はなおくらレポート
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芦屋川公園 | |||||||||||||||||||
残暑の厳しい日が続いているので、近くてもあまり行かない芦屋の街を歩くことにした。環境の良い街で、様々な著名人の邸宅や、有名な建築家が設計した建物も多いらしい。 | |||||||||||||||||||
滴翠美術館へ 10時20分、阪急電鉄「芦屋川」駅に降り立った私たちは、芦屋川沿いに北を向いて歩きだした。10分程で滴翠(てきすい)美術館に。財界人として大阪財界で活躍された山口吉郎兵衛氏が個人として収集されたコレクションを没後、故人の住宅を美術館に改造して、国焼陶器・人形・かるた・羽子板等のコレクションが展示されている。 |
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今回は「永楽保全」の茶道具類を中心に展示されていた。江戸前期の陶器類で、茶道を愛する人にとっては面白い展示と思われるが、入場料の割には作品が少なく少し物足りなさを感じた。地下の茶室も公開されている。美術館には陶芸研究所が併設されており、作品を持った人が敷地内を歩いているのが見かけられた。 | ||||||||||||||||||
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公光・業平の祠へ ゆったりと周りの景色をみながら南へ、いわれのありそうな名前の橋をいくつか通り過ぎ、今度は「公光・業平(きんみつ・なりひら)の祠」を探しに。伊勢物語の主人公である在原業平と、彼に憧れていたという公光の墓というのでさぞかし・・・と思っていた。しかし、実際は、普通の民家に挟まれるように、ひっそりと佇んでいるのを見つけることができた。神社によくある提灯と奥の祠がやっと、それらしき趣を保っていた。 |
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公光・業平の祠 | |||||||||||||||||||
観光案内に必ず出ている「俵美術館」の前に来た。昔の携帯用筆記具「矢立」を多く展示している美術館で、江戸期の工芸品も多く館蔵しているのだそうだ。 この日は、珍しく好天に恵まれ暑く歩き疲れたので、とりあえず休憩をとりながら食事をということになった。どこか適当な店を探しながら、またも歩く。途中「ビゴの店」で少し買い物をしてやっと食事ができる店を見つけた。1時間ほど休憩し、また元気を取り戻して海の方に向かった。 |
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川に沿って芦屋公園内を散策する。市木でもある黒松の林になっていた。大きく広がる枝は、涼しい木陰を作っていた。芦屋市も阪神淡路大震災の大きな被害を受けていたので慰霊と復興のモニュメントがあった。 | ![]() |
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谷崎潤一郎記念館へ この公園を行き止まりまで行くと、車道と歩道を区別する壁が宮川まで続き、市民による様々な絵がカラフルに描かれて楽しい道になっていた。 |
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阪神淡路大震災と復興のモニュメント | |||||||||||||||||||
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壁画のある道 | |||||||||||||||||||
富田砕花の旧居へ
阪神芦屋駅への途中、富田砕花(とみたさいか)の旧居へ寄った。彼は、岩手県出身の詩人でカーペンターやホイットマンの詩を日本に紹介した事で知られており、ここは昭和29年建築された建物で古いながらも、懐かしさがみちていた。カーペンターの自筆の手紙や原稿などが展示されていた。 |
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谷崎亭の純和風庭園 | |||||||||||||||||||
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富田砕花の旧居 | |||||||||||||||||||
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