息子の俺が言うのも何だが――
 俺の親父は変人である。
 なにしろ俺に六才(むさい)という、無茶苦茶な名を付けるくらいだからな。
 明らかに普通じゃない。
『六つの才能に恵まれるようにと付けた名前だ』
 とは親父の弁だが、かなり苦しい。
 明らかに後付設定の香りが漂っているし、間違いなく親父の「勇」という名前の順序入れ替えただけの短絡的なネーミングだろう。
 しかも変な漢字を宛がってくれたお陰で、俺は会う人間会う人間に『六歳なんですか?』と必ず言われる始末だ。
 この件で親父を問いつめると、決まって『まぁ過ぎた事を言っても仕方がない』『それとも無才とか夢妻の方がよかったか?』等と宣う。
 挙げ句の果てには『ジオン公国軍の宇宙巡洋艦みたいで格好良いじゃないか』と言い出す。
 俺はそんなもんに興味は無い!
 産まれながらにして俺は、親父の無神経さのとばっちりを受け、趣味を押しつけられたというわけだ。
 そんな変人親父だが、母さんはとても優しくかつ美人だったりする。
 なんで母さんみたいな女性が、あの変人と結婚したのか不思議で仕方がない。
 その辺りを母さんに尋ねてみた事があるが――
『お兄……じゃない、お父さんはとっても優しいのよ。スポーツも万能だし、頭だって良いんだから』
 ――と言われた。
 親ののろけ話ほど聞くに耐えられないものは無いが、未だ頬を赤らめて話す母さんを見て親父に嫉妬を覚えたのも事実だ。
 余談だが、母さんと父さんは義兄妹だった時期があって、当時の癖が残っているらしく、母さんは時折親父を「お兄ちゃん」と呼んでしまう事がある。
 結局、祖父とその再婚相手だった祖母は破局を迎え、他人となった母さんと父さんは結婚したらしい。
 何故俺に妹はいないのだろうか? 恨みは募るばかりだ。
 さて話を戻そう。
 なるほど、確かに親父は変人のくせにスポーツは万能だ。
 しかもガキの俺に対してもまるで容赦がなかった。
 どの様な勝負でも決して手を抜かず、ガキの俺が涙を流して悔しがるのを見るのが大好きなのだ。
 真性のサディストだな。
 短距離走、マラソン、幅跳び、高跳び、相撲、柔道、ボクシング、テニス、バトミントン、卓球等々、何をやっても勝った試しがない。
 それだけではなく、勝負事にかけては何であっても理不尽な程に強い。
 トランプ、麻雀、花札は当然の事、正月の羽子板や福笑いやカルタ取りに至るまで、俺はずっと負け続けているわけだ。
 駅前のスーパーの横にある運動用具店で、ショーウィンドウの金属バットに真剣な視線を送った事は一度では無い。
 それでも俺は誤った道に進む事なく、有る程度まともに育ったのは母さんの優しさと、親父の反面教師ぶりが有ったからに他ならない。
 そんな俺も今や高校二年生となり、自分の名前と親父の変人っぷりにも耐性が出来たが、年相応の悩みを抱えていたりするわけだ。
 それはズバリ性欲だ。
 一七歳という年齢にでもなれば、性欲が旺盛になるのは致し方なき事だろう。
 生物的にも至極当然だ。
 だが、文明社会を形成している人間としては、この本能からの欲求を抑え込む必要があるのだ。
 そこで人間は何らかの形でこの性欲を解消しなければならないわけだが、そこで俺の悩みが出てくるわけだ。
 肉体関係にまで発展している彼女でも居るならば、この様なフラストレーションに悩まされる事も無いだろう。
 あるいは、何か部活動にでも参加し、この溢れる青春の迸りを昇華させる事もできたかもしれない。
 だがその両方に縁の無い俺としては、自分で自分を慰める他の選択肢が無いのだ。
 無論赤の他人を襲うという選択肢も無いではないが、生憎俺は自分を親父とは違って常識人だ。
 そんな事は出来ないし、したいとも思わない。
 風俗店に行くという手段もあるだろうが、ごく普通の高校生であるはずの俺が、そんなところに入店できるわけもない。
 そこで我が秘蔵のアイテムのご登場となるわけだが、残念な事に手持ちのアイテムでは少々物足りなさを感じてきているのだ。
 友人に言わせれば『男子たるものマニキュア一本あれば十分』らしく、自分の手をありとあらゆる女性の物へ脳内で変換が可能らしいが、生憎俺はそこまで極めてはいない。つーか極めたくはない。
