船匿城 ふなかくれ

【左:芦辺の港から撮影した 船匿城遠望】

壱岐市芦辺町箱崎大左右触

築城:不明

船匿城は、弘安の役(弘安4年:1281年)

鎮西奉行:少弍経資の子

少弍資時が、壱岐守護代として壱岐に上陸し

船匿城を居城とする。蒙古軍は

現在の勝本町の浦海海岸と芦辺町の瀬戸浦海岸から当時に上陸、

船匿城は囲まれ 城主 少弍資時はじめ守備兵は、皆討ち死にし 落城した

少弍氏が滅亡後 その後日高氏の領地となる

昭和56年に発掘調査した時に、おびただしい人骨が埋葬されていた

船匿城の石碑の横に将軍地蔵堂を建立し 供養した