名護屋城 なごや

 

【左:名護屋城天守台跡 右:山里丸跡】

唐津市鎮西町

築城:天正19年(1591年) 豊臣 秀吉

天正18年(1590年)相模の北条家を滅亡後

天下統一をした豊臣秀吉は、朝鮮半島、明国の侵略を決意

寒村地 名護屋に大陸攻めの拠点となった

もとは、上松浦郡の領主 波多親の家臣

名護屋経述の城 垣添城だった

翌年1591年10月に普請 

翌年の文禄元年(1592年)の2月に完成し、渡航した

日本軍有利の中、快進撃続くが、明軍の援軍で

形勢は不利となり、停戦となる

停戦の交渉が決裂となり

慶長2年(1597年)再び兵を出兵する

慶長3年(1598年)太閤:豊臣秀吉が薨去し

日本軍は撤退し 名護屋城も廃城となった

名護屋城の大手門は仙台の伊達政宗が

諸櫓や諸門は唐津の寺沢広高に

瓦は、肥前平戸の松浦鎮信が移した