西安と敦煌の旅

令和195 木曜日 曇

「西安・敦煌・嘉峪関・張掖 シルクロードの旅 6日間」が始まった。1330分発の中国東方航空で上海に向かった。上空では江の島や淡路島、平戸などがわかった。上海は乗り継ぎで、バスで外を15分ほど走った。町はきれいに整備されていた。中国の都市内では戸建てよりもマンション住まいが普通だそうだ。1930分発の西安行きで、夜間飛行となった。上海の上空からは宝石を散りばめたような夜景を見ることができた。西安もきれいなアパートが並んでいた。その光景は社会主義とはすぐには結び付かなかった。町のネオンもきれいで、着いたホテルも立派だった。
この旅を通じて、私の中国の見方が変わったような気がする。それは社会主義は表現の自由が制限され、自由な選挙で国の代表を選ぶことができないというこれまでの固定観念の放棄を強いるものであった。

 
 
上海に着陸する。
 
上海市内をバスで移動
 
上海の宝石を散りばめたような夜景
 
西安空港に到着
 

令和196 金曜日 晴時々曇

西安での朝を迎えた。遣隋使、遣唐使が苦難の末にたどり着いた長安に今は一日で着くことができる。長安は秦、前漢、唐などの都が置かれた。日本から見ると中国のだいぶ内陸に見えるが、ユーラシア大陸から見ると相当東に位置している。そのさらにずっと東に日本がある。この辺りから日本を見るとなぜか不思議な国に思えてくる。朝食はバイキングで料理はたくさん並んでいて、さすがに中国だが、少し塩辛かった。おかゆがおいしかった。ドイツ国旗が吊られて飾られていた。近くの白人にドイツ人かと思って話しかけたら、ドイツ人ではなくニュージーランドからだった。午前は兵馬俑を見に行った。電動カートで入り口まで行き、1号館に入った。一番壮大で、広い所にたくさんの兵士が並んでいた。そのあと2号館、3号館と見て、銅馬車館にも入った。ここは大変な混みようだった。午後は玄奘三蔵がインドから持ち帰った経典を保存しているという大雁塔に上った。高さが64.7mあった。そのあと青龍寺にも行った。ここは空海が学んだ仏教寺院で、春には桜が咲くという。筆で署名をしてきた。19時55分発の東方航空で西安を後にして、敦煌に着いた。ホテルは日本の首相が4人も泊ったという敦煌賓館だった。

 
兵馬俑博物館前の飛天像
 
兵馬俑博物館の入り口
 
1号抗の入り口
 
1号抗の中に入ると広い所に多くの兵馬俑で圧倒される。
 
発掘の現場を博物館にした。

それぞれの兵馬俑の表情はみな違っている。 
 
2200年の時を隔てて、現代人に訴えかけている。
 
前列には兵士が並んでいる。
 
現在も一つ一つ形を整えている。
 
3号抗は兵馬俑の最高指揮部隊に当たる
 
2号抗で間近に見られる。
 
2号抗で見られる立射俑
 
文物陳列庁で見られる銅製馬車
 
もう一組の銅製馬車でサイズはいずれも2分の1
 
慈恩寺に建つ大雁塔。慈恩寺は唐の第3代皇帝高宗が648年に、「慈悲深い母の恩徳を追慕する」という意味で名づけられた。

 大雁塔から東を望む
 
大雁塔から北を望む

大雁塔から西を望む 
 
大雁塔から南を望む
 
大雁塔前の広場に建つ玄奘三蔵の像
 
空海が学んだ青龍寺
 
空海が日本で真言宗を創始したことを記す碑。
 
青龍寺にある空海記念碑
 
青龍寺から西安市内を望む
 
西安市内
 
敦煌賓館
 
敦煌賓館の飛天像
 
 

令和197 土曜日 晴時々曇

中国はケ小平の改革開放により経済的に発展した。13億の人口を抱えて、豊かになることは容易なことではなかったはずだ。現実に表面的にであるかもしれないが、この豊かさを見ると社会主義では人民を押さえつけてきたとばかりは思えない。自由民主主義とは案外相対的な程度の違いなのではないかと思えてくる。日本もアメリカも中国も体制は違っても自由や民主は何処も唱えているし、その差は理念の違いというよりも程度の違いではないのか。そうでなければ、この中国の発展を説明することが難しい。その国の人の満足度は果たして日本が中国よりも上位だと言えるのだろうか。日本の自由はどこまで謳歌しきれているか。3日目の中国が始まる。敦煌市内(動画)。ホテルで朝食を摂った後、午前8時にバスで莫高窟に出かけた。まず映像を2本見て、バスで莫高窟の入り口に着いた。8つの窟と2つの特別窟を見学した。像と壁画が素晴らしかった。特に壁画は一面に丁寧に描かれていた。最後に九層構と中の弥勒菩薩を見た。34.5mもあって、とても大きかった。昼食の後はラクダに乗った。思ったよりもずっと揺れていた。月の砂漠を行くように山の中腹まで登ってから下りた。そのあと近くの月牙泉まで砂の中を歩いた。三日月湖と調和して、古い楼閣が再建されていた。そこからまた市内に戻って、沙州夜市を歩いて、ホテルまで戻った。夕食後に再び夜の夜市に行った。灯りと人で賑わっていた。敦煌のシンボルの飛天像を見て帰ってきた。

 

