善人か悪人か? と問われれば、俺は間違いなく前者だ。
 人様の迷惑になるような行為は嫌だと思うし、ゴミを所定以外の日に出す事だって躊躇うし、大それた悪事をやらかすつもりもしない。
 かといって、確実な安全を考慮した上での信号無視やら、自動販売機の釣り銭口に残されていた小銭を着服する程度の事は平然とやってのける――つまりは、ごく一般的な道徳を持ち合わせた市民という事だ。
 では真面目か否か? と問われれば、やはり俺は前者だろう。
 カンニングなどの不正行為はした事がないし、仮病や偽証と言った行為には後ろめたさを感じるし、掃除当番や委員会といった割り振られた作業だってキチンとこなす。
 小学生の高学年の頃から続いている皆勤賞だって継続中で、現在はもう七年目だ。
 授業を潰す様な真似はしたことも無いし、面倒だと思っても学校の行事にはしっかり参加する。
 しかし授業中に退屈を感じればノートの隅に落書きをしたり、睡魔の誘惑に身を任せる事もあれば、上履きのまま校庭に出たりする程度の悪行は躊躇無くやってのける――つまりは、ごく一般的な道徳心を持つ男子生徒という事になる。
 友達もそれなりに居る。
 その殆どが男子生徒である事は悲しい現実ではあるが、気軽に馬鹿な事を言い合える友人が居るという事実は何とも喜ばしい。
 隣接する他の家庭との関係も良好であり、隣の椎原さん宅の家族とならば、挨拶だけでなくちょっとした世間話だって容易にこなせる友好関係を維持している。
 つまりは、ごく世間一般的な社交性を持ち合わせた市民でもあるわけだ。
 見た目は――自分ではよく判らないが、特別際立った容姿をしているわけではないが、醜悪な部分も特に無し。
 特別秀でた身体的能力が無い代わりに、健康状態は良好で身体的欠陥も無い。 
 両親とも健在の中流家庭で兄弟は無し。
 虐待を受けた覚えもないが、特別過保護に育てられた記憶も無い。
 贅沢が出来ない代わりに特に苦労もなく、衣食住の保証された生活を送らせてもらっている。
 趣味はゲームや映画鑑賞といった無難なものだし、成績に関しては平均点の前後を行ったり来たり――と、心身共に完璧な「普通」「凡庸」「平凡」なステータスを誇っている。
 実を言えば三年前、つまり中二の頃までは「通信教育」やら「通信販売」が大好きと言う、奇妙な一面も持っていたが、「忍者資格」の通信教育を喜んで受けて、いくら教本通りにやっても決して忍者にはなれない事が判った時、そして通販で買ったエアーガン「サンダーボルト」を持って、友人達とのサバイバルゲーム――単なる”撃ち合い”と表現すべき稚拙なレベルだが――に参加し、そのあまりの情けない弾道・弾速に友人達からの失笑と哀れみを買った時、双方から足を洗う決意をした。
 それらには今でも思い出すと怒りが込み上げてくる。
 送られてきた忍者教本に従い、毎日長いタスキを付けて走り込みをやり、裏山に登っては木に向かってナイフ――手裏剣は生憎手に入らなかった――を投げた。
 思えば『絶対嘘だよ。騙されてるよ。忍者なんかになれっこ無いよ』と言って俺の修行を邪魔した幼なじみである雪乃の言葉をすぐに信じるべきだったが、その言葉を信じる事が出来ない程に当時の俺は純真だった。
 サバイバルゲームの想い出もしかりだ。
 密かに手に入れておいたサンダーボルトで参戦すれば、鼓弾でしかも単発というスペックは、BB弾仕様のガスガン主流の時代に全く適して居なかった。まさにマシンガンに火縄銃で挑むがごとしだ。
 集中攻撃を受けて死ぬくらいならまだ良かったが、『なんだこれ? 鼓弾なんか初めて見たぜ』『博物館の代物か?』『君が入った方のチームは弱体化し戦力の拮抗が崩れてしまう。それは即ちゲームの遊技性を著しく損なう事になるから、君には参加して欲しくない』と言われ、ゲームに参加すら出来なかった。
 ああ、思い出したら鬱になってきたぞ。
 特に最後の愛一郎の台詞は、今でも一字一句間違いなく覚えている。
 思えば、あいつとの軋轢はこの頃から始まったんだな……多分。
