岸岳城 きしたけ

 

【左:石垣 右:堀切】

唐津市相知町佐里

別名:吉志峰城 鬼子城 岸嶽城

築城:平安時代末期 波多 持

波多氏は、松浦党の祖 久の次男 持が波多郷を与えられ

独立した。壱岐まで勢力伸ばし 波多氏は17代まで栄えた

龍造寺隆信が波多氏の領域上松浦郡まで押し寄せ

隆信の娘 秀の前を波多 親の嫁に押し付けさせた

文禄2年(1592年)朝鮮出兵の時に

波多 親は、戦に積極的じゃなかった事に

豊臣 秀吉から領地没収となり筑波に配流となる

また、美人好みの 秀吉は夫の留守の間に

 秀の前を名護屋城へ招き

秀の前は、懐には短刀が入ってる事が 

秀吉の怒りに触れたと親を筑波に配流したと

言われている。その後 岸岳城は廃城となる