後醍醐天皇の最後

 後醍醐天皇は朝敵足利尊氏一門を滅ぼす願いも空しく、病のため52才の生涯を閉じますが、太平記(巻二十一・後醍醐天皇崩御の事)は天皇の最後の様子を次のように述べています。
   後醍醐天皇像(京都・大徳寺蔵)
「玉骨はたとひ南山(吉野山)の苔に埋むるとも霊魄は常に北闕(京都)の天に望まんと思ふなり。もし勅を背き義を軽んぜば、君も継体の君(位を受け継いだ君主)にてあるべからず」と委細に綸言(天子の言葉)を残されて、左の御手には法華経の五の巻を握らせ給い、右の御手には御剣を按じて八月十六日丑の刻(午前2時ころ)に宝算(天皇の年齢)限りありしかば五十二才と申ししにつひに崩御ならせ給ひにけり。

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