織田 秀信

【頂上部、奥には石祠が祀られている】

唐津市鎮西町大字名護屋字麦原

織田秀信は、織田信長の摘孫で

天正15年(1582年)本能寺の変後 清洲会議にて

3歳で織田家継嗣に推された。元服後 従四位下侍従に任ぜられ

また文禄元年(1592年)年には、中納言に進んだ

織田秀信は、美濃国(岐阜)岐阜城主13.3万石で8000の兵を率いた

釜山(プサン)城の普請衆・軍役賦役課が認められる。