キリスト教ミニ事典
 
ーファミリー版ー キリスト教ミニ事典 【事項の選択と説明は「キリスト教(その歴史と思想)」で使われたものを中心にしています】
ア 行 アウグスティノ会・・・・・13世紀にイタリアのトスカーナを中心に活動していた隠修士たちが「アウグスティヌスの規則」のもとに修道会組織を結成し、1244年に教皇イ ンノケンティウス4世がこれを認可した托鉢修道士。 アカキオス論争・・・・・コンスタンティノポリスの総主教アカキオスが東方諸教会の分離をくいとめるために、正統派から徐々に単性論に傾き、和解を図るため皇帝ゼ ノンの依頼で、統一令(ヘノティコン・・・単性論者に譲歩した神学全書)を起草しましたが、教皇の怒りにふれ、破門されました。 油をそそぐ・・・・・・オリーブ油を頭にそそぎ、神に仕えるものとして聖別する儀礼。 古代イスラエル信仰では、オリーブの中に神の霊力が含まれていると信じられていました。聖別とは聖なるものとして神に捧げることで、サウルも オリーブ油をそそがれる聖別の儀礼によって、王の位につきました。 ヘブライ語の「メシア」はギリシャ語では「キリスト」でいづれも「油をそそがれた者」の意味です。 アベラルドゥス・・・・・1079〜1142年、中世フランスの哲学者、神学者、論理学(弁証学)から神学、倫理学にわたる著作を残し、実在論と唯名論 との調停を試み、討論の方 法はスコラ的方法の基となりました。 アララト山・・・・・トルコ東部のイラン・アルメニアとの国境近くにある標高5165bの高山、旧約聖書のノアの箱船の漂着地とされています。
アララト山(山形孝夫・聖書物語より)
アンティオキア(参考地図はこちら)・・・・・新約聖書に出て来る町の名前で @ガラテア州のアンティオキアは州南部における文化、軍事、行政の中心地でした。 パウロは第一次伝道旅行(47年頃)で、バルナバとともに、ここを 訪れました。 Aシリアのアンティオキア(現在のトルコのアンタキア)は前64年以来、ローマ帝国に帰属、シリアの都として繁栄、多くのユダヤ人が住んでおり、ユ ダヤ教も盛んでした。 アンティオキアの教会はパウロの母教会となり、そこから第一次、第二次伝道旅行に出かけました。 この都市ではじめて信 者たちが「キリスト者」と呼ばれるようになったと伝えらています。 安息日・・・・・・モーセの十戒に定められた一週七日の最後の日。 正確には金曜の日没から土曜の日没までを指します。 その日はすべての仕事を停止しなければならないという戒律で、埋葬することも戒律に違反する行為と考えられていました。 イエスとキリスト・・・・・「イエス」は歴史上の実在上の人物を指し「キリスト」は"救い主"を意味するギリシァ語で、ヘブライ語の"メシア"(原意は油を注がれた者、の ち神に祝福されたものの意味)の訳とされています。 イエス・キリストは救い主たるイエスの意味で、福音書ではイエスを救い主としてのキリストとして描かれています。 イシュマエル・・・・・ハガルがイシュマエルをみごもった時、天使がハガルに「彼は野ろばのような人となり、その手はすべての人に逆らい、すべての人の手は彼に逆ら い、彼はすべての兄弟に敵して住むでしょう」と言いました。          その言葉どおりイシュマエルは北アラビヤに追放され、そこで遊牧民の始祖となりました。 その子孫はアラビヤ、エジプト、ユーフラテス全域にひろ   がり、砂漠の民の中の最大の部族に発展します。イスラームの開祖ムハマッドは「コーラン」の中でみずからをイシュエマルの子孫と称しています。 異端問題・・・・・・・初期キリスト教会の信仰に対して、異説を唱えたグノーシス主義やモンタノス派が原始教会的な教理を否定、論争となりました。 一致信条書・・・・・和協信条書ともいい、三つの古典信条(使徒信条、ニカイア信条、アタナシオス信条)、アウグスブルグ信仰告白、アウグスブルグ信仰告白弁証論、シュ マカルデン条項、大教理問答書、小教理問答書、和協信条を包括しています。 異邦人・・・・・・・・・ユダヤ人以外の人。新約時代のユダヤ人は神の約束によって選ばれ、そのしるしとして律法を与えられた、神の民イスラエル人の子孫であることを 誇り、他の民族を異邦人と呼びました。 しかしキリスト教は異邦人を受け入れることによって、ユダヤ人の民族的排他主義を超えて世界宗教となりました。  ヴォルムス協約・・・・・・・1122年、教皇カリストゥス二世とドイツ皇帝ハインリヒ五世の間で締結されました。その結果、聖職の叙任は教会の権利とし、国王の叙任は国 家的権利として二種類の叙任を区別しました。  ウルトラモンタニズム・・・・・もとの意味は「山を越えた向こう側の立場」で、アルプス山脈をはさんで対峙し、独自の運営を主張するフランス、ドイツ、英国のカトリッ         ク教会に対して、教皇の中央集権的支配を保持しようとするローマ教皇の立場を指します。     ウルの町・・・・・ペルシャ湾のバスラに近いシュメール人の古代都市で、長い間深い泥土に埋もれていましたが1922〜34年にかけて月の女神イナンナをまつる巨大な塔 の建造物が発掘されました。          この埋もれた都市ウルがノアの血をひくアブラム一族の生活の場でした。 エデンの園・・・・・・エデンの場所はハランの南方、ユーフラテス川とバリク川の間の地方を指すとされます。 旧約聖書では神はエデンに園を設け自らを形づくった人をそこに置きました。 