モスクワとサンクトペテルブルグの旅 
 ロシアは、日本の45倍もの面積に1億4306万人が暮らしている。革命後に社会主義を経験し、現在はウクライナ問題などで欧米とぎくしゃくした関係が続いている。経済的にもBRICSの一員に属する新興国に位置付けられる。しかしモスクワとサンクトペテルブルグを旅した印象では、むしろ北欧の都市に近い洗練された先進国のようである。街にゴミはほとんど見られないし、欧州車や日本車が整備された道路を走っている。建築は装飾に満ちて、富の豊かさを感じさせる。その上に絵画や音楽などの芸術があふれている。 

平成26年6月22日 日曜日 雨後晴

 東京は雨の朝だった。テレビに三田線の一部区間が運転見合わせの表示が出ていたので、少し早く6時過ぎに家を出た。荷物の成田までの宅配サービスを利用できたので、手軽だった。日暮里からスカイライナーに乗れて、空港でルーブルの両替を済ませた。
 JAL441便は10時45分発、モスクワには16時に予定通りに到着した。マイナス5時間の時差なので10時間ほどかかった。シベリア上空で突然夜間飛行に入ったかのような雰囲気になったが、ウィンドウの明るさが調整されたようだ。ウィンドウの下にスイッチがあって、自分で明るくすることもできた。ウラル山脈を越えるとき、外を見ていたが、それほど高い山が連なっているようには見えなかった。ウラル山脈を越えると久しぶりのヨーロッパに入った。
 モスクワは気温が20度前後で晴れていて気持ちがよかった。昨日が夏至なので、白夜に近く、夜は11時頃まで明るかった。北海道のような雰囲気の白樺と針葉樹の森を見ながら、時々渋滞を経験しながら、ホテルに着いた。
 この日は特に予定もなかったので、近くのショッピングセンターの中を歩いて来た。そこで軽食に肉の具材が入ったクレープのようなものを食べた。初めてのロシアで、言葉も文字も分らなので、写真のメニューを指して注文した。明日のチップに必要なので、1000ルーブル札で、お釣りをもらった。

モスクワ・ドモジェドヴォ空港 


モスクワの空港から市街地へ

クレムリンの入口のトロイツカヤ塔


 クレムリンの中にある大統領府


大クレムリン宮殿


クレムリンから見るモスクワ川


ブラゴヴェシェンスキー大聖堂


元老院


クレムリン大会宮殿


モスクワの地下鉄のホーム


モスクワの地下鉄


百貨店グム


赤の広場


聖ワシーリー寺院


すずめが丘からモスクワ市街を一望
 

平成26年6月23日 月曜日 曇時々雨時々晴

 ホテルでの朝食は午前7時、ソーセージや卵料理があって、紅茶にジャムを入れて飲むのがロシアの飲み方だというので試した。後でわかったことがだ、ロシア人のガイドさんの話では、それは日本人の伝説で、ロシア人はそんなことはしないと言っていた。
 午前9時にホテルを出発してクレムリン観光に向った。モスクワでは信号も少なく、車はかなりのスピードで走っている。車はヨーロッパや日本、韓国製がほとんどで、市内の車線も多い。最も多いところでは片側9車線もあった。それでも渋滞も多く、市内に入るのにラッシュアワーと重なって、かなりの時間がかかった。雨は降ったり上がったりしていた。
 クレムリンはロシアの象徴で、中には数多くの聖堂や政府の建物があった。並んでセキュリティー・チェックを受けてクタフィヤ塔から入場し、近代的なクレムリン大会宮殿の前を進み、聖堂の間を抜けて、ダイヤモンド庫まで行った。中にはエカテリーナ2世に贈られたという大きなダイヤモンドなどが所狭しと並んでいた。戻るときはモスクワ川を上から眺めた。広場に出て、ウスペンスキー大聖堂の中を見学した。イコンで内壁が蔽われていた。その後、ブラゴヴェシェンスキー聖堂やアルハンゲルスキー聖堂などを見学して、鐘の皇帝、大砲の皇帝などを見たが、その大きさに圧倒された。
 途中でクレムリンをいったん出て、レストランで昼食を摂った。地ビールで乾杯した。
 午後は地下鉄を体験した。ホームは広く、彫刻などの装飾が綺麗だった。地下深いところに行くエスカレーターも早く、一駅だけ乗って、戻って来たが、もう一つの駅にはまた違った凝った装飾があった。
 再びクレムリンの中に戻り、武器庫を見学した。武器や鎧もあったが、衣装、宝石などロシアの豊かな宝物が並んでいた。
 その後、百貨店グムの中を通って、赤の広場に行った。石畳で、クレムリンの壁の上には元老院と大統領府が望め、中央の正面にはレーニン廟があった。その先には聖ワシーリー寺院が優美な姿を見せていた。
 クレムリンを後にして、すずめが丘にバスで上った。そこからは湾曲するモスクワ川の先にクレムリンが見え、市内が一望できた。一日中雨が降ったり、陽が差したりして、天気は目まぐるしく変わったが、観光にはそれほどの支障はなかった。
 夕食はボルシチ、ピロシキなどが出て、十分過ぎるほどのボリュームだった。ワインはグルジア産のものがあった。一日中たっぷり歩いたので、ホテルに帰ると疲れがどっと出た。
 

