三国志演義(あらすじ)
後漢末の乱れた世に、張角が黄巾の乱をおこしましたが、これを 憂えた漢室の末裔劉備が関羽・張飛と義兄弟の契りを結び(桃園結 義)、各地に転戦して大きな功績を挙げましたが、それに応じた論 功行賞はなく不遇の日々を送っていました。 その頃朝廷では宦官と外戚の権力争いが頂点に達し、朝廷の権力 は董卓に独占されます。董卓暗殺に失敗した曹操は天下の諸侯に 董卓を討ち滅ぼすことを呼びかけました。これに応じた諸侯の中 で、江南の地の利を得た孫権と,諸葛孔明を三顧の礼をもって参謀 に迎えた(三顧草盧)劉備とが頭角をあらわしました。劉備は終始 劣勢でしたが,呉と連合して赤壁で曹操の軍船を焼き討ちにして 魏(曹操)・呉(孫権)・蜀(劉備)三国が並び立つことになりました。 しかし呉・蜀の間には荊州をめぐっての争いが絶えず、このため 関羽、張飛が相次いで死んだので、劉備は孔明の反対を押し切って 呉を討つべく大軍を起しましたが、惨敗して白帝城にて死にまし た。孔明は劉備の子禅を帝位につけ、呉と和解し、中原の奪回を目 指してしばしば攻撃しますが、ついに志を果たさぬままに五丈原 で病没しました。蜀はその30年後に魏に滅ぼされ、呉も魏の禅譲を 受けたかっての孔明の好敵手司馬懿の子孫の建てた晋によって滅 び、天下は晋によって統一されました。 |