エドム人・・・・・・・エドムはヤコブの兄エサウの別名で、エドム人はエサウの子孫のこと。         エドム人はダビデ時代以降、イスラエルの支配下におかれることが多かったが、ユダ王国滅亡後、南ユダの地を侵略して、そこに住みつきました。 エルサレム使徒会議・・・・・49年頃エルサレムで使徒たちにより行はれた協議で「異邦人は救われるためにユダヤ教の律法を守る必要があるか否か」という問題に関し て議論が行われ、パウロとバルナバの主張する律法からの自由な福音の理解が認められ、また「偶像に供えたもの、血、絞め殺したもの、および不品行を避 けるという必要事項のほかには、どんな負担をも負わせないことが定められました。 しかし徹底を欠いたため、その直後、律法が必要か否かの問題が異邦人教会内で生じました。 カ 行 ・改革派・・・・・カルヴァン派を含むスイス宗教改革の伝統と遺産を受継ぐ教会を指し、その第一世代にツヴィングリ、エコランパディウス、第二世代にカルヴァン、ベザ、 ノックス(スコットランド)がいます。 ・会衆派(組合派)・・・・・16世紀中頃英国教会から分離、国家から独立し個々の地方教会もそれぞれが独立する完全な自治体であることを宣言しましたが、当局の弾圧を 受け、一部はオランダに逃れました。 ・カインとアベル・・・・・カインとアベルの物語はヨーロッパの中世をとおして、聖堂の柱(ムティエ、サン・ジャン聖堂)や扉(フィレンツェ、サン・ジョヴァンニ洗礼堂) の彫刻にとりあげられ、ひろく知られるようになりました。          有島武郎の短編小説「カインの末裔」は小作人広岡仁右衛門を、弟殺しのため神の罰を受け永遠に流浪をつづけるカインに模した作品です。 ・カッパドキアの三教父・・・・・ 東ローマのカッパドキア州で活躍した三人の主教、カイサリアのバシレイオス、ニュッサのグレゴリオス、ナシアンゾスのグレゴリオス のことです。 三人はいずれも三位一体論、キリスト論確立へ大きく貢献しました。 割 礼・・・・・・・・ペニスの包皮の一部を切り取る手術で、創世記には男子は生後八日目に割礼を受けることによって、イスラエルの神と契約を結ぶ資格を得ること、異邦 人でも割礼を受ければ、イスラエルびととみなされることが記されています。 カトリック・アクション・・・・・教会の司教を信徒の側から助ける組織的活動のことで、教皇ピウス11世のもとで、世界的組織となり伝道、慈善、出版などの事業を展開し ました。 神の国・・・・・・神が支配する領域で、正義と公正と憐れみに満ちた世界。 イエスは神の支配が目前に迫っていることを語り、ひたすら「悔い改める」ことを説きました。        「悔い改め」とは限りなく"謙遜"と"慈悲"の心を持った生き方への転換のことです。 ガリカニスム・・・・・フランスの国家と教会が宗教的にはローマ・カトリック教会の傘下に留まりつつ、教皇権とは距離を保って自国の宗教的・政治的自律を確保しよう とする態度と思想。 カリスマとオルド・・・・・一般に宗教集団はカリスマ(宗教的活力)と呼ばれる側面とオルド(組織、秩序)と呼ばれる側面の間を振り子のように往復する性格をもち、モ ンタノス派に見られる熱狂や予言などの要素は前者の現われであり、正統派内で進行しつつあった組織化、制度化は後者の現われであったといわれます。 カルタゴ会議・・・・・北アフリカのカトリック教会全体にとって、重要な問題が起こるごとに、カルタゴ教会の主導権の下に、北アフリカ全地域の教会代表者が参集して 行われました。 397年の会議では旧・新約聖書の目次が定められ、新約は今日と同じ、旧約は外典まで加えられました。 教皇領・・・・・皇帝や貴族の寄進により、教皇が統治した領地。 「ピピンの寄進」によって実質的に確定され、17世紀に最大に達し、イタリア中部の広大な領域を占めました。その後フランス革命の影響などで次第 に領土は失われ、拡大と縮小を繰り返し、現在のヴァチカン市国となりました。 ギリシァ教父とラテン教父・・・・・ギリシァ教父はギリシァ語圏で活躍した教父のことで、三位一体論やキリスト論を確立しました。 ラテン教父は主としてラテン語で著作を著した教父で、アウグスティヌスの神学や聖書翻訳は西欧社会の精神性の礎を築いたといわれます。

ギリシァ教父 ラテン教父
キリスト教綱要・・・・・・ジュネーブの宗教改革者ジャン・カルヴァンの著作。初版は1536年バーゼルで出版された6章の著作からなり、宗教改革の立場からキリスト 教信仰を明確にしたものでした。その後版を改めるたびにカルヴァンはこれを書き改め、最終版(1559年)は4篇80章からなる大冊となりました。 聖書に基づきキリスト教信仰を体系的に記述し、プロテスタント教会の教義の基本の一つとなりました。 ギレアド・・・・・ヨルダン川東の地域、牧草が豊富で牧畜が盛んに行われ乳香も産出しました。 欽定訳聖書・・・・・1604年のハンプトン宮殿会議において決議され、11年に発行されました。 最初の英語による統一訳聖書で、翻訳作業にはオックスフォード、ケンブリッジ両大学を中心とする47名の聖職者、学者が参加しました。 クロエの家の人たち・・・・・クロエとは「若草」の意味でコリント教会の信徒。パウロはコリント教会に争いがあることを「クロエ家の人たち」すなわちクロエの奴隷たち から聞いたと記しています(1コリ1-11)。彼女の家とコリント教会の関係は明白ではありません。 