ハプスブルグ家

ハプスブルグとは「鷹の城」の意味でスイス北部の貴族の家系でオーストリアの王家 で13世紀以来神聖ローマ帝国皇帝に選ばれた名門です。 1273年ルドルフ1世の時、神聖ローマ帝国皇帝に選ばれ、13〜14世紀を通じて領土を拡 張して、オーストリアを領有しました。 1438年にアルブレヒド2世が皇帝に選ばれてからは代々皇位を継承しました。 政略結婚によりマクシミリアン一世はスペイン、ブルグンドを併合して孫のカール5 世(スペイン王としてはカルロス1世)のときスペイン王を兼ね、最盛期を迎えました。 その後スペイン系はフェリペ2世が継ぎましたが無敵艦隊の敗北などで国力は衰え、 1700年には断絶しました。 オーストリア系は1740年男系が絶え、マリア・テレジアがロートリンゲン候フランツ 1世と結婚しプロイセンやブルボン朝の圧力に対抗しました。 1806年ナポレオン1世によりフランツ2世が退位させられて、神聖ローマ帝国が消滅す ると、以後単にオーストリア皇帝と名乗りましたが第一次世界大戦後オーストリアは共 和制となりハプスブルグ家も倒れました。 ハプスブルグ家はドイツ国王として神聖ローマ皇帝を兼ねていたため、世界国家の理 念に立って超国家的政策を追及し、また事実上帝位を世襲していたため自己の勢力拡大 に力を入れドイツの国家統一には関心を示さなかったため、他のヨーロッパ諸国に比べ 中央集権国家の形成が遅れたといわれます。

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