加藤 光泰

「陣内に残る腰巻土居】

唐津市鎮西町名護屋字飯塚

加藤光泰は、美濃の小豪族であったが 秀吉に仕え

関東平定後、甲斐国(山梨)甲府城主 24万石の大名となる

名護屋には、兵1000を率いて 釜山(プサン)警固を担当し

宇喜多 秀家の補佐を命じられ予備部隊に編入された

文禄2年(1593年)の夏。西生浦にて病没した。