啓 示・・・・・・人知では知ることの出来ない神の神秘や究極的な真理が、神によって人間に示されることで、聖書は啓示の書であるといわれます。 契約の箱・・・・・モーセの十戒を刻んだ2枚の石の板をおさめた箱。 アカシヤ材で長さ2キュピト半(1.1メートル強)、高さと幅がそれぞれ1キュピト半(67センチ)の長方形ですべて純金に覆われていました。 この箱は神が共におられることの象徴ともされ、モーセの荒野での放浪やヨシュアによるエリコの攻略など歴史に残る出来事を通して、イスラエル人 を先導し、人々に力と勇気を与えました。 化体説・・・・・聖餐式において、パンとブドウ酒がその外的状態のまま実体的にはキリストの体と血(聖体)に変化(実体変化)するという説 ゲッセマネ・・・・・ヘブル語で「油しぼり」の意味でオリーブ油をしぼる場所を指し、エルサレム郊外のケデロンの谷を隔てた丘陵地帯(オリーブ山)の西斜面付近と考 えられています。 公同書簡・・・・・ヤコブ、ペトロT、UヨハネT、U、V、ユダの手紙の総称です。 これらの文書は他の新約諸文書と同様に、各地の礼拝集会で公に読まれるようになり、4世紀には「公同書簡」と呼ばれるようになりました。名前の由来は 特定の教会、個人にあてたパウロ書簡と違って、全教会にあてたことから「公同」と名づけられたようです。 五旬節・・・・・・・・・・過越の祭りの第1の日から数えて50日目に行われた「刈入れの祭り」で「過越」「仮庵」とならぶユダヤの三大祭りのひとつで、この祭りがキリスト教会 の出発を記念する一大祝祭「聖霊降臨」の日となりました。 ゴセン・・・・・・・族長時代のヘブル人の寄留地。 ナイル・デルタ地帯の地味の肥えた農耕地であったと創世記は伝えています。 ゴセンの正確な場所は分かりませんが、紀元前100年頃に書かれたユデト書(旧約聖書外典)によると、ラメセスの地と呼ばれるところで、現在のカイロ市 の北東ピトム町に近いゾアン付近です。 コンスタンツ公会議・・・・・・・1414年から1418年まで、ドイツ皇帝ジギスムントによって召集されました。 教会の大分裂と異端に対処するための公会議で、ピサ公会議以来分立していた3教皇が廃されて、マルティヌス5世を新教皇に選び、教会大分裂を解消し ました。 またウィクリフを異端と認め、フスを焚刑に処し、そのため故国ベーメンではフス戦争が起こりました。 コンスタンツは南ドイツのボーデン湖畔の小 都市です。 サ 行 最後の審判・・・・・・世の終わりにイエスが、再び地上に来て世の初めからの全人類を審判し、彼を信じ、その教えを 実行した者を救い、彼を信じず、その教えを実行しな かった者を滅ぼすという教え。         マタイ伝によるとキリストは羊飼いがヒツジと山羊を分けるように、人々をより分け、小さな愛の行いをしたかしないかを、いちいち審問して合格した 者には永遠の生命を与え、不合格の者は永遠の劫火に投げ入れる、といいます。 サタン・・・・・「悪魔」をさします。 神に敵対し、神の計画を妨害し、民を誘惑して反逆へ導く存在。 旧約聖書では神に仕え、神の前で人間の罪を告発する役割を果たして        いますが、のちに誘惑者として登場します。 新約聖書では悪霊たちの首領であり、人を誘惑するだけでなく、神の業を妨害しますが、最後の時には滅びます。 三教合同・・・・・日露戦争後の国家意識のゆるみを心配した内務次官の床次竹二郎により、1912年、神・仏・基三教の代表者による会合が行はれ、各々の教義を発揮して、 国を助け、国民道徳の振興を図るという決議をしました。 サン・バルテルミの虐殺・・・・・1572年8月、パリで行われフランス各地で10月までつづいたプロテスタントユグノー派を、カトリック派のギーズ一門の兵隊が虐殺した 事件。 シケム・・・・・・・アブラハムが神の声を聞き、カナンで最初に祭壇を築いた地。 エルサレムの北方、ゲリジム山の麓の地で、現在はテル・エル・バラータ(樫の木の廃墟)と呼ばれています。 シケムはカナン全土のほぼ中心部に位置して いたので、「地のへそ」とも呼ばれていました。モーセの遺志を継ぎカナン占領を果たしたヨシュアが、イスラエルのすべての部族をシケムに集め、そこに 祭壇を築き、モーセにならって神への誓いの言葉を確認したのは、シケムの宗教的・軍事的重要性を物語っています。 嗣業の地・・・・・・・遺産として相続した土地のことで、カナンの地はイスラエルにとって神から与えられた嗣業の地とされ、これが部族ごとに分配され、さらに氏族ごと に分配されました。 レビ人は、祭司職を理由に嗣業の地をを与えられなかったけれど、捧げものの十分の一を与えられました。 士師(しし)・・・・・士師とはイスラエルを脅かす周囲の敵(特にペリシテ人)からイスラエルを守る軍事的性格を持った指導者のことですが、もとは人々に推されて、十 二部族の連合を指導する一方、日常的なもめごとや争いをごとを解決する調停官の役割を果たす人を呼んでいました 使徒伝承の思想・・・・・・・教会の聖職の持つ権威が使徒たちから伝承されたものであるという考え。 二世紀にグノーシス主義が教会の統一を脅かすようになり、これに対して正しい権威の座として、使徒以来の伝承を保つ主要都市の司教たちが重んぜら れるようになったことに起因します。 司 牧・・・・・聖職者が自分の責任下にある信者を教え、典礼(礼拝、儀式)や信仰生活全般にわたって導くことで、プロテスタント教会では牧会ということが多いようで す。 