はなおくらレポート

萩の寺

日時 : 2005年 9月 14日 (水)はれ  
目的地: 妙法寺から板宿まで
目的 : 妙法寺近辺からお寺を巡り板宿周辺へ
アクセス:

神戸市営地下鉄西神線「妙法寺駅」

 秋というにはまだ少し早い9月半ば、秋の七草のひとつ「萩の花」を求めて散策にでた。妙法寺の辺りには由緒のある社寺が多いので順に訪ねてみることにした。
 10時15分、妙法寺駅前の駐輪場の脇から約100段の階段を下り、100mほど歩いて下筆前橋、谷野橋を渡ると民家の横に井戸があった。1100年ほど前、旅の僧が現れ飲み水に困っている村人のために杖で大地を叩くときれいな水が湧き出した。いつの間にかその僧は弘法大師と言い伝えられるようになり「弘法の井戸」と呼ばれるようになった。歴史のある井戸も今は忘れられたように荒れていた。地域の人たちの手で守られ交流の場として利用されればと思った。
弘法の井戸
 そこから5分ほど歩くと妙法寺の境内に出る。この寺は天平10年(738年)聖武天皇の勅願所として、僧行基により開かれたという。ご本尊の毘沙門天は国宝に指定されている。正月3日の鬼追い式も有名らしい。
妙法寺
 バス道に沿って下って行くと、西側の長く急な石段の上に源平・屋島の合戦で有名な弓の名人・那須与市宗高の墓、東側に与市が信仰していたと伝えられる北向厄除八幡神社と、この勇者を神として祀っている那須神社がある。
 与市は武運を全うしたお礼に再びこの地を訪れて参詣したが、病のため逝去したと伝えられている。 墓とほこらは当時のままだが、大正年間に建てられた建物で守られている。中におられた年配のご婦人二人にお話を聞いた。地域の方が1年中交代で墓守をされているそうで、つい1週間前にもお祭りがあったと聞き、本当に地元の人たちに大切にされていることが感じられた。
 この墓にお参りすると年老いてもシモの世話にならないという言い伝えもあるそうで今も多くの参拝客があるそうだ。
北向八幡神社
那須の余市の墓
 北向厄除八幡神社のすぐ南に、神戸では「萩の寺」として親しまれている明光寺がある。
大正時代に住職が植えたのが有名になって「萩の寺」と呼ばれるようになった。一本の株に紅白二色が交じる「源平萩」の名を持つもの等10数種の萩が咲くそうだ。満開になればさぞ見事な景色であろうと想像され、時期が早かったようで残念だった。
 明光寺は約750年前に天台宗の寺として高取山の麓に興り、のちに黄檗宗(おうばくしゅう)の禅堂が建立(1692年・元禄5年)され、一時は禅道場として栄えたこともある。
赤萩
白萩
 バス道をさらに20分ほど下ると左手奥に禅昌寺。
 山門は左甚五郎作と伝えられている立派なもので、門扉を開閉する度美しい音を出したと言われている。現在は閉じたままなのでその音を聞くことはできなかった。ご本尊は十一面観音だが、工事中で拝見することはできなかった。
 広い敷地の中にある幼稚園の園庭を通って、階段を上ると雀のお宿と呼ばれる建物(開山堂)がある。開山堂の軒下には、直径3cmぐらいの穴があけられた大小さまざまなひょうたんが100個あまりもぶらさげられていた。風が吹くたびに振れあって鳴る音も気分を落ち着かせてくれる。
 毎年11月の「もみじ祭り」に取り替えられるそうだ。参道正面の築地の向こうに見える竹林は静寂と清々しい気品がある。楓の老木も多く「もみじ寺」としても知られている。

禅昌寺開山堂のひょうたん
 きれいな空気を満喫して、最後の目的地「板宿」に向かったのは、12時40分過ぎだった。丁度タクシーがきたので乗ることに。1メーターだった。
 歩き疲れたのでレストランでしっかり休憩し、早めの帰路に着く。元気があれば板宿商店街あたりを歩いてみても面白かったかもしれない。
禅昌寺の竹林
道端の草花
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歴史を身近に感じた1日でした。
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