冤罪防止対策の研究

弁護士 小嶌信勝
kojima@law.email.ne.jp
筆者略歴

ホームページ開設の動機:

私、昭和25年4月、検事に任官し、昭和56年1月、最高検の刑事部長に就任したとき、「免田事件」「財田川事件」「松山事件」「徳島ラジオ商殺し事件」等の凶悪重大事件が、死刑等の判決が確定してから20年以上も経過していいるのに、再審事件として係属し、再審開始決定があったり、再審開始決定に対して検察官が抗告して、社会的な問題になっていました。

  私は、最高検刑事部長に就任するまで、凶悪重大事件は、すべて最高裁まで経ているので、冤罪が有罪になることはあり得ないと信じていましたが、死刑判決が最高裁を経て確定してから20年以上も経過しているのに、死刑執行がされずに、20年以上も経過しているというのは、余りにも異常なことに気づき、自ら、最高検に報告されいる前記事件の記録を検討し、関係地検に対して、所要の調査を実施しました。その結果、最高裁で有罪が確定した重大事件でも、判決確定後20年以上も経過している事件には、色々問題が多いことがわかりました。

 その調査がまだ完成していないときに、仙台高検検事長を命ぜられ、「松山事件」の再審開始決定に対する抗告審に直接関与することになりました。そこで、自ら、報道機関に発覚しないように変装して、現場を具に踏査した上、確定記録22冊、再審記録18冊計40冊を2か月間にわたって精査しました。その上、当時捜査に関係した職員について、すべて、当時の捜査経過について調査しました。その結果、重大な問題点が発覚しました。その内容については、守秘義務があるので、残念ながら公開できません。

それ以来、凶悪重大事件の冤罪について、検察官の正義感から、非常に興味が湧き、梅田事件、静岡の精薄者による婦女暴行・殺人事件についても、検討してみました。
 このような体験から、何時か、冤罪事件の防止対策について、研究しようと考えていましたが、昭和59年11月、検察官定年退官後、弁護士として予想外に多忙な日々が続き、16年も放念していましたが、昨年9月、最も信頼していた東京地裁で、事実無根の贈収賄事件が、予想に反して有罪になりました。私は、その弁護人ではありませんが、陰ながら支援していたので、その根本原因を探求したところ、前記免田事件等の凶悪重大事件と贈収賄事件とに、冤罪事件が有罪になった根本原因に共通するものがあることに驚き、老後に、何か世のため人のためになることをしようと考えていたので、余生を「冤罪の防止対策」の研究に捧げようと思って、このホームページを開設し、多くの実務経験者や学者のご意見を求めることにしましたので、何卒よろしくご支援のほどをお願いいたします。


冤罪事件防止対策について

第1、最良証拠主義の吟味 

 1,はじめに

 私のこれまでの経験によると、冤罪事件発生の主たる原因は、最良証拠主義によって警察・検察において収集された「被疑者、被告人に利益となる捜査資料」が裁判所に提出されないためであると確信している。従って、冤罪事件を防止する最大の方策は、捜査機関が収集した「被疑者・被告人に有利な資料」を裁判所に提出できるようにすることである。

 刑事裁判において、これを迅速に処理するには、最良証拠主義によることは良いことである。

 新刑事訴訟法は、被疑者、被告人のために、厳格な証拠法が規定されたために、警察では、最良の証拠しか検察庁へ送致せず、検察は、最良の証拠しか裁判所へ提出しないのが現状である。

 ところが、実際の捜査実務では、捜査の過程において、被疑者・被告人に有利な証拠も収集されることが多々あり、立証が複雑・困難な事件ほど多いのであるが、その被疑者・被告人に有利な証拠は、最良証拠主義のために、総て、警察又は検察の手元に保管されて裁判所へは提出されず、弁護人がその提出命令の申立をしても、提出命令の職権を発動する裁判官が殆どいないのが実状である。

 戦後現在まで、再審事件で再審無罪となった凶悪重大事件の大部分は、再審裁判では、厳格な証拠法の適用がないために、再審裁判所が検察に対して、いままで裁判所に提出されていなかった被告人に有利な証拠資料の提出を求められて、検察官が提出した結果、その中に被告人に有利な珠玉の証拠が存在して再審無罪となっているのである。