 とにもかくにも、ちょっとだけ変わった幼少を過ごしたものの、その反動からか今の俺は、何処に出しても恥ずかしくない普通の人間になった。 
 そんな自分の長所を挙げるとするならば、「始めた事は何でもやり通す」という信念だろうが、今となっては出来そうにない事は最初からやらないし、普段から無難な選択した選ばないので、おおっぴらに自慢できる様なものでもない。
 しかしその信念のお陰で、幼少の頃に手を出した数々の通信教育や講座を完遂させる事となり、ペン字が綺麗だったりハーモニカがそれなりに吹けたりといった、さり気ないスキルを俺にもたらした。
 もっとも数々の通信教育に手を染めていた頃を黒歴史として封印した俺にとって、それは決して自慢出来る事ではない。
『変だと思われるから、人には言わない方が良いと思うよ?』――かつて雪乃が哀れむような目と共に口にした言葉を、「普通」である事に誇りを持つ今の俺は頑なに守っている。
 何処にでも居るごく普通のスペックを持った高校二年生。
 それが俺――尾崎祐介である。
 モビルスーツで言えば「特徴の無いのが特徴」と揶揄されたジム・カスタムと言った処だろう。
 うん、我ながら絶妙な比喩だ。
 しかし、俺自身がそんな凡庸である事を望み、そしてまた波風立たない普通の生活を望んでいるにも関わらず、俺は学校内でも有名な人間の一人として知られている。
 勿論、俺自身は平凡な人間であり、自ら波風立てる様な事はしないのだが、それでも俺が今の立場にある理由の一つは、そんな俺自身の性格が招き入れたものなのだ。
 つまり俺が俺である以上、どう足掻いたところで、今の立場から逃げる事など出来なかったのだ。
 もう十分に名は売れてしまった。
 後はひっそりと学園生活を送りたい。送らせて欲しい。
 だが、そんな俺のささやかな願いを粉砕するべく、新たな災厄が目の前に訪れる。
 その災厄を連れて来た者こそ、ジム・カスタムに過ぎなかった俺を表舞台に引きずり出した張本人。
 爆発寸前の火山の如く――そしてそれは全く正しい表現である――身体を小刻みに振るわせる彼女。
 そんな背中を見て、ごく近い将来、自分に問題が降りかかる事を自覚しつつも、逃げ出す事の出来ない自分の立場と性格が、ただただ恨めしくて仕方がなかった。





■みんな来て恋恋 【#01】

 






 生徒会から呼び出しを受けた部長が、蝶番の耐久力を試すかの様な勢いで扉を開けて部室へと舞い戻ってきたのが、今から僅か三十秒ほど前の出来事だ。
 丁度その時、俺は部室の中で年代物のテレビに繋がれていた灰色のゲーム機――セガサターンで、一人で黙々と「進めバカボンズ!」をプレイしていた。
 セガハードにおける赤塚漫画原作ゲームは、どれもこれも酷いものと認知されているが、個人的はこの落ち物パズルだけは迷作――計算された馬鹿ゲーだと思っている。
 双子の兄弟相手に俺の積み上げた仕掛けが今まさに発動し、それまでの苦労が報われる瞬間だったが、部長のただならぬ雰囲気を感じ取り、すかさずパッドを放り出して直立不動の姿勢をとった。
 直後、テレビから「いやーんいやーん」と、双子の兄弟の艶めかしくもキモい声が聞こえて来たので、慌ててテレビの電源を切る。
 ヤバイ。
 かなーりヤバイ。
 そりゃもう、徹底的にヤバイ。
 人間核弾頭――かつてドルフラングレン(あれ? ヴァンダムだったか?)が呼ばれたあだ名を戴く部長。 
 彼女が発する怒りのオーラで首筋がチリチリと痛む。
 俺に背を向ける形で立っている為、その表情は伺えないが、その背中から漂うオーラが、彼女の精神状態を雄弁に語っている。
 お帰りなさい部長。どうでしたか?――その声を飲み込んだのは、ろくなことの無かったここ数日の生活を考えれば、正しくも良い判断と言えるだろう。
 こういう状態の時、不用意に声をかける事がどれ程愚かな事か、それを俺は我が身で思い知らされている。
 だからと言って、このまま回れ右して転進――撤退や退却という言葉を、目の前の彼女はとことん嫌う――すれば、余程のどんでん返しが無い限り、後日数割増しで怒りの矛先がこちらに向く事になる。
