元寇防塁 げんこうぼうるい

 

福岡市西区今津・早良区西新

別名:要害石築地

築城:文永12年(1275年)以降 北条時宗

文永11年 蒙古軍は、対馬・壱岐の2島を襲い

同年10月19日博多に集結し 鎌倉幕府軍と戦う

戦いは蒙古軍優勢の中 少弐景資が

蒙古軍、副元帥 劉複亨を弓で射倒し、蒙古軍は

撤退 博多の街を焼き払った

その後、幕府執権 北条時宗が九州の御家人に

博多湾沿岸に20数キロメートルの石垣を築くように命じた

弘安4年(1281年)蒙古軍先鋒の4万の兵が再び現れるが

堅固な石垣に蒙古軍は上陸できなかった

10万の援軍との合流し 14万の兵で再び上陸試みるが

大型台風で蒙古軍は壊滅状態になる

その後、蒙古軍は、内部の反乱にて

日本攻略は諦めることになった