 本来、被疑者・被告人のために、厳格な証拠法が制定されていたのに、再審事件では、新刑事訴訟法でも、厳格な証拠法の適用がないために、被告人に有利な不提出記録が提出されて、再審無罪となっていることは、皮肉な現象である。  

 戦後、新刑訴が施行されてからまだ日が浅いころ、ある元代議士が起訴された事件で、自由法曹団の弁護士で有名な海野晋吉先生と法廷で対峙したことがあり、その法廷が終了した後、同先生が、「新刑訴の厳格な証拠法は、実務では、被告人にむしろ不利益に作用していることが多い。新刑訴制定の際に、検察官の不提出記録を提出できるように規定すべきであった。」と述懐されていたことが想い出される。

 このように問題のある最良証拠主義は、この際、徹底的に吟味すべきである。

 2,凶悪重大事件の不提出記録について

 凶悪重大事件が発生した場合、警察では、物盗り、怨恨、偶発犯等あらゆる角度から犯人像を想定して、徹底的に捜査をするものである。

 そのために、事件発生から事件送致までの間に収集された捜査資料の中には、被告人にとって有利な証拠がかなり含まれているのが通例である。特に、決め手がないか決め手の薄い事件で、犯罪発生後犯人検挙までに長い年月を要した事件に多い。

 そして、警察の捜査本部で、物盗りの犯行か、怨恨の犯行がどちらか不明で決め手に欠くが、そのどちらかに決定して犯人を検挙した場合、捜査中に収集された被告人に有利な証拠資料は総て警察で保管されて、一切、検察庁に提出されないし、検察庁も捜査をして収集した資料の中に、被告人に有利な証拠があった場合には、被告人に不利な最良の証拠を提出するだけで、不提出記録として保管されているのである。

 徳島ラジオ商殺し事件は、警察官が外部説で逮捕してきた容疑者を検察庁で不起訴にした後、検察庁が独自捜査で内部説によってラジオ商の妻を犯人として逮捕して起訴した特異な事件であるが、最も重要な犯行の目撃証人である被告人の使用人の少年2名について、検察官が作成した計62通の検察官調書が、判決確定まで、総て不提出記録の中にあり、確定判決は、検察官によって事前テストによって徹底して証言内容を訓練された前記少年2名の証言のみで有罪とされているのであり、再審裁判所で初めてその全部の検察官調書が裁判所に提出されたのである。

 この検察官調書は、何人が読んでも、とても有罪の資料となる目撃証人の証言とは認定できないものであり、この不提出記録の検察官調書が、総て判決確定前に裁判所へ提出されていたならば、判決確定前に無罪の判決が出ていたことは間違いないと思われる。

 3,重大な知能犯事件の不提出記録について

 知能犯事件特に贈収賄事件では、関係被疑者の供述が証拠の基になっている事案が多く、関係被疑者は、捜査段階で多数の検察官調書を作成されていることが多いのであるが、公判では、その中の最良証拠となる調書に限定して提出されるのが通例である。

 決め手となる証拠がなく、有罪の資料がこれらの供述調書のみである事件については、検察に不利益な検察官調書は一切提出されないのが実状である。

 このような決め手となる証拠がなく、供述調書のみで立証される事件は、当該被疑者が捜査中に作成された検察官調書を全部を取調の順を追って検討すると、真相が判明するのに、被告人に不利な内容の調書だけ提出されて、有利な調書が不提出記録となり、知能犯事件の冤罪の基になるのである。

 4,不提出記録の提出命令の申立に対する裁判所の現状

 刑事裁判の現状では、最良証拠主義のためか、弁護人が懸命に努力して不提出記録の中に被告人に有利な証拠があることを突き止めて、裁判所に対して、その提出命令を出してもらうように申立てても、殆どその職権を発動されないのが通例である。

