対華二十一ヶ条要求
1915(大正4)年1月日本政府が中国の袁世凱政府につき つけたもので内容は 1、山東省のドイツ権益をそのまま日本が引き継ぐ こと。 1、南満州や東部内蒙古の日本の権益を大幅に広げ ること 1、「漢治萍」という製鉄、鉱山の会社を日中両国の 経営にすること 1、中国の沿岸や島をこれ以上、他の国に譲り渡さな いこと このほか中国政府に日本人の政治、財政、軍事の顧問を 送り込むなどの希望条項を加え細かく分けると全部で 二十一の項目にならます。 この要求に中国政府は抵抗しますが同年5月9日日本の 圧力に屈し要求の大部分を受け入れました。 中国ではこの日を長く「国恥記念日」として反日運動を 盛り上げる出発点としました。 列強各国も日本の中国進出に対して警戒心を強めたた め日本はロシアとアメリカの両国との間に協定を結び中 国における利害の調整を図りました。(日露協約及び石井 ―ランシング協定) |
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