岩屋城 いわや

 

【左:岩屋城本丸跡 右:二の丸跡 高橋紹運の墓】

太宰府市観世音寺・大宰府

築城:建武2年(1335年) 高橋鑑種

高橋紹運は、元亀元年に(1570年)

大友家重臣 吉弘鑑理の次男 鎮理で

高橋家の家督を継ぎ 鎮種と名を改め 号名を紹運と呼ばれた

天正十四年(1586年)九州統一目指す 薩摩の島津軍は

岩屋城を攻める。島津軍は

降伏を勧告 城主:紹運は拒否し

島津軍は5万の兵で岩屋城攻める

岩屋城は763名で防戦するが

岩屋城攻めて 2週間後

紹運は本丸で自害した 城兵は、逃げることなく

全員 討ち死にした

勝った島津軍は3700人の戦死者をだし

豊臣秀吉の援軍が、九州上陸し

島津軍は、撤退を始め 九州統一は夢に消えた