島津義弘陣跡

 

唐津市鎮西町波戸

島津義弘は、兄:義久の代わりに

大隈国(鹿児島):栗野城主 10000の兵を率いて第4渡海部隊として出陣した

船の手配に遅れ 朝鮮半島の上陸には、遅陣するが

遅れを挽回するほどの活躍をした

泗川の戦いでは明軍20万の軍勢を総崩れさせ

明軍は、義弘の事を 鬼石曼子(おにしまづ)と恐れた

秀吉の死後、総撤退の時には、自ら殿勤め

撤退に遅れてる小西行長を救出した

その後、紀伊 高野山にてこの戦いの

戦没者の供養塔を築き

敵味方関係無く供養した