 最近、東京地裁で、著名な贈収賄事件で、弁護人が、検察官手持ちの不提出記録の中の供述調書について、裁判所に提出命令の申立をして裁判官の職権発動を促したところ、裁判所が、検察官に対して、被疑者の捜査段階の検察官調書について、「証拠書類としてではなく、証拠物」として提出を促して、検察官がこれに応じた事例があるが、検察官調書を「証拠物」として採用されれば、裁判所がその内容を閲読出来るのであるから、実質的に効果があるように見えるが、このような姑息な訴訟指揮によることなく、堂々と、証拠書類として提出命令を発することが、刑事裁判の根本である「実体的真実発見主義」に沿うものであり、知能犯の冤罪防止には極めて効果的であると言わなければならない。

 5,捜査段階における最良証拠主義の反省

 新刑事訴訟法は、裁判官に、当該事件の審理の前に一切予断を抱かせないために、旧刑訴のような起訴時に一件記録全部を一括して裁判所へ提出する制度を抜本的に改正して、起訴状一本主義になった。

 そして、証拠書類等については厳格な証拠法が適用されて、伝聞証拠が排除されて最良の証拠書類しか提出されなくなった。これらの制度は、もともとは、被告人らの利益のために設けられた制度・規定であるが、皮肉にも、これが現実には、被告人に不利に運用され、冤罪の原因となっているのである。
 
 警察官は、検察庁へ送致事実についての最良の証拠資料を送致すればよいのであるが、決め手がないか決め手の薄い事件は難件であるから、捜査担当検察官に対して、積極的に被疑者に有利な証拠資料を開示して、その「白」の捜査をいかにすべきかについて協議することが、冤罪防止対策の第一歩と考える。

 凶悪重大事件で決め手の薄いか決め手のない事件は、警察において、最も優秀な班長が担当して指揮をしていることが多い。そして、その班長の意見に反する意見は、なかなか発言出来ないのが実状である。

 しかし、警察官は、警察法第2条に規定されているとおり、「個人の生命、身体及び財産の保護に任じ」ることが主たる使命であるから、捜査段階で、被疑者に有利な資料があった場合には、少なくとも、当該事件の主任検事に対しては、総て証拠資料を開示して協議すべきである。しかしながら、長年の検察の実務経験から見て、このようなことは、警察では殆ど実行されていないのが残念である。

 検察庁では、旧刑訴時代は、警察官に対して具体的事件について指揮権があったので、殺人事件が発生した場合には、直ちに、警察からの通報によって、主任検事が現場へ赴いて検視をしてから、明らかに殺人事件と判断されたら、捜査本部が設置されて、主任検事が、全部の捜査会議に出席して警察の捜査を指揮していた。

 従って、担当検事は、警察の捜査については総て関与してきているから、色々な角度から捜査が進められた経緯が総て分かっているが、新刑訴では、殺人事件が発生した場合、刑訴229条によって「変死者又は変死の疑いのある死体」については必ず検視するが、それ以後の警察捜査に対しては指揮権がなくなったところから、全く関与せずに、警察が容疑者を検挙してから、初めてその捜査を担当するようになった。

 そして、通常、検事は、沢山の事件を抱えて多忙であるために、検挙された容疑者についての積極証拠の蒐集に主力を注ぎ、当該事件が発生してから、容疑者が検挙されるまでの経緯について、一応の警察からの説明を聞く程度で、犯罪発生から容疑者検挙までの警察捜査について、徹底的に吟味することは殆どされていないのが実状である。

 また、自己が担当させられた重大事件について、どうしたらよりよい積極的証拠を収集出来かに主力を注ぎ、どうしても、犯罪発生から容疑者逮捕までの警察捜査について、徹底した吟味や捜査を行わないのが通例である。

 決め手となる証拠のない又は決め手の薄い重大な巨悪事件については、犯罪発生からこの犯人検挙までの警察捜査の経緯を徹底的に捜査して、もし、少しでも、容疑者に有利な証拠が出た場合には、「白」の捜査を尽くすことが、冤罪事件防止対策で最も重要である。
 
また、重大な知能犯事件については、官界、経済界の大物を逮捕したからとて、容疑者に有利な証拠が出た場合には、「黒」の証拠資料収集に努めると同時に、「白」の捜査も徹底して尽くすことが重要である。

