ギリシアの独立戦争

 ギリシアは長い間オスマン帝国の支配下にありましたが、地中海貿易で富を貯えていたギリシア
商人は、貿易を行なう中でヨーロッパの民主主義思想に触れ、ギリシアの独立を目指して立ち上が
り武力闘争に発展しました。
 オスマン帝国はエジプトの協力を得てキオス島の虐殺事件など徹底的な力による弾圧を行ない
ましたが、ロシアでニコライ1世が即位して南下政策上、ギリシア援助に傾くと、イギリスもインド
確保のためフランスとともにこれに干渉して、ロシア、イギリス、フランスの三国は1827年トルコ・
エジプトの連合艦隊をナヴァリの沖で破りました。
 1829年、アドリアノーブル条約でオスマン帝国は、ギリシアの独立を認め、翌年ロンドン会議で列
国が独立を承認、ウイーン体制の一角が崩れました。
 当時のヨーロッパには中世や古代ギリシア・ローマの時代を尊重するロマン主義の風潮があり、
この戦争にはイギリスの詩人バイロンっが自ら義勇軍を引きいて参加、フランスのロマン派画家
ドラクロワは「キオス島の虐殺」を描いて人々に訴えました。

バイロン、トマス・フィリップス画
(ロンドン・ナショナル・ポートレート・ギャラリー蔵)

キオス島の虐殺・ドラクロワ画
(パリ・ルーヴル美術館蔵)


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