パレスチナ問題


 1897年ユダヤ人の国家をパレスチナに建設す
るというシオニズム運動の決議が行なわれま
した。
 第一次大戦中、イギリスはバルフォア宣言に
よってそれを支持し、ユダヤ人の移住が始まり
ましたが、イギリスはフサイン・マクマホン協
定でアラブ人にも独立を承認していたので、パ
レスチナを巡るユダヤ人とアラブ人の対立を
招くことになりました。
 戦後、イギリスがここを委任統治領としまし
たが、ナチスの迫害によるユダヤ人移住が激増
すると両者の対立は深刻となりました。
 第二次大戦後の1947年、国際連合はパレスチ
ナ分割決議案をまとめましたがアラブ側はこ
れを認めず、1948年にイスラエル共和国が成立
するとパレスチナ戦争(第一次中東戦争)が起
り、イスラエルによってパレスチナから追放さ
れたアラブ人難民は100万人以上にも達しまし
た。
 その後も1956年のスエズ戦争(第二次中東戦
争)、1967年(第三次中東戦争)、1973年(第四次
中東戦争)と紛争が続きましたが1979年にエジ
プト、イスラエル間に和平条約が締結されまし
た。

 パレスチナ解放運動とイスラエルの武力対決はその後も
続きましたが、1993年に相互承認、パレスチナ人の暫定政
府樹立が行なわれました。
 

パレスティナ暫定自治協定調印
(ラビン・イスラエル首相と握手するアラファト・PLO議長、 中央は調停役のクリントン・米大統領。
数研出版・新世界史より)

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