 捜査の実務では、官界や経済界の大物を逮捕した場合、捜査中に被疑者に有利名証拠が出た場合、検察のメンツを考えて、その資料を無視されて「白」の捜査をしないことが多いので、公益の代表者である検察官は、特に、この点を留意すべきである。

 重大な知能犯事件で、事実無根の事件を起訴することは稀ではあるが、京都府元知事、同警察部長、同警務課長等が贈収賄で起訴されたいわゆる「豚箱事件」(京都地裁・大正9年11月30日、全員無罪判決)や、現職の大蔵次官、銀行局長、元商工大臣、台湾銀行頭取、帝人社長等が贈収賄で起訴されたいわゆる「帝人事件」(東京地裁・昭和12年12月16日、全員医無罪判決)のように、全く事実無根の事件が、検察官の力で作り上げられていったように、ときとぎ、このような全く事実無根の事件が作られて起訴される事例があるので、留意すべきである。

 検察庁の場合も、警察同様、このような重大な事件の担当責任者には、平生は極めて優秀な検事が担当するので、その指揮下で捜査する検察官が、優秀な上司の意見に反する意見はなかなか言い出せないものであり、そのため、上記「豚箱事件」や「帝人事件」のように、常識では考えられないような内容の事件が作り上げられていくのである。従って、知能犯の場合でも、被疑者に有利な資料がある場合には、「白」の捜査も徹底して行うことが、冤罪防止のために必要である。

 6,起訴後の冤罪防止対策について

 警察、検察が、上記最良証拠主義によって、公訴事実立証のための最良証拠のみ裁判所に提出した場合、裁判官としては、警察、検察の捜査段階における被告人に有利な証拠を把握することは不可能に近いのである。

 それでも、凶悪重大事件については、旧刑訴で教育を受けた裁判官ならば、優秀な裁判官が予審判事になっていたことが多いために、予審判事さえ経験しておれば、警察、検察の問題点を発見することが比較的容易であるが、新刑訴になって、予審判事制度が廃止されたため、その経験者が全くいなくなり、予審判事の経験がなければ、警察、検察における捜査段階における捜査上の問題点を発見することは不可能に近いのである。

 それならば、公判審理の過程で、決め手のある事件は別として、決め手のない事件や薄い事件については、最良証拠として提出された証拠について、少しでも疑義がある場合、弁護人が、不提出記録の中で、その資料を特定できる疎明をして、提出命令の職権の発動を促した場合には、必ず、検察官にその提出を促し、もし、拒否したら、提出命令を発して、実体的真実発見に努めることが、冤罪防止に非常に役立つと考える。


第2、凶悪事件の「消去法」の吟味

 1,消去法吟味の必要性

 兇悪事件の冤罪を防止するには、兇悪事件発生後、警察が、当初、あらゆる犯行の手段・方法を予測して捜査を開始するため、、疑わしい犯人は、多岐にわたるが、これを次々消去して、検挙する犯人を決定して逮捕するのが通例である。従って、検察官は、警察が疑わしい犯人を消去していって犯人を特定した過程を必ず吟味する必要がある。

 警察では、あらゆる犯行の手段・方法を予測して、疑わしい犯人について、まず、アリバイの存否を捜査して、アリバイのあるものを消去し、また、疑わしい犯人について、別件逮捕の資料があるときは、別件逮捕して捜査して本件の証拠がない者については、消去して行って、最後に、検挙する犯人を決定するのが通例なので、この疑わしい犯人を消去する際に、捜査の手落ちがあって、誤って眞犯人を消去してしまった場合、冤罪が発生する虞があるのである。

 従って、検察官及び裁判官は、この警察の行った消去法が適切に行われていたかどうかを吟味することが非常に重要である。

 2,検察捜査及び裁判の実状

 警察では、消去法の結果犯人を特定して検挙した後、その犯人について、捜査の過程で犯人に有利な証拠が出ても、上記最良証拠主義によって、捜査に不利な証拠は総て検察庁へは送致せず、当該犯人の積極的証拠しか検察庁へ送致しない。これは、上記最良証拠主義の結果であって、何ら法律に違反するものではない。

