白山登山記



 山登りなんて嫌いだ。
 なのに登り始めてしまったからには、登りきらなくてはしょうがない。
 リーダーが、2本ある登山道のうちの険しい方を選んだため、
 引き返すくらいなら登り切った方がましだ、という消極的理由で登り進めるしかなかった。
 室堂までの5時間ちょっとの間に、3ヶ月分くらいの気分の変動がやってきて、
 途中の鬱の時期が、何より一番酷かった。
 私は山に来た自分を恨み、誘った彼を恨み、憎み、蔑んで、罵った。
 それを口に出せないのが、本当に辛かった。
 すれ違う人々が皆幸せそうな顔をしていて、それも恨めしくて、腹が立った。
 すれ違うたびに「こんにちはー」「こんにちはー」って笑わないでよ。
 そしていつものおきまりコースだが、そんな自分に一番苛立ち、悲しくなった。


 「5分」と言えば20分、「あとちょっと」は2時間くらい、と登山者の時間感覚は、
 私にはさっぱり理解できない世界にある。それに初めから苛ついていた挙げ句、
 室堂到着が遅れそうなので今日は頂上に上がれない、と言われたとき、本当に腹が立って、
 どうしてそれを先に言わないだの、頂上に行かなければこの苦労は何なんだだの、
 散々悪態をついた私は、まったくもって登山者失格、最悪である。
 この場を借りて、改めてごめんなさい、とお詫び申し上げたい>リーダー様
 だけど、歩くことが苦痛以外の何ものでもない私にとって、頂上を見ない登山なんて、
 何のご褒美もない、奴隷労働そのものでしかなかった。
 本当に、2人きりで登って良かった。他の人が居たら、私は絶対に潰れていた。


 室堂で遅い昼食。
 お湯を入れて15分で出来上がる白飯の出来上がりを待つ間、しりとりをする。
 「エロしりとり」でもない、ただのしりとりだから、永遠に終わらない。
 不思議と気持ちが落ち着いて、あとは、旨いのか不味いのかよくわからない、
 すき焼き丼を食べて、さほどゆっくりする間もなく、下山を始めた。
 …と、相方がこけた。
 丸い、両手の平に収まるくらいの石に足を取られ転倒、というか、飛んだ。
 飛んで転がって、頭から落ちて大きな岩にぶつかって止まった。
 丁度人通りが多く、20人くらいが、ワーとか、キャーとか、大騒ぎになった。
 けど、私は意外と驚かなくて、それは別に彼が平地でもよく転んでいるから、とか
 そういう事実も実際あるけれど、なんというか、私の習性で悲鳴とかが出ないのだ。
 どこかで、この人がここで死んだら、あたしはどうやって下山するのだろう、と思っていたり。
 幸い、眼鏡が曲がった以外は、ケガは軽く、頭もバカになっていないようで、下山続行。
 膝が痛み出して辛い。
 しかし、彼の鼻の下に貼った絆創膏がちょびヒゲに見えて、何とか気が紛れた。


 下山途中に日没を迎え、辺りは真っ暗闇となった。
 懐中電灯を忘れたので、頼りは月明かり。
 やがて星がひとつ、ふたつと見えてきた。
 そして、最後に吊り橋を渡って山から抜けたとき、見上げた空には満天の星。
 私は生まれて初めて、天の川を見た。


 こんな褒美が付くのなら、また登ってみてもいいかしら、とでも言えばいいのだろうが、
 そんなら、晴れた日の真夜中に登山口まで車で行けばいいよなぁ、とも思ったり。
 じゃぁ、今度は早起きして頂上目指そうよ、と言われると、それもそうかと思うけど、
 あんな酷い思いはこりごりだ、という気もするし。
 そういうわけで、今回のリーダー氏主催の登山が、3週間後にあるのだが、
 出欠の返事は未だ保留中である。
 はてさて。どうしたものか。


 余談であるが、登山中は尿意便意ともに催さなくなるんだそうだ。
 なるほど、確かに、そういやそうだ。
 下山後なにがどうって、互いの屁が臭く、車中で大変な目に遭った。
 ほんの数分前まで、天の川だよー、きれいだよー、と言っていた2人が、である。
 このギャップ。
 なんなんだ、いったい。


 登山とは、まさに、カオスである、ということで。
 再挑戦するか否かの答えもまたカオスの中にある。

 <完>