 故に俺に出来る事は、彼女の怒りが一段落するまで、姿勢を正したままじっと耐えるしかないのだ。
 それは悲しい程に受動的な手段であるが、事態をより良い方向へ導く唯一の手段でもあるのだ。
「……よ」
 ふと聞こえた声に、彼女の姿をよく観察してみる。
 彼女なりに自分を落ち着かせようと努力をしているのだろう、肩がゆっくりと上下を繰り返しているのが判る。
 危険度を示すデフコンレベルは、5段階で「2」といったところか。(1が最も危険)
 短気で怒りっぽく手が早い彼女ではあるが、本気で怒っている時は逆に手が出ない。
 他の者ならいざ知らず、校内でもっとも彼女の性格を知り尽くしている俺から見れば、今回の様に自らいさめようとしている状態の方が、より危険だと知っている。
 激怒パンチっ!――とか叫びながら殴りかかってきたり、背後からダッシュハンマーキックをかましてくるくらいは、まだまだ本気じゃない。精々デフコン4といったところだ。
 これがデフコン3になると、精神注入棒による攻撃となり、ぐっと危険度が増す。
 今回のように敢えて手が出なくなるのは、最後に残った彼女の理性が、手加減なしの攻撃を相手に加えそうになる――という危険を回避しようと必死に自制しているのだ。
 つまり全力で回避しなければ、手加減無しの必殺の一撃を食らう羽目になる。
 無論、その自制心すらなくなる程に怒り、問答無用でMAX攻撃を仕掛けてくる状態がデフコン1というわけだ。
 幸いにしてそんな事態には未だお目に掛かった事がないが、逆に言えば今現在がもっとも危険な状態である事になる。
「……わよっ」
 彼女はしきりに自分を落ち着かせながら、時折何かしら呟いている。
 やれやれ、一体何を言われたものやら。
 彼女――帝国高校三年の八重桜(やえざくら)とと子が、校内放送で生徒会に呼ばれた事は知っている。
 それ以前は別段問題無い状態であったから、現状を引き起こす原因が生徒会室で何か有った事は間違いない。
 普段から粗暴かつ暴虐な態度で我が部に君臨する暴君ではあるが、一応守るべき筋を持っている彼女と、自分こそが正義と疑わない生徒会長の朽木(くちき)愛一郎。
 そんな二人の相性は最悪の状態であり、今までも度々衝突を繰り返していた。
 おかげで二人が犬猿の仲である事は、我が校の生徒であれば誰でも――例え入学してまだ二ヶ月に満たない一年生であっても――知っている。
 が、それを考慮しても、デフコン2レベルで怒るには別の何か理由があるはずだ。
 と言うのも、単に愛一郎に嫌味を言われた程度ならば、彼女はその場で奴を叩きのめし、すっきりとした表情で戻ってくるはずだからだ。
 つまりその場では解決出来ない――もしくは愛一郎を単に張り倒した程度では解決出来ない何かが有って、それが彼女の機嫌を悪化させているのだ。
 俺がその理由を考えていると、目の前の彼女は突如としてブレザーの内側に手を差し入れたかと思えば、棒の様な物体をひっ掴んで高々と振り上げた。
 彼女の手が掴んでいた物は精神注入棒――かつて帝国軍人の下仕官が、兵卒の精神を鍛えるという名目の下に暴力を振るう際に使用した棍棒であり、祖父からの贈り物だというそれを彼女は常に携帯している。
 恐らくは抑えきれなくなった怒りを、手近な物への破壊衝動で晴らす事に決めたのだろう。
「ちょっ……」
 俺が静止の声を上げるよりも早く、彼女は「あんの馬鹿がぁっ!」と叫びながら勢いよく腕を振り下ろした。
 彼女の放った精神注入棒による一撃の行く先は、部室内の備品棚であり、その軸線上に有った哀れなぴゅう太を直撃した。
 粉々に粉砕され飛び散る破片をぼんやりと眺めながら、俺は「ああ勿体ない」――と内心で呟いたが、彼女の破壊活動はそれだけでは収まらず、そのまま横へ腕を薙いで、隣に列ぶマックスマシーン、アタリVC−10、ジャガー、プレイディア、3DO−RIALといったマニアックなハード達をもなぎ倒して行く。
 しかしMEGA−CDの手前でピタリと止まったところを見ると、思った通り、彼女が完全に我を忘れているわけでない様だ。
