第一次大戦後の不況と関東大震災により大打撃を受けた企業に対し貸付けていた銀行は経営 内容が悪化していました。 1927(昭和2)年1月憲政会若槻内閣は震災手形二法案(震災手形損失補償公債法案、震災手形善 後処理法案)を議会に提出しました。法案審議は野党の政友会から不良企業救済策であるとの 追求をうけ難航していましたが、審議最中の3月14日東京の渡辺銀行は手形交換尻の決済に窮 して休業を大蔵省に報告しました。 同日午後の予算委員会で片岡蔵相がこのことを述べたため、渡辺銀行は同日辛うじて決済を したにもかかわらず蔵相から破綻を宣告されては営業ができないとして翌日から同系列のあ かぢ貯蓄銀行とともに休業し、以後取り付けは全国の中小銀行に波及しました。
片岡蔵相の失言と渡辺銀行の休業を報ずる東京朝日新聞(吉川弘文館・国史大辞典)
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