
レザンの目は逃げていなかった。立派だと思う。
私なんかより、ずっとずっと立派だ。

2月8日 古巣へ

支局が大好きだった。
愛してた、と言っても過言でないくらい、あの空間が好きだった。本当に。
だから辞めてから足が遠のいた。
別れた男に電話が出来ないような、そんな感じで。
…とかなんとか、わけのわからんおセンチを言っていても仕方が無いので、
イタリア土産を持って支局に2週間半ぶりに支局に顔を出した。
…とかなんとかいうのも言い訳で、実はやり残した仕事があっただけです。すみません。
恥ずかしいのと面倒くさいので、なかなか足が向かなかった、ただそれだけです。
支局は、何が、ってわけじゃないけれど、変わっていないようで、変わっていた。
電話を取るのも(←取るなってか)何だか申し訳ないような、照れくさいような、
でも、嬉しいような、いや、寂しいような。そう、寂しいような。
私が来ると同時に偶然、2年半前からのプロジェクトの終焉を告げる会議が始まって、
それはまるで、ここが私にはもう過去の場所であることを告げるような瞬間。
支局長が帰り際、残務処理をする私に「いまも全然違和感がないな」と一言。
あはは、とふたりで笑ってはみたけれど、もう戻れないふたり、みたいな空気が漂っていて、
なかなか面白かった。
たかが契約アルバイトの満期退職なのに、結構ドラマがあるもんだ、と思ってみたり、
またこんな就職が出来るのかしら、と思ってみたり。もう恋なんてしない的世界だわ。
文句ばっかり言っていたけど、好きだったのよ〜あなたぁ〜♪みたいな。
さてと、ふざけてないで、ゆっくり次のオトコを探そうか。

2月7日 いめちぇん

夕方から面接があるから、美容院へ。
ひょっとして、今世紀初かもしれない。いやぁ、ほんとに、ものすごくボサボサだった。
思えば、私が髪型に一番こだわっていたのは、中学生の頃。
あの頃は今みたいに太っていなくて、自他ともに認めるショートカットが似合う女の子。
毎月毎月、少しでも格好いいように、と試行錯誤しながら店に行くのが楽しみだった。
今もきっと、ショートの方が似合っているはずだ。実際短く切ったときはとても評判がいいし。
でも、なぜだかショートにするのは気が進まなくなってしまった。
年だから、とかいう理由はとてもつまらないと思うが、それくらいしか思いつかないのが辛い。
今の髪は、本当にどうしようもないくらい中途半端な長さで、
邪魔だというのに結べるわけでもなく、だからといって、パラパラと顔にかかって邪魔になって。
昔の私ならええい、と切っちゃうところだが、そんな元気もなくなって。
現状を壊すのが怖いというか、新しいことをする勇気が無いというか。それでも髪型は変えたくて。
そういうわけで、ストレートパーマなるものをかけてみた。
確かに外見は変わった。評判も悪くはないみたい。
でもやっぱり何か中途半端だ。
面接の途中に、生まれて初めてのさらさらストレートヘアが視界を何度もさえぎって、
ひっきりなしに髪を触りながら面接を受けてしまった。先方はきっと気分が悪かっただろう。
この就職を決めれば何かが変わるかな、とも思ったけれど、心は自然と断る方向に向いていった。
どちらが良かったか。いずれわかるだろうか。

2月5日 職安で

失業から2週間も経って、ようやく職安に行く。
イタリア行く前に行っときゃよかったものを、私は何より旅行準備を優先してたのだ。
こいつがまったく緊張感のない失業者だということは、窓口の人はすぐに見抜いたようで、
「まぁ、すぐにでも、ってわけじゃぁないんでしょ」などと言われてしまう。おっしゃるとーり。
こちらも、で、失業保険はいくらくれるのかしら、ってなもんで、気楽なもんだ。
周りには色んな表情の人がいるというのに。
さて。失業給付金というものは、どうやらすぐにもらえるものではないようだ。
2週間後に書類の書き方を習う「説明会」ってのがあって、そのまた次の週に書類を提出。
その日付は職安が一方的に決定し、こちらは参加の可否を問われることもない。
失業者は暇でしょ、就職活動より大事な用事なんて無いでしょ、という理屈なのだろう。
それで、失業認定がなされて初めて、正真正銘の「失業者」になれるのだ。
まったく、雇用保険は勝手に天引きされているというのに、もらうときのシステムの面倒なこと。
しかも、求職期間中、つまり失業給付金をもらっている間は、バイトもしてはいけないようだ。
就労したらその分手当が差し引かれるか、止められる。
毎日生きていれば、色々お金がかかることだってあるというのに。
夕方歯医者に行って、昨年末から治療していた左の犬歯がついに完治。
自費治療費と消費税を合わせた金額は12万6000円だ。
30万ほどあった退職金がたった2週間でスッカラカンさ。銀行は着々と空に近付いて。
しかし、そうはいっても、我ながらかなり裕福な失業ライフ。イタリアにも行ったしね。
自分は何に守られて生きているのかな。少し考えてみようか。罰が当たらないように。
そう思わずにはいられない、職安で見た人々の疲れ果てて濁った瞳。

2月4日 眠いったら眠い

コレが噂に聞く時差ボケというヤツか。
ほんとにまぁ、頭は痛いわ、気持ち悪いわ、胃腸は痛いわ、先月の腸閉塞が再発か!?
と思えてくるような症状。
昼も夜も眠たくて、起きれば内蔵が痛み出し、とにかく「具合が悪い」の一言に尽きる。
家族の中でただでさえ「失業中=ダラダラしてやがる」という図式が成り立っているというのに、
一日中寝ているモンだから、具合が悪いといっても、信じてもらえなさそうなところがこれまた辛い。
旅行中に高校時代の友人から、某出版社に就職しないか、という誘いの電話があったそうで、
家族揃ってさっさと電話しろ、ほれほれ、とつついてくる。
私としては、もう少し意識が戻ってから、などと思っていたのだが、せっかくのお誘いなのでご連絡。
なんだか結構急な話で、今すぐでも来て欲しい的お話に、一瞬ひよる。
パタパタと話が進み、3日後に面接ということになった。
パタパタと進む話は得意ではない。
時差ボケだからか、プー太郎だからか、分からないけれど、世間の空気をどれも「パタパタ」と感じる。
そういうわけで、なんだかこの話、断ってしまいそうな気がした。
なーんて、何でも時差ボケのせいにするなってか。

2月3日 無事、生還

イタリアから無事帰国。
スリにも遭わず、大変平和な旅でしたな。
ルフトハンザの快適な空の旅も、まったくもって結構でございました。
まぁ、疲れてないと言えば嘘になるけれど。
その証拠に羽田に向かうバスの中で爆睡をかまし、その上、酔った。
滅多に乗り物酔いをしない私が、久しぶりにクラクラしてしまった。
羽田に着いてからは、軽く日本蕎麦なんぞ食ってみて、また爆睡。
搭乗ロビーのソファを姉妹で占拠して眠る姿は、ホームレスも真っ青だろう。
これが時差ボケの序曲だとは、この時は知る由もなく。
あとはニアミスするなよ、と祈りつつ小松行きの飛行機へと足を運んだのでございました。