 その生涯同様に惨めな最期を遂げたぴゅう太やその他のハード達。
 床に散乱したそれらの成れの果てを、ローファーで踏みつけながら彼女はやっと振り向いた。
 瞬間、般若の様な表情を想像したが、破壊活動によるフラストレーションの発散によって怒りは随分と収まっていた様子だった。 

 それから二十秒後、俺は備品のホウキでぴゅう太達の残骸を丁寧に回収している。
 無論、文句も不平も口にはしないし、ゴミを作った張本人に対して、掃除手伝いの要請などという真似もしない。
 それが暗黙のルールであり、この部室で生き抜く為の正しい判断なのだ。
 ここでは彼女が法であり秩序なのだから、彼女の機嫌と危険度を悟る事は、この部活に参加する者が身につけるべき最低限のスキルだ。
 それが出来ない人間は、彼女が先程見せた攻撃力を自らの身体で味わう羽目になる。
 考えてみれば、先程の破壊活動も自分の対応如何では、我が身にその矛先が向いていた可能性もあり得るのだ。
 そう考えてちりとりの中の破片を見つめる。
 我が身の代わりに散った彼等を、英霊の様に扱い丁寧に埋葬してやりたい気分になった。
 無論不燃ゴミを不法投棄するわけにも行かないので、出来る限り丁寧に彼等の骸を不燃ゴミ専用のゴミ箱へ入れる事で、彼等に対する敬意とした。
 南無南無南無南無……。
 ふと、問題の彼女を見てみる。
 部室の中央、椅子に腰を下ろしていた彼女は、手にした精神注入棒を弄びながら――恐らくは考え事だろう――目を閉じて少しだけ眉を寄せている。
 雰囲気から察するに、話しかける事も可能な「やや機嫌が悪い」状態、デフコン4と判断した。
「ところで部長、愛一郎のやつの用件って何だったんですか?」
 やっと声に出せた疑問。
 部長としての彼女を呼びだした以上、部活に関する事であるから、その内容は部員として自分にも無関係ではない。
 ホウキを動かす手を止めずに返答を待っていると、やや置いてから彼女は話し始めた。
 だが、その内容は俺の疑問に対する答えではなく――
「私、八重桜とと子がセガ部部長として尾崎部員に命令する。今月の末までに何としてでも、新たな部員を三名確保する事。いいわね?」
 ――という命令だった。
 想定外の応対に掃除の手が止まる。
 部長命令として発せられた以上、当然拒否権は認められないだろう。
 いやいや、それ以前に何故今更勧誘?
 今月末……って、今日は五月二一日であと十日しかないですけど?
 幾つかの疑問が頭の中をぐるぐる回り、更にそんな無茶な命令を拒否出来ない自分の性格が、一層恨めしくなる。
「復唱!」
 内心で自分の置かれた立場と、それを招いた自身の性格を嘆いていると、目の前の鬼部長が、睨みをきかせて叫ぶ。
「あ、はいっ! 今月中に新規部員を三名確保致します!」
 ホウキを小銃の様に担ぎ、背筋を伸ばし慌てて応じると、先輩は満足そうに頷いた。
「うむ、よろしい。我がセガ部の興廃は貴方の双肩にかかってるという事を自覚しなさい」
 ニッコリと微笑んで俺の肩を叩く。
 担いだホウキから埃が頭に落ちてきたが、それよりも目の前の笑顔が怖い。
 思い切り含みのあるその笑顔が、とても怖くて……それでいて、ほ〜〜〜んの少しだけ心が躍る。
 
 八重桜とと子――赤いネクタイが示す通り三年生であり、俺が所属するセガ部の部長を務めている。 
 お世辞にも大きいとは言えない胸を除けば、客観的に見て整った容姿をしており、制服をびしっと着こなした凛とした姿は、見ているだけならば性別を問わずに人を惹き付けるだろう。
 しかし現在、学校内での彼女の立場はどちらかというと忌避の対象であり、彼女に好きこのんで近づく者は少ない。
 なんつーか、見かけの長所を、内面的な短所が全て打ち消してしまっているのだ。
 より簡潔に言うならば、性格が悪過ぎる。
 見てくれは悪くないので、実に勿体ない限りだ。
 事実、初めて出会った時――部活の勧誘をしてきた時に見せた笑顔には、ついついトキメキを感じ、その笑顔が自分に向けられるバラ色の高校生活を想像して「俺様ウイナー! 帝国高校万歳!」と脳内で叫んだ程だ。