 検察庁では、兇悪事件が発生した場合、刑訴229条により、必ず、検察官が事件発生現場へ行って「検視」をしなければならないので、警察から通報があった場合は、必ず、発生現場で検視をして、現場を見分している。

 その結果、事件の疑いがあれば、その後の捜査は警察が独自で行い、原則として犯人検挙まで、検察官は、警察捜査に関与しない。ここが、旧刑訴と新刑訴の最も異なる点である。旧刑訴は、検察官が警察官に対して具体的事件について指揮権があったので、事件発生以来、犯人検挙まで、警察を指揮し、主たる警察の捜査会議には出席して捜査に深く関与していたが、新刑訴では、具体的事件について検察官は警察とは協力関係があるだけで、指揮権がないので、上記事件発生の際の検視後犯人検挙まで、検察官は警察捜査には関与しないのが通例である。ただ、犯人検挙の際に、警察が初めて事前に検察庁に相談があるだけである。

 戦後、この刑訴の改正によって、検察官は、犯人検挙の際にのみ警察から相談があるだけであり、犯人検挙の際に、通常、地検の刑事部長・副部長がその相談を受けているのであるが、ここで、問題なのは、新刑訴になってから、兇悪事件については、検察官が事件発生後の検視以外、犯人検挙までの間に全く警察捜査に関与していないから、警察捜査の実状が全く分らず、警察がどのような方法で消去法を実行しているが、その経験がないために、その実状に疎くなっている。その上、兇悪事件で、決め手となる証拠がないか証拠の薄い兇悪事件は、非常に少ないため、長年検察の経験者でも、この種事案の捜査経験がない検察官が多いである。

 その上、刑事部長・副部長は、常務が多忙であるから、警察から犯人検挙の相談があった場合、積極証拠の吟味はするが、警察が行ってきた消去法の内容まで吟味する余裕がなく、警察の説明する積極証拠の検討だけに終わらざるを得ないのが実状である。

 また、警察から送致された兇悪事件の被疑者は、地検の刑事部長・副部長(部長制のない地検は次席検事)によって、主任検察官が指名されるが、これらの中間監督者が、決め手となる証拠のない兇悪事件の捜査経験がない人が多いために、主任検事を指名したときに、「犯罪発生から犯人検挙までの警察捜査を吟味して、検挙された犯人が眞犯人であるかどうかをよく捜査させ」と指示する幹部は少なく、「被疑者をよく調べて自白させよ」という指示をすることが多い。

 私は、検事長を定年退官するに当たり、このことを痛感して、昭和59年9月に、「兇悪事件の捜査について−検察官は何をすべきか−」という小冊子を書き、法務省刑事局から当時全検察官に配布していただき、その中に、この警察捜査の消去法の吟味を強調しておいたが、余り実行されていないのが実状である。

 一般に、刑事部の検察官は、多くの事件を抱えており、決め手のない兇悪事件の配点を受けても、これに専従するような指示がない限り、他の身柄事件と同様に取扱い、ただ、積極証拠の蒐集をするだけで、警察捜査の消去法捜査の経過を吟味する検察官は殆どいない。

 従って、決め手のない兇悪事件の送致を受けた場合、これは難事件であるから、検察幹部が、検察官に配点する際、当該検察官の手持ちの他の身柄事件全部を他の検察官に割り替えて、主任検察官に、その難件捜査に専従させ、場合によっては、主任検察官に、補助検察官を付け、警察の消去法捜査を徹底的に解明することが冤罪防止のため必要である。

 私が、大阪地検刑事部副部長のとき、警察から送致された殺人事件について、主任検事に、警察の消去法捜査を吟味させたところ、送致された身柄事件の犯人が逮捕されるまでに、実に、61名もの者が別件逮捕で捜査されて消去されており、62件目の逮捕犯人が、初めて別件ではなく、本件で逮捕送致されていたことが判明した。

