血のメーデー事件


 太平洋戦争が終わって労働者の祭典として
メーデーも行なわれるようになりましたが
1952(昭和27)年のメーデーは大きな事件に
発展しました。

 約1万人のデモ隊が前年からメーデー会場
として使用禁止されていた皇居前の広場に
入り警官隊と激しい乱闘になりました。この
結果デモ隊側に2人の死者と多くの負傷者が
出ました。講和条約、安保条約への不満や当
時国会にかけられていた破壊活動防止法への
反対などが背景にあったのですが、この事件
をきっかけに政府は一層「逆コース」などと云
われる政策を強める傾向や国内の対立が激し
くなっていきました。
 

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旺文社・図説日本の歴史