 しかし「あなたゲーム好き? 好きよね今時分の若者だもの。当然ゲーム機はセガよね? 何持ってるの? メガドラ? サターン? ひょっとしてSC1000とか? え、メガジェットとレーザーアクティブ持ってるの? ふーん珍しいわね。貴方気に入ったわ。今度エターナルチャンピオンで対戦しましょうね」等と矢次に発せられたマニアックな言葉に、淡いトキメキは霧散してしまった。
 それでも彼女が魅力的な外見を持っている事は確かで、俺が所有していたゲーム機を話した時、嬉しそうに両手をぎゅっと握りしめて来て、その手を伝わる温もりに、自分の高校生活の場を彼女の属する部活に求めてしまった。
 今にして思えば、あの決定こそが俺の平穏なる日常を阻害する最大の原因だったのだが、今となってはそれも後の祭りだ。
 俺は入部届けに「電子遊戯研究部」と記入して提出してしまい、それが受理されてしまった事実を今更覆す事など、アドベンチャーゲームの主人公でも無ければ出来るはずもない。
 電子遊戯研究部――それこそが、この部活の正式名称。
 今でこそセガ部とかいう、世も末な名を名乗っているが、本来はそんなご大層な名称だった。
 我が校の校長先生が、ゲーム関連会社を含む大グループ企業の最高経営責任者という肩書きをも持つ人物だった事と、ゲームに理解のある先生が顧問になってくれたお陰で奇跡的に創立が許された部活だったが、単にゲームを遊んでいるだけでは部活動として認められるわけがない。
 ゲームを本やテレビに続く新たな文化として研究や分析を行い、部員達でゲームの企画を考えたり、ゲームに関する批評会やら討論会を行ったり、また実際にパソコンでゲームのプログラミングを行ってみたりと、形態的には文芸部に近かった。
 だから当時はしっかりと文化部の一員として認められていたのだ……そう、とと子先輩が部長に就任する三月までは。
 俺が最初に彼女の黒さを実感したのは、入部届けを提出した当日――つまり部活の初日だった。
 歓迎会と称した部内のゲーム大会(何故かセガサターンのヴァンパイヤハンターだった)で、俺と対戦する事になった彼女はオルバスを使い、周囲のブーイングも気にせず、ひたすら蟹パンチ攻撃に徹する性格の悪さを見せつけてくれた。
 そのくせ次のバーチャファイターで、俺のジャッキーがスラントとレッグスライサー中心の戦法を取れば即座に頭を打たれた。
 それからというもの、目を付けられたのか、それとも気に入られたのか、部活動において彼女は積極的に俺に近付いてきた。
 一緒に居る機会があまりに多いので「八重桜のやつ、尾崎に気があるんじゃねーの?」と男の先輩から冷やかされた事もあるが、決してそんな甘い関係ではなかった。
 彼女と俺の関係は、あくまで主人と下僕に過ぎない。
 理不尽な扱いに一度口答えをしてみたが、精神注入棒の威力を知った以降、無駄な抵抗は諦めた。
 そんな彼女も縦の関係は重んじているのか、当時の三年生達にこそ口答えは一切しなかったが、上級生の見ていない場所での横暴っぷりはなかなか凄まじかった。
 おまけに極端なセガマニアで、他メーカー……特にソニーや任天堂のハードに対する嫌悪感は相当なものであり、そのコンプレックスから生じる性格の歪みが他者を拒む傾向にあった。
 数少ない女性部員でありながらも、部内で彼女がやや孤立気味だったのは、そんな性格の影響からだったのだろう。
 俺がそんな彼女に気に入られた原因は、恐らく少々マニアックなセガのハードを所持していたという、単純かつ信じがたいものだと思われる。
 例えそれらが商店街の福引きと雑誌懸賞で当てた物であったとしても、他にコアなセガ系ユーザーが居なかった部内において、俺は彼女の目に同志として映ったのだろう。
 程なくして、俺は部内で唯一のとと子先輩のシンパという立場を頂いた。
 そんな立場を否定しなかった(正確には怖くて出来なかった)事もあり、俺は彼女との付き合い方を自然と学んでいった。
