南方澳
南方澳は台湾の東海岸にある漁港のことです。
北京語のピンインはnan2fang1ao4。
台湾が日本の植民地だったころ、沖縄の人たちがたくさん住んでいたし、戦後、植民地ではなくなったあとも沖縄の人たちが留まっていたようです。
私は南方澳にいた沖縄の人たち、とりわけ、八重山の人たちのことに関心があります。調査がががーっと進むことはありませんが、少しずつ成果が出てきています。ちょびっとずつ公開していきます。
國光客運と首都客運のバスが鉄道の羅東駅から出ているけど、私はいつも蘇澳駅近くの白米橋のバス停から乗る。料金は國光客運だと白米橋から南方澳まで22元。首都客運に乗ったときは、悠遊カードで精算したので料金は確かめずじまいでした。
ちょうど夕飯前の時間にあたっていたようです。捕れたばかりの魚を売る人の姿が見えます。画面の右側へ去っていく船は、岸壁に魚を揚げ、港の内側へ戻ろうとしているのです。暮らしと食べ物は密着しているのですね。あらためてそう思います。
2008年9月3日午後4時半ごろ。
左の写真は、南方澳の第2漁港と呼ばれるところです。戦後の築港で、もとは大きな池があり、その周囲に台湾人、原住民、そして沖縄からやってきた人たちが家を建てて暮らしていた場所です。そのほとんどは、写真中央の船溜まりの場所に位置していました。中央から左寄りの小高い丘のところには、四国からやってきた日本人が生活していたという証言があります。
この場所に関する証言や記録を検証し、地図で当時の様子を再現できたらおもしろいと思っていますが、その作業はまだ緒に就いたばかりです。