 
莫高窟の近くまで来ると鳴沙山の東端に石窟が現れる。
 
莫高窟の入り口の門
 
莫高窟の中は撮影できない。
 
通路が整備されている。
 
楡の木が茂る。
 
それぞれの石窟の見学はガイドと順番に入場する。この三層楼の中に映画「敦煌」でも有名な第17窟「蔵経洞」がある。
 
壁画が見られる。
 
三層楼
 
石窟が続く。
 
九層楼の先端が見える。
 
九層楼は大雄宝殿と呼ばれ43mある。

九層楼の中には高さ34.5mの弥勒大仏がある。
 
莫高窟のシンボルになっている。
 
九層楼の近景
 
鳴沙山の中腹まで窟が掘られている。
 
九層楼の先端まで望める。
 
莫高窟を後にする。
 
河は砂でおおわれていた。
 
ラクダに乗る体験をしに来た。
 
砂漠が続いている。
 
月の砂漠の世界である。
 
ここのラクダは結構揺れた。
 
改めて砂漠の中を感じる。
 
ゆっくりと隊列をなして上っている。
 
いろいろなところでこのスローガンが見られた。2019年は建国70年に当たる。
 
月牙泉への道から望む。
 
月牙泉は泉が三日月のようだ。
 
月牙泉には古い楼閣が再建されていた。
 
風景になじんでいる。
 
きれいな幾何学的風景となっている。
 
この弧も芸術的でさえある。
 
敦煌市内の沙州夜市
 
敦煌は野菜や果物が豊富なオアシスである。
ラクダ体験(動画) 
 

令和198 日曜日 曇小雨

敦煌発103分の高速鉄道で嘉峪関に向かった。中国の高速鉄道は日本の新幹線と在来線の特急の中間といったところで、揺れもなく快適だった。敦煌を出ると草原が広がっていた。1233分に到着してすぐに嘉峪関観光に向かった。多くの人が来ていた。電動カートでの到着が遅れて、見学時間はわずかしかなかった。ここが万里の長城の西の果てということを感じた。再び嘉峪関の駅に戻って、午後239分嘉峪関発で354分に張掖に着いた。バスで七彩丹霞に向かった。4箇所の展望台から見学した。壮大な景色で地層が色とりどりで素晴らしかった。どこも独特な地形で地層の重なりが美しかった。最後は小雨が降り出したが、何とか天気ももった。中国の広さを実感した。バスでホテルに戻り、夕食にはワインを飲んだ。

 
敦煌駅
 
高速鉄道
 
新しい車両で綺麗だった。
 
嘉峪関の入り口
 
嘉峪関、万里の長城の果て
 
遠くに楼閣が見える。
 
嘉峪関の万里の長城は明の時代のもの
 
嘉峪関の外城に位置する東閘門
 
嘉峪関駅を出発する。
 
張掖に到着後、七彩丹霞を見学する。
 
かすみがかった色合いの地層が幾重にも重なっている。
 
   
   
   

令和199 月曜日 雨後晴時々曇

張掖で一泊した。河西回廊の中心で、明代にはマルコポーロも滞在した。朝830分にホテルを出発して氷溝丹霞に向かった。出発したときは雨が降っていたが、着いたときはすっかり上がって、晴れた。崩れやすい岩が侵食されてさまざまな形になっていた。遠くまで見渡せて、素晴らしい景色だった。電動カートに乗って、奥の方にも入っていった。さらに絶景が広がっていた。そのあと昼食をして、大仏寺を見ることができた。涅槃仏の大きさに圧倒された。張掖1545分発の高速鉄道で蘭州に向かった。はじめは一面の草原で、放牧がのどかそうに行われていた。モンゴルのような風景だった。蘭州に近づくとともに賑やかになってきた。2020分に蘭州に着いた。大都会だった。 

 
氷溝丹霞は奇岩の連続だった。
 
   
   
   
   
   
 氷溝丹霞(動画1)   氷溝丹霞(動画2)
 
大仏寺の入り口
 
大仏殿、中に涅槃仏がある。
 
体長34.5mの釈迦仏が横たわる。
 
背後に高さ33mのチベット仏教様式の金剛宝座塔(土塔)が立っている。
 
高速鉄道で張掖を出発すると広大な草原が広がる。
 蘭州へ向かう高速鉄道(動画)
 

令和1910 火曜日 曇時々晴後雨

2時半過ぎに目が覚めて帰国の準備をした。早朝440分にホテルを出発した。1時間ほどで空港に着き、720分発で蘭州を後にし、上海には1015分に着いた。空港でかなりの待ち時間があって、「地球の歩き方」を読んで過ごした。1720分上海発、羽田には2120分に着いた。無事に通関して京急線と都営地下鉄で千石駅まで帰ってきた。千石駅を出ると雨が降っていた。

 
蘭州から上海に向かう機内からは中国大陸の山並みが見えた。
 
上海上空
 中国はアメリカと貿易摩擦で渡り合っている。それだけ国力が付いている証拠だ。軍事力も相当なものだ。しかし国民の協力がなければ、どこかで国の崩壊があってもおかしくはない。その気配は現在のところ感じられなかった。それだけ自信に満ちているようにも見えた。資本主義か社会主義か、自由主義か全体主義か、民主主義か独裁主義か、日本が進んでいて、中国が遅れているとは必ずしも言えない。どちらがどうかわからなくなってくる。日本は資本主義で自由主義で民主主義で、中国は社会主義で全体主義で独裁主義で、それが現実の政治の上でどれほどの意味があるのか。政治に絶対はないように、制度の良し悪しも相対的なものでしかない。ラグビーでいう「相手へのリスペクト」が国家間でも最も大事なことであることは確かである。

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