 夏と秋が過ぎ、冬が訪れ受験対策の為に三年生が引退した時、新たな部長としてとと子先輩が立候補した。
 俺はその事が意味する恐ろしさに気が付いていたが、他の部員達――特に彼女と同輩の二年生達は多少驚いたものの「よくぞ面倒な役職を引き受けてくれた」程度の認識で、それを承認してしまった。 
 そして 彼女はセガマニアとしての本性を晒け出し、血の粛清が始まった。
 部員に対してセガハード以外の所有を禁止し、活動内容もセガのゲームに関するものと限定され、果ては部の名称をも「セガ部」へと変更してしまった。
 この一年の間に彼女との付き合い方をマスターしていた俺はともかく、他の大多数の部員達が、凶暴な本性と独善的なその性格を露わにした彼女に付き合いきれなくなり、一人、また一人と部活から姿を消し、今現在――五月の中頃には、とうとう部員が俺とクラスメートの坪井だけになってしまった。
 つまり、部長を含め総勢三名。
 四月に新入学を迎え、数名の新入部員が入部したにも関わらずこの有様なのだから、如何に彼女の振るまいが異常だか判る。
 何故俺は辞めなかったかと言えば「部活を選ぶ時に、三年間やり通す!」と最初に決めたからだ。
 あともう一つの理由として、俺の嫌いな奴がこの部を嫌っているから……という、やや後ろめたいものもある。
 決して部長の笑顔が頭に残っているわけではない。決してない。絶対にない。
 昔から俺は、一度決めた事は出来る限りやり通す主義なのだ。
『初志貫徹だね。偉い偉い』と、幼なじみの雪乃が誉めてくれる様に、これは唯一自分が誇れる長所なのだ。
 と同時に、俺を束縛する枷でもあるわけだが……。

「……あの」
「何?」
「出来れば理由を聞きたいのですが」
 俺の質問に、部長はブレザーを捲り懐のホルスター(?)に精神注入棒を戻してから、忌々しげに事の顛末を語り始めた。
 つまりはこうだ――
 今年の春からセガ部が定数割れを起こしている事実を知った生徒会長の愛一郎が、これ幸いと仇敵扱いの我々を潰しにかかったという事だ。
 今までバレていなかったのだが、どこからか情報が漏れたのだろう。
 校内規定で、部活動を維持するには五名以上の部員在籍が必要であり、現在三名しか存在しないセガ部は当然存続が許されない事になる。
 つまり後二名の部員が……ってあれ? ――俺は奇妙な違和感を感じて、部長にその疑問をぶつけてみる。
「あの部長。現在我が部の部員数は三名です。たしか規定における最低部員数は五名だったはずですから、新たに見つける部員は二名なのでは?」
 俺の言葉を受けた途端、部長の機嫌が見る見る内に悪くなって行く。
 ヤバイ――本能が危険を感じ取る一方、頭の中では、今の質問の中で一体何が彼女を怒らせたのだろうか? と考えを巡らせていた。
「……ったのよ」
「はい?」
「坪井が裏切ったのよっ!」
 彼女の声に、俺は思わず声を失った。
「あの馬鹿、部を辞めただけじゃなく、ご丁寧に生徒会へ我が部の状態を報告してくれたってわけ!」
 言い終えると同時に、拳でテーブルを叩いた音が部室内の空気を震わせたが、俺はどちらかというと安堵の溜め息を付いた。
 拳で叩く――つまり精神注入棒を出さない程度には、彼女が落ち着いている証拠だ。
 だから俺は頭の中で再び考えてみる。
 坪井が部を辞めた――これは、正直遅かれ早かれそうなるだろうと予想は出来た。
 あいつが今まで部活を辞めなかったのは、単なる気後れと、二年生になってクラスメートとなった俺に対する気遣いだと思われる。
 だが、そんな坪井も我慢の限界を迎えたのだろう。
 ただ生徒会への報告云々に関しては、俺以上に小心者で脆弱な神経を持つ坪井が自発的に行ったとは考えにくい。
 今まで離反部員に対する部長のお礼参りが行われたという事実は無いが、仇敵である生徒会への報告をすれば、それが現実の物となる可能性は高い。
 そしてそんな事は、あいつも十分承知しているはずだ。
「坪井が教えたわけじゃ無いと思いますが……」
「あの馬鹿『今さっき退部届けを出した元部員から聞いんだが……』って、そんな事を言ったのよっ!」
