お 手 玉 の 歌 

地方によって( )やその他の表現で歌われている場合があります。

以下の歌のいくつかは大正から昭和の初期にかけて歌われていたもので、高齢者の方々から
昔の歌を忘れてしまったので教えて欲しいとの要望が多くありましたので掲載しました。

題  名 歌          詞

日 露 戦 争


 一 一列談判(らんぱん)破裂して
 二 日露戦争始まった
 三 さっさと逃げるはロシヤの兵
 四 死んでも(死ぬまで)尽くすは日本の兵
 五 五万の兵(御門の兵)を引き連れて
 六 六人残して皆殺し
 七 七月八日の戦いに
 八 ハルピンまでも攻め込んで(寄って)
 九 クロポトキン(クロパトキン)の首を取り
 十 東郷元帥(大将)万々才(十でとうとう大勝利)


 
 日露戦争
  明治37年、38年にわたった日本とロシアの戦争

 クロパトキン
  ロシヤの将軍で、日露戦争では満州軍総司令官を務めた。

あんたがたどこさ



 あんたがた どこさ  ひごさ ひごどこさ

 くまもとさ くまもと どこさ  せんばさ

 せんばやまには たぬきが おってさ

 それをりょうしが てっぽで うってさ

 にてさ やいてさ くってさ

 それを このはで ちょっと かくす

一番はじめは



 一番はじめは 一宮          二また日光 東照宮

 三また佐倉の 宗吾郎        四はまた信濃の 善光寺

 五つは出雲の 大社         六つ村々 鎮守さま

 七つ成田の 不動尊(不動さま)  八つ八幡の 八幡宮

 九つ高野の 弘法様(弘法さん)  十でところの 氏神さん
                                                                 (十は東京 心願寺)



 これほど神願 かけたのに      浪子の病は なおらない

 ゴーゴーゴー となる汽車は     武夫と浪子の 別れ汽車

 二度と逢えない 汽車の窓      鳴いて血をはく ほととぎす

   三月三日わらびとり          武夫は浪子の手を引いて

 浪ちゃんこけるなあぶないよ     心配なさるな武夫さん

 武夫がボートに移るとき        浪子は白いハンカチを

 振り振り振ってねえあなた       早く帰って頂戴ね

 父は陸軍中将で             中将に生まれた浪子嬢

 鹿児島武夫と生き別れ         ああなさけなや汽車の窓

 

一かけ 二かけ



 一かけ二かけて三かけて    四かけて五かけて橋をかけ

 橋のらんかん腰を掛け      はるか向こうをながむれば

 一七、八の姉さんが       花と線香を手に持って

 姉さん姉さんどこゆくの      私は九州鹿児島の

 西郷隆盛娘です         明治10年3月に

 切腹なされし父上の       お墓参りにまいります

 お墓の前で手を合わせ     なむあみだぶつと拝みます

   
大 楠 公
作詞 落合直文 作曲 奥山朝恭

青葉茂れる桜井の 里のわたりの夕まぐれ
  
木の下蔭に駒とめて 世の行く末をつくづくと

忍ぶ鎧の袖の上に 散るは涙かはた露か

正成涙を打ち払い  我が子正行呼び寄せて

父は兵庫に赴かん 彼方の浦にて討死せん

いましはここまで来つれども とくとく帰れ故郷へ

父上いかにのたもうも 見捨てまつりて我れ一人

いかで帰らん帰られん この正行は年こそは

いまだ若けれ諸共に 御供仕えん死出の旅

いましをここより帰さんは われ私の為ならず

己れ討死なさんには 世は尊氏の儘ならん
 
早く生い立ち大君に 仕えまつれよ国の為

この一刀は往し年 君の賜いし物なるぞ

この世の別れの形見にと いましにこれを贈りてん

行けよ正行故郷へ 老いたる母の待ちまさん

共に見送り見かえりて 別れを惜しむおりからに

復も降り来る五月雨の 空に聞ゆる時鳥

あわれ血に泣くその声を 誰か哀れと聞かざらん

(明治32年)

芦屋市在住の89歳のおばあちゃんから採取(2002.3.5)