平成26年6月24日 火曜日 曇時々雨

 朝日が出ていたので、今日はよい天気かと思っていたが、急に小雨が降ってきたりして、昨日とあまり変わらなかった。 午前6時30分にホテルを出て、モスクワ・ドモジェドヴォ空港に向かった。ロシアの伝統的な風景の牧草地と森が続いていた。今日は渋滞もなく、空港には早く着いたので、売店を見て歩いて出発を待った。
 午前10時15分にモスクワ・ドモジェドヴォ空港を発って、午前11時55分にサンクトペテルブルグのプルコヴォ空港に着いた。上空からは森や湖が広がっていた。
 サンクトペテルブルグはロシア第二の都市で、人口は500万人、1703年に誕生した比較的新しい都市で、サンクトペテルブルグ、ペテログラード、レニングラードなどの名前で呼ばれていたこともある。レストランでヌードルの入ったスープとココモモのジュース、ロシア風水餃子のペリメニを食べた。綺麗な建物と運河、ネヴァ川が調和した清潔な都市だ。
 市内の血の上の教会を見学した。ロシアの後進性を改革しようと農奴解放令を発したアレクサンドル2世が1881年に暗殺された地に、アレクサンドル3世が父の死を惜しんで教会を建てた。中に暗殺された場所もあった。内部は壁面がモザイク画や油絵で覆われていた。シャンデリアも豪華だった。
 次にピョートル大帝をモデルにした聖堂の騎士像まで歩いた。結婚式の純白の花嫁が3組もいた。
 次に近くのイサク聖堂を見学した。外から見ても壮観だが、中に入るとモザイク画、天井画、建築方法を説明している柱模型など圧倒的な迫力だった。
 そこを出て、フィンランド湾に注ぐネヴァ川の運河クルーズを体験した。運河に架かる橋を抜けると広いネヴァ川に出た。トロバブロフスク要塞やトリツキー橋、巡洋艦オーロラ号、エルミタージュ美術館などが一望できた。思ったよりも寒かったので、毛布を掛けたが、約1時間のクルーズ中に雨が降らなかったので、船室には入らずに外で景色を眺めていた。
 船から降りて、土産物店に立ち寄った際にタタール人のガイドさんにソビエト時代について今はどう思っているのかを訊いてみた。社会主義の時代は働きにかかわらず、みんな平等だったが、今は自由がある代りに金持ちと貧乏ができているという模範的な回答が帰って来た。当時は旅行も自由にはできなかったという話もあって、やはり今の方がよいと思っているようであった。しかし今の格差社会を考えると社会主義のよさが見直されるときが来ないとも限らない。
 夕食は、サラダ、ワッフルの詰め物、鶏肉とポテト、アイスクリームとケーキのデザートで満足だった。せっかくロシアに来たのだからとウォッカを試した。
 ノヴォホテルに戻って、NHKワールドでワールドカップの日本戦を見るのが楽しみだった。

血の上の教会


教会内部にある1881年にアレクサンドル2世が暗殺された場所


教会の内部


イサク聖堂


イサク聖堂の内部


イサク聖堂の柱模型


運河クルーズ


トリツキー橋(はね橋)


巡洋艦オーロラ号


橋の装飾
 
市内を走るトロリーバス


大使の階段の天井


1812年祖国戦争の間に並ぶロシア将軍たちの肖像画


新エルミタージュのラファエル回廊


小エルミタージュの空中庭園


オーギュスト・ルノアールの《女優ジャンヌ・サマリの肖像》


冬宮から見た宮殿広場と参謀本部


ニコライ2世の図書室


日本美術コレクション


謎の美女?