社会的福音・・・・・資本主義の弊害に対して、展開された人道主義的な社会運動ですが、人間の罪に対する理解が楽観的であると批判されました。 ジャンセニスム・・・・・・主として恩恵の問題をめぐり、アウグスティヌスの思想を受継ぐオランダの司教やヤンセンの名に由来する思想で堕落した人間性の回復と、自 由への再生は贖い主であるキリストの恩寵によってなされることを説き、その恩恵論をめぐってイエズス会と対立しました。 ・・・・・・・・・・古代イスラエル人は神の名ヤハウェをみだりに唱えることを固く禁じられていたので神を主(ヘブル語でアドナイ)と呼びました。 そのギリシャ語訳が「キュリオス」ですが、イエスの時代、ローマでは皇帝を神として礼拝していたため、皇帝は「キュリオスと呼ばれていました。 そうした中で「イエスはキュリオス」と告白することはローマ皇帝に対する反逆であるとされ、イエスを「主(キュリオス)」と宣言することは重要な信仰告 白となったのです。 首位権・・・・・全世界の教会の司教(主教)たちの間で特別の地域社会の司教が、他の周辺の司教に対して指導的立場もしくは権限を有することで、中でもローマ司教は使 徒たちの頭であったペトロの後継者とされ、その首位権が突出し、6世紀以後は「教皇」の尊称を独占しました。 宗教多元主義・・・・・他の宗教が諸文化の伝統を、それ自身価値あるものとして承認し、対話をとおして相互に自己自身の立場が何であるかを知り、場合によっては、創造 的に自己自身の伝統を変革する機縁として役立てようとする立場。 十二部族・・・・・ヤコブには12人の子供がいましたが、その子孫である十二部族がイスラエルの民族共同体の祖先となりました。 12人の子供は ルベン、シメオン、レビ、ユダ、ダン、ナフタリ、ガド、アシェル、イサカル、ゼブルン、ヨセフ、ベニミヤンでのちにカナンの地は十二部族に分 配されました。 修辞学・・・・・人を説得する術、そこから発して相手に感動を与えるように最も有効に表現す方法を研究する学問。 アリストテレスの「修辞学」(弁論術)に始まるといわれます。 十 戒・・・・・・・モーセがシナイ山で授かった十の掟で石板に刻まれ受け継がれました。 ・あなたは、わたしのほかに、なにものをも神としてはならない。 ・あなたは、自分のために、刻んだ像を造ってはならない。          ・あなたは、主の名を、みだりに唱えてはならない。          ・あなたは、安息日をおぼえ、これを守らなければならない。          ・あなたの父母を敬え。          ・殺してはならない。          ・姦淫してはならない。          ・盗んではならない。          ・隣人について、偽証してはならない。          ・隣人の家をむさぼってはならない。 受 肉・・・・・・・万物に先立って、神のもとに存在した神の子(ことば)が人間イエス(肉体)となって人間を救うために地上に現われたという教理。 召 命・・・・・・・神に召されて特別な任務につくこと。 神は救いの業を完成するために、ある人を召しだし、神の国の仕事につかせます。 旧約聖書に出てくるモーセの出エジプトや予言者イザヤやエレミヤなどの物語なども神の召命を受けて始まります。 贖宥状・・・・・免罪符とも言い、中世カトリック教会が発行した証書。聖人の功徳によって免罪効果が得られるとされました。 神学大全・・・・・トマス・アクィナスの主著。 1266年頃に執筆されましたが、完成せず、弟子のレジナルドが補足して完成。 カトリック神学を体系づけ、スコラ哲学を集大成したもの。 信仰と理性の調和をはかりつつも哲学を神学のしもべとしました。 信仰と職制運動・・・・・諸教会の職制や聖礼典に関する相互理解を通して教会の一致を目指し、ブレントが主唱、1937年エジンバラの第二回世界会議で「生活と実践」 運動との将来的合同が決議され、世界教会協議会の創立へとつながりました。 神政政治(テオクラシー)・・・・・為政者が最高の支配者である神の代理人として統治を行う政治のことで、チベットのダライ・ラマの支配、ヴァティカン市国におけ る教皇の支配や日本の天皇制もその色彩が濃いとされます。 新プラトン主義・・・・・・3世紀半ばプロティノスによって基礎づけられたギリシァ哲学最後の学派で、人間霊魂が物質的なものから脱出・上昇して世界の原理である 一者(いっしゃ)=神と合一できるという神秘哲学、キリスト教、イスラム教などに受け継がれました。 人文主義・・・・・・教会の権威や神中心の世界観から人間を解放し、ギリシア、ローマの言語・文学・芸術の研究を通じて普遍的な教養を身につけ、人間の尊厳を確立す ることを目指す運動や立場。 ルネサンス初期のイタリアに始まり、ペトラルカ、ボッカチョ、ピコ・デラ=ミランドア、オランダのエラスムス、フランスのビュデ・ラブレー、ドイツの フッテン、イギリスのモーアがその代表。 新約聖書・・・・・新約聖書の「約」とは「契約」で約束のこと。新約はイエス・キリストを通じての新しい契約ーすべての人々に対する救いの約束ーのことです。 旧約は神がモーセを通してイスラエルに与えた救いの契約のことです。 枢 機 卿・・・・・カトリック教会において、司教の中から選ばれたローマ教皇の最高顧問。教皇選挙権を持ち、教会行政の要職などを務めます。 