明治厭戦詩

 
        
君死にたまふこと勿れ
-旅順口包囲軍の中に在る弟を嘆きて-
与謝野晶子(明星・明治37年9月)
あゝをとうとよ君を泣く 君死にたまふことなかれ 末に生れし君なれば 親のなさけはまさりしも 親は刃をにぎらせて 人を殺せとをしへしや 人を殺して死ねよとて 二十四までをそだてしや 堺の街のあきびとの 旧家をほこるあるじにて 親の名を継ぐ君なれば 君死にたまふことなかれ 旅順の城はほろぶとも ほろびずとても何事か 君知るべきやあきびとの 家のおきてに無かりけり ― ― ― ― ― ― ―

与謝野晶子像(旺文社・図説日本の歴史)

           
            
お百度詣で
大塚楠緒子(太陽・明治38年1月)
一と足ふみてつま思ひ ふたあしくにを思へども 三あしふたたびつまおもふ 女心にとがありや 朝日あさひににほふ日の本の 国は世界せかいにただ一つ つまとよばれてちぎりてし ひともこの世にただひとり かくて御国みくにとわがつまと いづれおもしととはれなば ただこたへずに泣かんのみ お百度詣ひゃくどもうでああとがありや
   大塚楠緒子(明治8〜43)
東京出身の小説家、歌人、詩人。 佐々木弘綱、信綱に学び終生歌作を続けました。 東京女子高等師範学校(お茶の水大学)付属女学校卒業後 作家活動に入り『文藝倶楽部』に発表した「暮れゆく秋」 「しのび音」で女流作家としての地位を固めました。 代表作に「晴小袖」「路」などの作品集があります。 厭戦詩として有名な「お百度詣で」は美学者として著名だ った夫の大塚保治が日露戦争に従軍中に作ったものです。
トップページへ