秋の京都をポタリング
平成25年11月11日 月曜日 曇時々晴一時雨
聖護院近くの宿を朝8時半過ぎに出て、無鄰菴に向かった。途中で琵琶湖疎水を渡り、その流れに沿ったところに無鄰菴はあった。山縣有朋の別荘で、明治36年4月21日元老山縣有朋、政友会総裁伊藤博文、内閣総理大臣桂太郎、外務大臣小村寿太郎が日露開戦直前のわが国外交方針について協議した。 翌37年2月4日に日露戦争は始まっている。その部屋は洋館の2階に当時の姿をとどめていた。
無鄰菴の周囲は今では車が通るが、東山を借景として、ゆったりとした水の流れがある。山縣自らの設計・監督により造園家の小川治兵衛が作庭した。
 母屋と洋館

明治36年の会議が行われた部屋 
 
この庭は別名「虎の子渡し」といわれる。
南禅寺は禅宗の臨済宗南禅寺派の総本山で、およそ750年前の亀山天皇の離宮を禅寺としたものである。方丈の広縁から見る庭園は慶長年間に小堀遠州の作庭といわれる。前方には高さ22メートルの堂々たる三門がある。現在の門は藤堂高虎が1628年に大坂夏の陣で倒れた将士の菩提を弔うために再建したものという。ここに上ってみると京都の町が見渡せた。紅葉の木々と寺の屋根と町家などの住居が調和していた。

     三門から眺める京都市内
水路閣は現在も琵琶湖疎水が走っていた。貴重な明治建築でレンガ造りのアーチは古代ローマの水道橋をモデルにしたという。

    水路閣の上を流れる琵琶湖疎水
 
水路閣
 
永観堂の紅葉
永観堂は紅葉の名所として知られる。阿弥陀堂には小さいが、見返り阿弥陀如来として祀られている素敵な仏があった。 
 永観堂の臥龍廊
若王子神社の脇を20分ほど登ったところに同志社大学共同墓地があって、その中心に新島襄、左に八重の墓がある。その一角には徳富蘇峰、山本覺馬や権八の墓もあった。
 山本覺馬の墓
 
新島襄と八重の墓
 
哲学の道
哲学の道は永観堂の北にある若王子橋から銀閣寺橋まで延びる約1.8kmほどの散策道である。 琵琶湖疎水に沿って、紅葉や山茶花が楽しめた。
 橋の欄干からの眺め
真如堂は四季折々に美しいという。秋は紅葉が綺麗だった。念仏が聞こえていた。書院の奥に隨縁の庭があり、2010年に重森千青氏によって作庭された。
 隨縁の庭
 
真如堂の紅葉
 
金戒光明寺
金戒光明寺は浄土宗七大本山の一つで、山門、1605年に豊臣秀頼により再建された阿弥陀堂や法然上人を奉安する御影堂があり、日本三文殊の一つである中山文殊などもある。 幕末には京都守護職に任じられた松平容保公が入洛して、会津藩士らがここに本陣を構えた。
 金戒光明寺の山門

陽が落ちるのは速い。鴨川の河原を通って、京都駅に向かった。
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