過越祭・・・・・・過越(すぎこし)とはモーセに導かれたイスラエル民族がエジプトを脱出する前夜、「子羊を殺し、その血をかもいと門の入り口とに塗り、肉は火で焼き、 種の入っているパンと苦菜を添えて食べねばならない」という神の命令に従い、エジプト人に下された全国の長子が殺された神の災いが過ぎ越したとい う意味です。 その日からユダヤ教徒は毎年種入れぬパンと子羊の肉を食べる「過越祭」を守り続け、神がイスラエルの民を守ってくれた夜を想い起こしています。 聖遺物崇拝・・・・・イエスや使徒にまつわる品で、奇跡的な力をもつと信じられ、崇敬の対象となりました。 聖画像論争・・・・・東ローマ皇帝レオ三世が、すべての聖像・画像を偶像だとして破壊を命じた勅令(726年)に対して、コンスタンティノポリス総主教ゲルマヌスが反 対、教皇に訴えましたが、皇帝により罷免され、一方教皇はレオ三世の支持者を断罪しました。 生活と実践運動・・・・・キリスト教の社会倫理と社会実践を掲げ、ゼーデルブロームの指導の下に、諸教会の一致と社会正義の実践に積極的に関与しました。 聖 痕・・・・・・両手、両足、脇腹、額などキリストが受難の際に受けたと同じ場所に発生する傷でキリストと同じ苦しみを受けます。 聖霊・・・・・・・・・・主の霊や神の霊をあらわす言葉で、もとの意味は「風」「息」「空気」などで人の目に隠された、しかしすべての物を動かす不思議な力を指しています。 セム、ハム、ヤペテ・・・・・箱舟から出たノアの子たちは世界中に子孫を増やし、セムの系図からはアッシリア、アラビア、ヘブル、アラムの民族が、ハムの系図からは、 エジプトおよびエチオピヤがヤペテの系図からはインド、ヨーロッパ族が生まれました。(参考・セム系諸族) 占星術の博士たち・・・・・単なる星占い師とはまったく違い、星の運行や月の満ち欠けなど、天文現象の観測結果にもとづいて、農業に必要な年間の気候のデータを 人々に提供して、天文現象の異変があればすばやくそれをとらえ、解読して間近におこる政変や天変地異を予告しました。 タ 行 太陽の賛歌・・・・・フランチェスコが病床で、盲目の状態で書いた神への賛美の詩、自然を人間の「兄弟姉妹」と呼び、永遠の命に至る希望を語っています。 知恵文学・・・・・ここでの「知恵」とは学問、知識を積み重ねただけのものでなく、人生の真実を悟り、物事の本質を理解する能力のことで、愚者の言葉に対して賢者の 言葉を意味し、賢者の言葉には神の意志や知識が隠されているという思想が背景にあります。 知恵文学はこういった「知恵」を格言やことわざ、教訓詩などを用いて、人生や社会の諸問題を教えようとする文学で「ヨブ記」「箴言」「伝道の書」「詩篇」 などの作品です。 逐語霊感説・・・・・聖書は一語一語に即して忠実に、神の霊感を受けて書かれたものであるから、一字一句誤りのないものであると主張する説。 長老制・・・・・教会の統治形態の一つで、信徒の代表も参加する制度。各教会の信徒代表と牧師による小会(長老会)、地域を代表する中会、全国組織の大会より成ります。 長老派教会とは長老制によって教会政治を行うカルヴァン派教会のことです。 ディアスポラ・・・・・「離散」を意味し、パレスチナ以外の外国に住むユダヤをさします。 ローマ皇帝アウグストゥスの時代、ユダヤ人の総数は約450万人で、そのうち50万〜75万人以外はディアスポラだったといわれます。 デカポリス・・・・・「デカ」は10、「ポリス」は都市のことで、パレスチナにおけるギリシャ植民地10の都市連合を言います。 一つを除いてヨルダン川東方にあり、大勢のデカポリスの人々がイエスに従いました。 テトス・・・・・・パウロの信任厚い協力者。パウロの伝道を助け、特に問題の多かったコリント教会とパウロとの間で、その困難な使命を果たしました。 ギリシャ人でありながら未割礼のまま、キリスト者となった例としてあげられています。 テモテ・・・・・・パウロの弟子の一人で、パウロが最も信頼を置いていた人。 ガラテヤ地方の出身で、ギリシャ人を父に、ユダヤ人を母に持ち、パウロの伝道に協力しました。 天 使・・・・・ヘブル語では「マラーク」で、神と人との仲介者をさしています。 イスラエル人は神は「つむじ風」や「火」の中から現われるほかに「夢」や「幻」や「天使」をとおして自らの意思を人間に伝えると信じ、とりわけ天使の働き を重要視してきました。 その理由の一つに、イスラエル人の間では、神を見ると必ず死ぬという観念が広まっており、仲介者の働きが重要となったと考 えられています。 ・東西教会の対立・・・・・二世紀中頃、すでに復活日の決定をめぐる論争、聖職者の妻帯、髭をたくわえることの可否をめぐって両者は異なった立場をとり、対立しまし た。 ・塔の体験・・・・・ルターは人間は信仰のみによって救われるという福音の理解を得ましたが、この確信を聖書研究に打ち込んだ修道院の塔の中で、得たことからこう 呼ばれます。 ・東方カトリック教会・・・・・1054年の東西教会分裂以降、カトリック教会の働きかけで帰順した一部の東方教会のこと。 東方諸教会・・・・・西方教会(カトリック、プロテスタント)と対比する意味で、東方教会は東方正教会(カルケドン信条を堅持する立場)とその他の東方諸教会(カル ケドン信条に反対する立場)に分かれます。 ナ 行 ナジルびと・・・・・「ナジル」とはヘブル語で「聖別された者」の意味で、聖書に定められた三つの戒律を守り、ある一定期間、あるいは一生涯をひたすら神に仕えて生き るよう誓いをたてた者を指しています。 