昭和恐慌と農村


 東北地方を中心に農家の困窮は深刻化し
欠食児童や婦女子の身売りが大きな社会
問題になりました。
 青森県では1931(昭和6)年の凶作でこの
年の欠食児童は3235人を数えたといわれ
ますが、深刻な不況はその後も続き1934
(昭和9)年12月2日付の朝日新聞はある農
家の話として次のように報じています。

「家は借金のかたに取られて近所の家に
同居していたが14の娘を名古屋市賑町の
娼妓屋に売った金でこの家を買ったのだ。
 身代金は5ヵ年契約で450円だったがそ
のうち100円は一本(一人前)になってか
ら渡すとのことで娘の着物代にといって
50円、周旋料だといってブローカーに22
円50銭を取られ結局残ったのは僅か150
円だった。
 そのうち70円の借金を支払い40円で家
を買うと残る40円はなんということなし
に消えてしまった」

 県では「娘を売らぬように」と注意を促
しましたが結局この年県下から芸娼妓に
売られていったものは7083人。うち娼妓
に売られたものは1931(昭和6)年時の3倍
にも達したといわれます。 

東北農村の身売り相談所
旺文社・図説 日本の歴史より


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