「ああ……成るほど」
 声を荒げて応じる部長の言葉に、俺は内心頷いた。
 今し方部長が言った『あの馬鹿』は坪井ではなく、いけ好かない生徒会長……俺の忍者修行を馬鹿にし、俺のサンダーボルトを鼻で笑い除け者にしてくれた憎き男を指している。
 顧問の先生へ退部届けを出した坪井を、恐らく愛一郎かそれに近い存在――例えば生徒会関係者――が偶然見かけたのだろう。
 そして日々、部長の弱みを握ろうと画策している愛一郎が坪井に色々と質問し、あいつは聞かれたままに真実を答えてしまった――坪井と愛一郎の性格を考慮すれば間違いないだろう。
「部長、やっぱり坪井が自分から教えたわけじゃ無いと思いますけど?」
「あのね……例えそうであったとしても、あいつが私の断りも無く退部して、あの馬鹿に内情を密告したという事実は変わらないわけ」
 判る? ――と付け加えて彼女は俺を睨む。
 こうなっては幾ら俺がフォローした所で無駄だろう。
 悪ぃ――最後まで付き合ってくれた級友に頭の中で詫びて、近日中にあいつの身に降りかかる災厄を思って十字を切った。
 その間、部長は事の元凶である二人に対してあれこれと罵り続けていたが、やがてその怒りも収まったのか、背もたれに上半身を預けて深く溜め息を付いた。
 何か気の利いた事を述べて元気付けるべきかとも思ったが、実際には掛けるべき言葉が思い浮かばず、俺は静かに掃除を再開した。
 暫しの静寂の後、背もたれに身体を預けていた部長が、何処かぼんやりとした視線のままゆっくりと口を開く。
「ふふっ……これで我が部も貴方と私の二人きりね」
 その自暴自棄的な笑い、寂しさを含んだ物言いは、今までの彼女からは想像も出来ない程に弱々しいもので、横柄横暴な彼女を見続けてきた俺としては非常に収まりが悪い。
 いや……そうじゃない。
 居心地の悪さを感じているのは、鬼部長の中に女の子らしい側面を垣間見た事と、彼女の口にした「二人きり」という言葉に、一年前に一瞬だけ感じた淡い気持ちを思い起こしたからだ。
 そんなわけあるか!
 目の前に居るのは(セガの)使徒であって人類に有らず。
 強羅絶対防衛戦で食い止めなければ、精神汚染を受ける恐れ有りなんだ。
 思い出せ、あの屈辱に満ちた下僕の如き日々を!
 あの笑顔と手の温もりを忘れるな! って忘れて良いんだってば!! …………ああ、どうやら俺は随分と狼狽してしまっているらしい。
 何を考えているのか自分でもサッパリだ。
「尾崎部員?」
「は、はい!?」
 突如、耳に部長の声が届き、反射的に背筋を伸ばして応対。
 なんつーか、身に染みついてるなぁ。
「もう……しっかりなさい」
 そんな俺を軽く小突く部長の表情は、やはり普段に比べて覇気が感じられない。
 自ら築いた帝国の没落が目前に迫っていては、流石の彼女も普段通りのポーズを維持できないのだろう。
 うむ……そう考えれば、彼女も普通の人間なんだと安心できる。
「はぁ……。さっきも言ったけど、本当に貴方の肩に部の存亡がかかってるんだからね?」
「はい。大丈夫です……と言いたい所なんですが」
「何よ?」
「正直、僅か十日間で三名も部員が集まるとは到底思えないんですけど」
 俺は手にしていたホウキを用具箱へと戻しながら、遠慮がちにぼやく。
「最初からそんな気持ちじゃ、集まる者も集まらないわよ……気合を入れてあげましょうか?」
 真面目な顔のままそう言って、懐に手を差し入れる部長……って、それは勘弁して下さい。
 慌てて首を振って「結構です!」と叫ぶと、彼女は「そう……それは残念ね」と少し笑って姿勢を戻した。
 再び静寂が訪れる。
 今までこの部室がこれ程、長く静かになった事は無いだろう。
 ――電子音と悲鳴。
 ――笑い声と悲鳴。
 ――怒号と悲鳴。
 いつだってこの部室には、電子音と部長の声と俺や坪井の悲鳴が……ああ、何だか無性に悲しくなってきたぞ。
 考えてみれば、今の現状に至ったそもそもの原因は、部長の行動が原因じゃないか。
 何で俺がその尻拭いに奔走する必要がある?