三つの戒律とは @ぶどう酒を断つ、またぶどうの実も液も種も皮もとらない A満願の日まで頭髪にかみそりをあてない、髪の毛は伸ばし放題 B死 体には近づかない。父母、兄弟、姉妹が死んだ時でも同じこと。 で、ぶどう及びぶどう酒の禁止は、カナンの農耕文化に対するイスラエル人の拒絶反応、頭髪は神の霊力がもっとも敏感に感じられる部分、死体との接 触は穢れなど、三つの戒律にはそれぞれの理由がつけられています。 士師サムソンの怪力の秘密が彼の頭髪にあった話は、彼がナジルびとであったことを物語っています。 ナルドの香油・・・・・・ナルドはヒマラヤ原産のオミナエシ科の植物のことで、ネパール、ブータン、ヒマラヤ山脈に自生し。香油はその根から採取れ、高価な商品となり      ました。 日本キリスト教婦人矯正会・・・1886年、来日した米国キリスト教婦人矯正会の特派員M.C.レヴィットの手により、東京婦人矯正会が発足、1906年、日本キリスト教婦 人矯正会と改称。 乳 香・・・・・・・・アラビヤ及びアフリカ原産の「ヤッガー」と呼ばれる乳香樹の樹液を乾燥させて作った乳白色の香料。 熱心党・・・・・・ギリシャ語では「ゼーローテース」で「熱心な者」の意味。 当時「ゼロテ党」と呼ばれていたガラリヤ地方の政治結社をさしています。 イスラエルに対する外国(特にローマ)の支配に反対し、それを徹底的に排斥するためには暴力行為をも辞さないという過激な集団だったようです。 ハ 行 伴天連追放令・・・・・1587年、豊臣秀吉が筑前箱崎で発した「定」五箇条のことで、「伴天連」はポルトガル語のバードレ(神父、司祭)への当て字です。 内容は、神国である日本でキリシタンの邪法を説くこと、集団改宗、社寺破壊の禁止、司祭・神父の20日以内の国外退去、仏法を妨げない外国商人の渡来 許可などです。 バプテスト派・・・・・17世紀はじめ、イギリスのピューリタン分離派から誕生、信仰復興運動と結びつき、アメリカで最大の教派となりました。この派の共通した特徴は、 聖書を信仰と生活の基準とする聖書主義、各個教会の自立・自治を主張する会衆主義、政教分離原則、幼児洗礼を否定し信仰者の「パブテスマ浸礼による洗 礼」を重視する点にあります。 パラクレートス・・・・・ヨハネ福音書で助け主ないし弁護者と呼ばれている神の霊のことで、その働きは生前のイエスの言動の意義を解き明かし、外部の敵対的世界の 罪を暴くことにあるとされます。 パリサイ派・・・・・サドカイ派とならぶユダヤ教の一派。 「パリサイ」とは"分離された者たち"の意味で、この派の人々が「モーセ五書」に定められた律法を厳格に守り、 それを実行する点で、他の人々から厳しく"自らを分離する者たち"であったからとされます。 パリサイ派は主としてエルサレムを中心とする都市部の市民を背景に勢力をふるい、神職、祭司職を独占するサドカイ派と対立していました。 イエスがパリサイ派とたたかわした論争は、彼らが律法の形式的実行を重んずるあまり、律法本来の精神を逸脱し、偽善に陥っている点に集中しています。 福音書によるとパリサイ派はサドカイ派とともに、イエスの主張を最後まで理解しようとせず、「律法を汚すもの」と非難し、イエスを十字架に追い詰めて いきました。 バルナバ・・・・・・・・・・キプロス島出身のユダヤ人でレビ人。 ダマスカスで回心したパウロを寛大に迎え入れ、エルサレムの使徒たちへ紹介、パウロと共に、アンティオキアから異邦人伝達に派遣され、キプロス、小アジ ア高原、南ガラテヤ諸都市を、ともに伝道しました。 ハレルヤ(Hallelujah)・・・・・Halleluは、「ほめる」で神をほめたたえよ=主を賛美せよ の意味で、喜びや感謝を表し祈りや賛美の初めと終わりに用いられてきました。 秘跡(サクラメント)・・・・・キリストによって定められた恩恵を受ける手段・方法。カトリック教会では「秘跡」、プロテスタントでは「聖礼典」、聖公会では「聖奠」、ハリ スト正教会では「機密」といわれます。 カトリック教会では洗礼、堅信、ゆるし、聖餐、叙階、婚姻、癒しの7秘跡が行われています。 ヒッポ会議・・・・・・・・北アフリカのヒッポで開かれた全アフリカの教会会議。393年、395年、426年の三回開かれましたが、あとの二回については、あまり知られていませ ん。当時アウグスティヌスが同地の主教であり、その影響のもとに旧約聖書と新約聖書を正典と定め、のち教皇によって認められました。 布教聖省・・・・・1622年、全世界の宣教活動を指導するために創設された教皇庁の行政機関。 教皇グレゴリウス15世の命により正式に発足、「プロバカンダ」とも呼ばれ、 1649年の資料では、26宣教団と300名以上の宣教師を指導。 福 音・・・・・もとは一般的に「よい知らせ」を意味し、戦いの勝利の知らせとか子どもの誕生の知らせなどに用いられました。 ローマ圧制下の時代にメシアによる救いの時がユダヤ人によって待望され、このことが実現されることこそユダヤ人にとって、まさに「福音」でした。 旧約聖書の"よき訪れ"はユダヤの民がバビロン捕囚からイスラエルの神ヤハウェによって解放されることを指しています。 福音主義・・・・・教会の権威や既成のスコラ哲学の枠にとらわれず、聖書の福音書を忠実に受容、継承していこうとする立場。(詳細はこちら) ベタニア村・・・・・エルサレム南東3キロのオリーブ山のふもとにあるイエスゆかりの村。 