 その送致された犯人については、決め手となる証拠が出てきたので、確信を持って起訴することが出来たが、もし、決め手となる証拠がなかった場合に、自白があるということだけで起訴していたら、冤罪起訴の虞があるのである。何故ならば、それまでの61名の別件逮捕をした犯人の消去法が間違っていて、アリバイがあると思って消去した犯人のアリバイが偽装アリバイであることが分かり、それが真犯人だった場合があるからである。


第3、いわゆる「白」の捜査の徹底 

 死刑等確定事件について再審で無罪になった事件が相次いであったことは、まだ、記憶に新たなところである。吉田厳窟王事件、免田事件、財田川事件、徳島ラジオ商殺し事件、梅田事件等である、

 これらの事件は、警察・検察の捜査中に、いわゆる「白」の捜査を行った形跡がない。もし、少しでも被告人に有利な証拠が出た場合に、「白」の捜査が徹底して行われていたら、総て起訴せずに終わった事件である。上記消去法の吟味も、一種の「白」の捜査である。

 社会の耳目を聳動さするような兇悪重大事件が発生した場合は、警察は、その職責上、犯人の検挙を急ぎ、上記消去法によって最後に残った犯人を検挙した場合、その捜査の過程で、仮に、犯人に有利な証拠が出ても、積極証拠の蒐集に奔走して、「白」の捜査が怠り勝ちである。

 従って、検察官は、積極証拠の蒐集をするとともに、警察・検察捜査で、犯人に少しでも有利なことが出てきたら、その真偽を徹底的に捜査する必要がある。

 ところが、現実の実務では、積極証拠の蒐集に力を注ぐあまり、「白」の捜査が怠り勝ちになるのである。私は、「名捜査官」は「名弁護士」たれということを強調し続けてきた。名弁護士の目で捜査記録を見て、この資料は、犯人に有利な資料であると判断したら、その「白」の捜査を徹底的に行うことが肝要である。そうすれば、必ず、真実が判明するものである。どんな小さい事でも、犯人に有利な資料についての「白」の捜査を徹底することが冤罪防止のために重要なことである。

 また、積極証拠の中に、少しでも合理性に欠けたり、条理・常識に反するものがあるときは、被告人に有利な点であるから、どうして、合理性に欠けたり、条理・常識に反するものが積極証拠になったのか、その原因を徹底的に糾明することが肝要である。

 上記「免田事件」では、被告人の自白調書記載の逃走経路では、物理的に逃走できない場所であるのに、この点を究明した資料が全くないまま「任意性」があるとされている。また、上記「松山事件」では、全記録を精査しても、起訴前に、被告人と殺人事件の結びつきの証拠が自白調書のみで、犯人と事件の結びつきの決定的証拠である被告人の自宅から押収された掛布団に付着していた血液の鑑定書が起訴後相当の日時が経過したものが提出されているのに、起訴前に、被告人と事件の結びつきの証拠が無かった事について捜査した形跡がない。また、上記「財田川事件」では、1審の第1回公判で、弁護人から、「本件は、被告人と事件との結びつきの証拠がない」点を指摘された結果、それから、東大の古畑教授に被告人のズボンに付着している血液らしいものの鑑定を仰いでいるが、起訴前に、犯人と被告人との結びつきの証拠を確保する捜査をした形跡がない。

検挙された犯人が、真実真犯人である場合、「白」の捜査を尽くせば、かえって、積極証拠が確保できるものである。昭和49年に、札幌地検管内で発生した殺人事件で、検挙された犯人の自白調書は非常に正直に自白していると思われるのであるが、「秘密の暴露」が無く、犯行に使用した凶器を川に捨てたと自白しいているのに、警察が、その凶器を捨てたと自白した場所を3回捜索したが発見されなかった事例があった。もし、このまま起訴して、公判で否認されると、「秘密の暴露」のない自白調書しか証拠がない事件であったので、警察に対して、更に、徹底的に凶器発見の捜査をさせたところ、本人の自白した場所から約300メートル川下で発見され、鑑定の結果、被害者の血液が付着していることが証明できた。もし、この凶器が発見されなければ、公判で否認されると難航する事件であり、「凶器が自白場所から発見されていない」という被告人に有利な資料があっても、その捜査を徹底的にすれば、確証が出てきた良き事例である。