正面階段


ミハイロフスキー劇場の入口


ミハイロフスキー劇場の内部


オーケストラ・ピット
 

平成26年6月25日 水曜日 晴時々曇

 日本対コロンビアの試合は夜中の午前零時から始まった。NHKワールドで見られると思っていたが、一向に始まらなかった。いろいろチャンネルを替えたりしているとスペイン語の放送で日本対コロンビア戦を中継していた。そのときはすでに日本が1点リードされていた。しかし前半終了間際で追いついて、後半に期待をつないだ。結局、後半は残念な結果に終わったが、一時は可能性を感じるところまで行ったので、よく戦ったと思う。今やサッカーを通じて世界の一員であることを実感する時代であるとロシアの地で思った。
 朝食は7時半、ジュース、コーヒー、紅茶など水分を十分に摂った。出発が遅かったので、数人で8時半から散歩に出た。ネヴァ川に向かって途中まで街を散策した。バスの中からとは一味違う街の雰囲気が直に伝わってきて、北欧の都市のようで楽しかった。帰りにコンビニ風の店によって、ジュースと菓子を買って来た。
 午前10時45分にバスでホテルを出て、エルミタージュ美術館に向かった。入場の予約が11時20分で、混雑している入口付近をすいすいと通過した。入口からすぐに大使の階段に突き当たり、その煌びやかさに圧倒されてしまう。撮影がフラッシュを使わなければ許可されているので、名画の前で写真を撮ることができた。皇帝の調度品、宝飾品、武器、衣装などが所狭しと展示されている。その後、印象派のコレクションなどを見て、カフェでランチにサンドウィッチとサラダを食べた。平日なのにヨーロッパ、アメリカからの観光客も多く、カフェを早々と退散して、自由見学に入った。日本美術コレクションを見ると、忠臣蔵の浮世絵や鎧など、数は少ないが他国にはない日本の美が溢れているので、人気があるのではないかと誇りに思う。今度はゆっくりと印象派などの絵画を見て、エジプト、ギリシャの美術まで6時間近く見学することができた。それでもじっくりと見学するにはまだ数日間を要するだろう。
 早目の夕食を5時30分からホテルで摂って、6時30分にホテルを出て、ミハイロフスキー劇場でバレエ『眠れる森の美女』を鑑賞した。着飾った紳士淑女と馬蹄形の5階建ての客席に期待が高まった。プロローグのオーケストラから素晴らしかった。チャイコフスキーのバレエ曲もこういう劇場で聴くのが最高だと思う。客席の5階ははるか上である。私たちは1階席の9列目でよく見えた。もちろんストーリーはおとぎ話が台本となっているので、わかりやすく、バレエもさすがに本場なので綺麗で素晴らしかった。オペラと違って言葉が入らないのがいい。幕間には2階のロビーで、高い小さな丸テーブルでシャンパンで歓談というのがここでのスタイルのようだ。日本にはそもそもこんな劇場はないので、この雰囲気はここでしか味わえない。終演は10時半だったが、外に出るとまだ明るく、日の入りもまだで、夕陽が当たっていた。街には外出を楽しむ人々で賑わっていた。
 

平成26年6月26日 木曜日 曇時々晴一時雨

 午前7時30分にホテルでの朝食、ヨーグルトがおいしかった。
 午前9時にバスでサンクトペテルブルグの南東25kmにあるエカテリーナ宮殿に向かった。青い外壁に白い円柱、宮殿を取り囲む金箔の柵などの美しい外観と贅を尽くした内装が見事だった。女帝エカテリーナ2世が夏の離宮としたものだが、第2次世界大戦で建物はドイツ軍に破壊され、復元されたものである。調度品の多くは疎開させていて無事だったという。庭も素晴らしかった。
 その後、バスで北西30kmにあるピョートル大帝の夏の離宮に向かった。スウェーデンとの北方戦争の勝利を記念して造られた離宮で、噴水、公園、宮殿が調和した18、19世紀の歴史的建造物である。金色の彫像群から滝のような噴水が迸り、その水が運河へと流れ込む。道の両脇から噴水が急に噴出して、子供たちが大はしゃぎをしていた。綺麗な菩提樹や白樺が映える林を抜けて、滝の水が流れ込む水路に沿って歩くとフィンランド湾に出た。バルト海に繋がっている。
 ここの船着場から高速船に乗ってエルミタージュ美術館の入口の船着場まで行った。35分ほどかかったが、サンクトペテルブルクの街がみるみる内に近付いてきた。その後お土産にバレエの油絵などを買って、レストランで夕食を摂って、ホテルには8時前についた。8時半前に数人と街の散策に出た。近くのショッピングセンターの地下でロシア限定の紅茶を買ったり、6階から内部を見学しながら下りてきた。レストラン、ブランド店などが入った洒落た空間のショッピングセンターだった。モスクワ駅を見学して、1時間ほどで戻って来た。


エカテリーナ宮殿


大広間


エカテリーナ宮殿の庭園


ピョートル大帝の夏の宮殿の庭園


大噴水と水路


大噴水


いたずら噴水


太陽の噴水


エルミタージュ美術館の前に行く高速船


ショッピングセンター


ミハイロコフスキー劇場のバレエのポスター
 
 
凱旋門


レーニン像


公園

平成26年6月27日 金曜日 晴時々曇

 朝、7時30分に朝食、9時30分にホテルを出発した。青空で大分暖かくなった。それほどの渋滞もなく、路面電車とトロリーバス、綺麗な菩提樹と公園、レーニン像などを車窓から見学しながら空港に着いた。サンクトペテルブルクを12時35分発、モスクワに14時15分着、モスクワを18時15分発で成田に向かった。

 
 

平成26年6月28日 土曜日 雨

 日本航空442便は順調に飛行を続け、午前8時35分に無事に成田に着いた。出国手続きをして、荷物を受け取って、その荷物の宅配をお願いして、スカイライナーで帰って来た。機内では余り寝られなかったので、昼にうどんを食べた後、少し寝てしまった。

日本航空442便 

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