この村でイエスはマルタとマリアの姉妹とその弟のラザロを知りました。 現在ベタニアの呼び名はなく、「エル・アザーリエ(ラザロのところの意味) と呼ばれています。 ペリシテ人・・・・・もともとはエーゲ海のクレタ島を中心に栄えたクノッソス文明の人々と推定されますが、紀元前1800年代の後半、大地震がクレタ島を襲い、クノッ ソス文明が崩壊したあと、エーゲ海方面から東部地中海世界に侵攻し、エジプトを脅かし続けた強力な海の民(紀元前14世紀頃から海路では地中海を越 え、陸路では小アジアを通過してオリエントの西部辺境地帯に押し寄せた少数の民族混声軍)です。 彼らは紀元前1180年頃エジプトのラメレス三世と戦ってエジプト侵入を阻止されたあと、東部地中海の海岸線一帯にそれぞれの部族に分かれて、ガザ、 ガテ、アシュケロン、アシュドト、エクロンの五つの都市国家(ペンタポリス)を建設しました。 これら五つの都市国家が、それぞれ王制をしき、緊密な連盟を結び、強力な軍隊と鉄の武器と戦車を使って次第に内陸部へ進出を開始、イスラエルとの 間に激しい衝突が起こり、やがて戦闘へと発展していきますが、ゆるやかな連合体にすぎないイスラエルは、たちまち存亡の危機にさらされます。 現在 のパレスチナという地名はこのぺりシテの名に由来するといわれます。 ペルシャ的二元論・・・・・ 世界の創造と歴史を、善悪二神の根源的対立として説明するもので、ゾロアスター教がその代表的のもの。 ヘレニズム哲学・・・・・・ヘレニズム哲学とは、アレクサンドリア大王の東征(前334年)からローマのエジプト統合(紀元前30年)頃までに展開された哲学思想で        1 アカデメィア派、2 ペリパトス派、 3 ストア派、 4 エピクロス派、 5 懐疑派 などがあり、ポリス(都市国家)時代の哲学の反省と再評価により、移行 期の哲学として次代の思想を準備したといわれます。(関連サイト・ヘレニズム文化) 包括主義・・・・・他宗教ないし宗派を一定の制限つきで認めはするが、それを真実にして唯一の教えに対する予備的な役割をなすものとしてみ扱う立場。 牧会書簡・・・・・新約聖書中のTテモテ書、Uテモテ書、およびテトス書の三つの手紙は牧会上の問題を多く取り扱っているので、牧会書簡と言われます。 牧会とは教会で牧師が信者の魂の配慮をし、信仰と生活を導くことです。 ボゴミール派・・・・・司祭ボゴミールが起こした二元論分派で、東ローマ帝国に広まり、マニ教と同一視され、迫害を受けました ホサナ・・・・・・・原語はヘブライ語で、もとの意味は「救いたまえ」。キリスト教会はこの日を「しゅろの日曜日」と定め、人々は、手に手に「しゅろの葉」をかざし、「ホサ ナ、ホサナ」と歌いながら行列をつくって町をねり歩きます。 ホーリネス教会・・・J.ウェスレーのキリスト者の完全論を中心的教理とし、日本メゾシスト教会から独立した中田重治が1917年に、東洋宣教会を設立し、名称を「日 本ホーリネス教会」としました。 ホレブの山・・・・・ホレブとはヘブル語で「乾いたところ」という意味で、ホレブ山はシナイ半島の標高2300bの険しい岩山でシナイ山とも呼ばれます。 モーセはここで、はじめて神の声を聞き、エジプトを脱出、その後十戒を授けたのも、この山で更に預言者エリヤが「神の声」を聞いたのもこの山で聖なる 山とされています。 山のふもとにギリシア正教会の聖カテリーナ修道院が建っています。 マ 行 マグダラ・・・・・・・ガリラヤ湖の西岸、テベリヤの北方約5キロのところにあった町、福音書に登場するマグダラのマリアはこの町の出身。 「マグダラ」はアラム語で「塔」の意味。 当時はガリラヤの4つの大きな町の一つに数えられた土器製造と染色で知られていました。 マ ニ 教・・・・・・・3世紀にマニが創始した、ゾロアスター教、キリスト教、グノーシス主義、仏教からなる混淆宗教。 幕 屋・・・・・・モーセがシナイ山で十戒を授けられたのち、神の命令に従って作ったテントの礼拝所。 契約の箱が安置され、また神が現われてモーセらと語らう場所になったので「臨在の幕屋」とも呼ばれ、イスラエル民族の荒野の旅に伴って移動しました。 マ ナ・・・・・・・モーセに率いられてエジプトを脱出したイスラエル人が、40年の間、シナイの荒野をさまよい続けたとき、これを食べて命をつないだと伝えられる奇跡        の食べ物で、シナイ半島に自生するギョリョウとよばれる木に寄生するマナ虫の分泌液が固まったものであることが知られています。        荒野を放浪中のイスラエルの民は、マナを天より降ってきた神の賜物と受け取り、そこに確かな救いの手を見ました。 ミラノ勅令・・・・・313年、ローマ帝国でキリスト教を公認した勅令。 当時の西ローマ副帝コンスタンティヌス1世とリキニウスがミラノで会見し、キリスト教徒の信仰の自由を保障するため、両者連名で発布したと伝えら れます。キリスト教を帝国統治の上に役立てようとする意図があったといわれます。 娘シオン・・・・・・・シオンとは古都エルサレムの、ある丘の名称。或いはエルサレムの町そのものを指し、「シオンの娘」とは「エルサレムの住民を指します。        旧約聖書におけるシオンは、 @ヤハウェから選ばれた「神の都」であり、それゆえAバビロン捕囚後イスラエルの民が帰還する目標の地であり、さらには       B他国に侵略されることのない聖なる都としてC終末においては世界の中心となり世界中の民が礼拝のために集まってくる聖地として描かれています。 