 俺も辞めるか?

 ふと、そんな選択肢が俺の頭に浮かび上がった。
 これがゲームならここらでセーブして、今し方浮かんだ選択肢を選んでみるのも手なのだが、生憎こちとらセーブロードの効かない現実世界の住人だ。
 やり直しが効かないのだから重大な選択は慎重に選ばなければならない。
 それに俺が何もしなければ来月にはこの部は廃部になるわけで、俺が辞めるまでもない。
 しかも俺のポリシーに反する事なく、この忌々しい部活とオサラバできるまたとないチャンスじゃないか。
「よっし!」
「あら、やる気出たのね。ふふふ、嬉しいわ。せっかく作った我等がセガ部、そう簡単に倒されてたまりますか」
 俺の意気込みのベクトルを勘違いした部長が、同意を求めて微笑みを向ける。
 最初は普段の少し口元を歪めた笑みだったが、言葉の最後に「ねぇ?」と首を傾げて見せたのは、紛れもなく一年前に見せたあの微笑みだった。
 ちくり――胸が少し痛んだ。
「それじゃ早速部員探しに……あら? 尾崎部員……ちょっとこっちに来なさい」
 突然呼ばれたので、内心を見透かされたと思い驚いた。
「な、何でしょうか?」
 内心で焦りつつ近づくと、部長は「よいしょっと」と声を上げて席から立ち上がり、俺の眼前に立った。
「セガ部の部員たるもの、身だしなみはきっちとしなさい」
 彼女はそう言って背伸び――俺の方が十センチ程背が高いから自然とそうなる――をすると、俺の頭に手を伸ばした。
 思わず身を竦めるが、頭を伝わってきたのは想像していた衝撃ではなく、優しく撫でる指先の感触だけだった。
「ほら……」
 そう言って見せた彼女の手には、先程俺の頭に乗った綿埃が載っていた。
「あ、有り難うございます」
 俺が礼を述べると、彼女は即座に「どういたしまして」と返事を寄越す。
 普段は粗暴のくせに、挨拶とか感謝の表現に関してはやたらと正しい姿勢を持っているのだ。
 無論、『彼女の機嫌が悪くなければ』という前提が付くが、彼女は――意外と礼儀正しいのだ。
(だから彼女が希に見せる善意に対しては、素直にかつ速やかに礼を述べなければ怒り狂う)
 恐らくその事実を知っている人間は、この学校に俺を含めて数名しか居ないだろう。
 また、時間厳守に関する感覚は病的な程で、決められた時間の五分前には全ての準備が行われていないと烈火の如く怒り、そして本人もまたそれを頑なに守り続けている。
 故に、彼女は俺と同じく無遅刻(ついでに無欠席)の皆勤賞生徒で、登校時に途中で出会う事も多い。
 となれば、登校時、部活動、下校時と……ほぼ毎日一緒に居るわけで、人間核弾頭と称される彼女とそれだけ長くつき合える自分という存在は、自分が思っている程に凡庸では無いのかもしれない。
 無難かつ平坦な日常を取り戻し、自他共に認められる平凡な生徒になる為にも、ここは一つ一生懸命に勧誘活動をしているポーズだけとるべきだろう。
 それが俺にとって正しい判断なはずだ。
 例え相手があの鬼部長であろうと、敢えて背信行為を行うのは心が痛む。
 目の前に立つ彼女の視線から逃れるように、俺は背を向けて部室のドアへと足早に進んだ。
 ドアノブに手を掛け、そしてそのまま無言で外へ出るはずだったが――
「……それでは、行って参ります」
 自然とそんな言葉が口から出たのは、良心の呵責に俺の精神が耐えられなかったからだろうか? 
「はい。行ってらっしゃい」
 極希に見せる優しさを含んだ言葉が、俺の背中に掛けられた。
 くそっ!
 俺は口の中で短く吐き捨てると、走って部室を後にする。


 ――セガ部の崩壊まで、あと十日。
 








※本作は、99年頃に私が企画した、内輪向けギャルゲーのシナリオを小説風に書き直したものです。
 登場するキャラクタは、当時の知り合いや、彼等の持ちキャラを拝借・アレンジしておりますが、その名称や性格その他は当時のままで使用しております。
 当然、全てフィクションであり、本SS内に登場するキャラクタは、実在するご本人とは何の関わりもございません。