フビライの日本遠征


 高麗を完全に征服した元は日本を
も服属させようと考え、フビライ=ハ
ンは数回に亘り日本に使者を送り貢
物を求めましたが、時の執権北条時
宗に拒否されました。
 そのため1274年(文永の役)と81年
(弘安の役)の2回、九州に侵略しまし
たが九州・四国武士の激しい防戦と
台風にあい失敗、1294年フビライの
死により元は日本への侵略を断念し
ました。
 日本では元軍を撃退したものの戦
後の恩賞も不十分であり、その後の
防衛のため経済的負担が大きく、御
家人たちの反発を招き幕府滅亡の原
因となり、また暴風雨=神風として
神国思想が広まるきっかけとなりま
した。
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竹崎季長の奮戦「蒙古襲来絵巻」より