はなおくらレポート

龍野ひなまつり

日時  : 

2008年3月19日(水)雨

目的地 : 龍野城下町一帯
目的  : たつの市城下町ひな巡り
アクセス:

JR姫新線本竜野駅

たつの市で楽しい雛祭りがあると聞き、私達は約1年ぶりに出掛けることにした。前夜半から雨が降っていたが、催しは3月23日までだったので予定通り出発。
午前10時36分にJR姫新線のディ−ゼル列車で本竜野駅に降り立つ。
駅前の観光案内所で地図とパンフレットを手に入れて歩き始めた。しばらく行くと橋が見えてきた。揖保川に架かる龍野橋だ。
この辺りから「龍野ひなまつり」の幟が見えてきた。橋を渡りきって振り返ると、
向こう岸に「ヒガシマル醤油」の工場がど−んと見える。龍野は醤油の町でどこに行っても大豆を煮るような匂いがした。
江戸時代の雛人形 明治時代の雛人形
幟が立ち並ぶ通りには、催しに参加している商店や町屋の軒下に番号の書かれた木札が下げられていた。
往来に向けて飾ってあるお雛様を見たり、勝手に玄関を開けて、飾ってあるお雛様を見せていただけたりできる。歴史のある町らしく古い人形も多く残っている。
ある店のご主人は、娘さんが生まれたときに初節句を祝ったお人形だと話しておられた。別の店の奥様は、お婆様がお嫁入り道具として持って来られたものだとも。戦前のものや、明治時代のもの、また資料館などに所蔵されている江戸時代のお雛様まで、珍しい貴重なお人形・お道具をたくさん見ることができた。
飾り方は地方によって異なると聞いていたが、お顔も衣装も時代が違うと随分雰囲気が違って見えた。
「ひな人形展示エリア」の中に醤油資料館があって、その中にも雛人形が飾られていた。昔の醤油造りの展示を見ながら、以前に行った酒蔵と似ているなと思った。

昼食は播州素麺を、と思っていたけれど、適当なお店が見つからず、雛人形を公開していた喫茶店のようなところで済ませる。

雛人形を見ている時、龍野城とたつの市立歴史資料館にも是非行くようにと薦められた。
行ってみると、お城には天守閣がないので城跡なのだと思った。ところが、この城は戦うのが目的ではなく、執務の為の建物で、城主も家来たちも城下の武家屋敷から出勤してきていたそうだ。
私たちは、少し小さめに復元された本丸御殿を見せていただいた。戦のあまりなかった頃の武士の生活を垣間見た。
大正時代の雛人形
隣接する歴史資料館・霞城館(がじょうかん)に入る。
龍野が生んだ文化人三木露風・矢野勘治・内海信之と哲学者三木清の四氏に関する展示がされていた。
資料館では、源平の頃、鎖国・南蛮交易の頃などの船の絵・地図・絵馬など、貴重な珍しいものをたくさん見ることができた。
龍野の人と言えば童謡「♪赤とんぼ」の三木露風が浮かぶが、一高寮歌「♪嗚呼玉杯に」が龍野生まれの矢野勘治の作詞だということはあまり知られていない。
昭和12年の雛人形
降り止まぬ雨の中、古い町並みを見ながらゆっくりと歩いた。
「明日、この川で“ひな流し”が行われるのだなあ」と思いながら、風の強くなった龍野橋を戻って駅に向かった。
お天気がよくなかったので、人も少なく静かな城下町の風情をあじわうことができた一日だった。 
ひな祭りといえば 八朔の雛祭りというのがあります

竜野市室津の伝説では、永禄9年(1566年) 桃の節句に室山城城主の浦上政宗の弟宗景が,姫路城の黒田家の姫との婚礼の酒宴をしている最中に、龍野城主赤松政秀の急襲(夜襲)に遭い、虚をつかれた城兵はまともに戦えず、宗景、黒田家の姫共々討ち死にし、城主正宗は自害。 

室津の人々はこの悲劇を悼み、戦死した花嫁の鎮魂のためにその年から3月3日にはお雛祭りをせずに、半年遅れの8月1日(八朔の日)にするようになりました。