大友義統陣跡

 

唐津市鎮西町石室

大友義統は、豊後国(大分)府内城 23・5万石の大名で

6000人の兵を率いて黒田長政と共に第3渡海部隊に加わり渡海上陸した

文禄2年(1593年)正月

明の武将 李如松(イルウスン)率いる5万の兵が

平嬢(ピョンヤン)に攻撃

小西行長率いる守兵1万5千の兵が多くの犠牲者がでた

小西行長は、黄海道(ファンへド)の鳳山城(ポンサンソン)まで

退却し、態勢立て直すつもりだったが

鳳山城の守りについていた 大友義統は、

小西行長の敗走を聞いて 無断で漢城(ハンソン・現ソウル)に

退却し、小西行長も漢城に退却した。

同年5月 大友義統は、無断逃亡の罪で

豊後の領地 全て没収となり 毛利家の預かりとなる