シオンの丘がこのように世界の中心であるという思想はユダヤ人の「神の民」としての選民意識と密接に関連しあっています。 この思想はいわゆる「シオ ニズム=パレスチナにユダヤ人国家を建設しようという運動」としてローマ帝国によるエルサレム崩壊後から、第二次世界大戦に至るまで、長い間ユダヤ人   たちによって受け継がれてきました。 そして大戦後、イスラエルがパレスチナ人を強制的にパレスチナの地から追放し、長期のパレスチナ紛争をもたらし       た火種となっている思想でとも言われます。(関連サイト・パレスチナ問題) 黙示文学・・・・・黙示とは「宇宙の万物に関する隠された秘密が象徴的に説き明かされること」で「啓示する」とか「ひらき示す」とも訳されます。        ここでいう「秘密」とは天上界の出来事を指しますが、その内容はこの世の終末、この世の終わりがいつ、どのようにやってくるのか、そのとき人間はどう なるのか・・・・・といったこの世の出来事が中心です。 黙示文学はこの世の終わりの破局を宇宙的なイメージを使って描き出し、絵画的効果を引き出すことを目的としたもので、旧約聖書のダニエル書、新約聖 書のヨハネ黙示録、マルコ福音書の13章がその系列に加えられます 没 薬(もつやく)・・・・・・・・・「ミルラの木」と呼ばれるカンラン科の木の幹からとれる樹液で、胃の薬や香料に用いられました。 原産地はエチオピア高地、ソマリヤなどに限られ、パレスチナの人々にとっては高価な輸入品、聖油や香料として珍重されていました ヤ 行 ヤムニア・・・・・・古代パレスチナの都市ヤブネのギリシャ名で現イスラエルのヤブネ。テルアビブジャファの南にあり、100年頃旧約正典が確定された会議が行われた ところとして有名。 ユダの死・・・・・・使徒行伝によると、イスカリオテのユダはイエスを裏切ったのち、不正に働いて得た報酬で買った土地の地面に、真っ逆さまに落ちて、体が真ん中か        ら裂け、はらわたが皆出てしまったとして神罰によって死んだこと、その土地が「血の土地」と呼ばれるようになったことなどが伝えられています。 ユダヤ人・・・・ユダヤ人という呼称は北王国イスラルが滅ぼされ、北王国に属していた十二部族が消滅してしまった後、南王国ユダだけが残り、その南王国ユダがバビ        ロニアに滅ぼされ人々がバビロンに連れて行かれ、その地で「ユダの民」としてユダヤ人と呼ばれ始めたことによります。        それが後にギリシァ人によって「ユーダイオイ」(ユダヤ人)と呼ばれて一般化しました。         「ヘブライ人」 「ユダヤ人」「イスラエル人」は同じ民族です。 「ヘブライ人」はもともと遊牧民という意味の<ハビル>という言葉に由来すると考えられて おり、イスラエル人やユダヤ人の源泉と考えられます。 「イスラエル人」は部族統合によって達成されたイスラエル国家(ヘブライ王国、紀元前1000年頃) に所属する民のことです。 傭兵制度・・・・・・傭兵とは金銭による報酬を条件に軍隊に参加する兵士のことですが、スイスでは1499年の独立達成後はスイスの経済的貧困を打開するため、ヨーロッパ 各地の傭兵となって働いたもので、傭兵契約は州当局が行っていました。 この傭兵制度の内実は人身売買であり、この取引の最大の相手が教皇庁であり、ツヴィングリはこれを国辱的であるとして批判しました。 預言者・・・・・・神からの使者と認められ、神の言葉を預かる人のこと。 預言者は神の計画や命令を聞き、それをイスラエルの民に伝えるために神によって選ばれた者 とされます。 旧約聖書では、エリヤ、エリシャ、ホセア、イザヤ、エレミヤなど多くの予言者が登場します。 ヨシヤ王・・・・・紀元前7世紀後半のユダ王国の王で王国時代末期の最も優れた王とされています。 神殿で発見された「律法の書」に基づき、異教的な要素を排除し、正統的祭儀をエルサレムの神殿のみに集中する宗教改革を行いました。 一方それまでア        ッシリアの属国であったユダの独立を事実上回復させ、アッシリアの属州になっていた旧イスラエル(北)王国の領土の再併合にも部分的に成功しました。 予定説・・・・・この世と人間生活のあらゆる出来事が神によってあらかじめ規定され、神の意志に全く支配されるとする考えで、人間の救いと滅びは神の主権によってあ らかじめ予定されているという考え。 ラ 行 ラテラン協定・・・・・1929年、ローマ教皇庁とムッソリーニ政府との間で調印された協定。これにより1870年以来対立してきたイタリア国家と教皇庁は相互承認に基づ く和解に達しました。 イタリアとカトリック世界に熱烈に歓迎されたこの協定によってムッソリーニは大衆の支持を獲得し、対外的にはファシズムの威 信を拡大しました。 レビ族・・・・・・族長ヤコブと妻レア(ラケルの姉)との間に生まれたレビの子孫をさします。 祭司職とかかわりを持ったことから祭司を意味する呼び名として用いられてきました。 ロンバルドゥス・・・・・1095頃〜1160年、前期スコラ神学者。1159年パリ司教となり、「命題集」を残しました。 「命題集」は先行する神学者、アウグスティヌスなどを広く引用しながら、神学の諸論点を体系的に整理したもので、16世紀に至るまで西欧の大学の神学部 の標準教科書となりました。 ワ 行 トップページへ