 俺だって好きこのんで自分の手を恋人代わりにしている訳じゃないんだ。
 一刻も早くこの腐りきった現状から脱却せんと日々足掻いているわけなのだが、当面は今日のおかずを手に入れる事。
 この大いなる悩みを解消すべく、新たな刺激を求めてこうして親父の書斎へとやってきた次第である。
 あの親父ならば、この俺の溜まりに溜まった欲求不満を解消できる凄いアイテムを持っているに違いない。
 そう半ば確信めいたものを抱いて書斎のドアノブを回す。





■Mouth of Madness







 キィと小さな音を立ててドアが開くと、書斎と特有の掠れた臭いが鼻につく。
 親父は朝から母さんと近所のスポーツクラブへと出掛けているので、家には誰も居ない。
 そして両親が夕方まで戻ってこない事は、日頃のタイムスケジュールから把握できている。
 今現在の時刻は正午を過ぎたばかりであるから、索敵>会敵>戦闘(?)>処理>状況終了――という行程と、その後の隠蔽工作の時間を入れても十分間に合うはずだ。
「さて……それでは、お宝探しといきますか」
 俺は堂々と主の居ない書斎に入ると、その中を観察する。
 それなりに立派な本棚には沢山の本が並んでいるが、その殆どが戦記物の新書ってのが親父の変人っぷりを物語っている。
 俺に霧島那智や志茂田影樹の良さを理解する事は一生かかっても出来ないだろう。
 ガキの頃、俺が夏休みの課題で感想文を書くと言った時『戦国の長島巨人軍』なんて物を差し出した親父の神経は、異常としか形容できない。
「どれも同じにしか見えないっつーの」
 本棚に並んだ背表紙の文字を眺めながら呟く。
 やがて俺は、激、烈、闘、艦隊といった文字が並ぶ本棚にあって、極めて異彩を放つ本を発見した。
「何だこれ?」
 ハードカバーの分厚い本で、タイトルは『日本の美〜長良川の四季〜』とあった。
 タイトルだけ見れば別段おかしな部分は見あたらないが、他の本と比べれば明らかに異質だ。
 これが『帝国の美〜ラバウルの夏〜』とかなら、俺もさして気にはしなかっただろう。
 ハードカバーの本は他にも有るが歴史か軍事関連の書籍ばかりだ。
 何より他の本とは異なる中途半端な厚みが胡散臭い。
 そう感じた俺が手を伸ばし本棚から取り出すと、疑念は確信へと変わった。
「箱?」
 うまくカムフラージュされているが、それは本ではなく箱だった。
 箱に本のカバーを取り付けた物だったのだ。
 手の込んだ偽装をしている以上、中身は見られては困るものだろう。
 母さんや俺の目を隠す必要がある物――裏モノのビデオか何かだろうか? 一瞬躊躇ったが好奇心を抑える事は出来ず、俺はその箱をそっと開けた。
「おっ?」
 目に飛び込んできたモノを見て俺は間の抜けた声を上げる。
 それは俺の想像の斜め上を行っているモノだった。
 実物を見たのは初めてだったが、俺はその正体を瞬時に把握した。
 目測で総面積が約一八〇〇平方pの紫色の布の塊――ブルマーだ。
 一八五〇年頃アメリカの女性運動家であるアメリア・ジェンクス・ブルマー氏が女性解放運動の象徴として考案し、その後その動き易さから自転車や乗馬といったスポーツ向けの体操服として広まり、日本には大正末期から学校に女生徒向け体操服として導入され始め一般に普及したが、ブルセラブームの影響で本来のイメージが低下し、現在では今では妖しいショップか田舎の小学校程度でしか見られなくなったという伝説の女子用体操服。
「こ、これはぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
 レア・アイテムの出現に思わず声が裏返る。
「な、何で親父がこんな物を」
 声に出した自らの疑問に、俺の脳味噌は即座に二つの可能性を提示した。
 ――まずは母さんの物。
 これならまだ納得行く。
 親父や母さんが学生だった頃なら、まだブルマーも一般的だっただろう。
 だがまてよ?
 幾ら母さんのモノだったとして、書斎の奥、しかもこんな偽装をして箱詰めしておくものだろうか?
 となると……やはりもう一つの可能性。
 ――妖しいショップで購入した物、もしくは盗品。
 どちらにせよイリーガルな臭いがぷんぷん漂ってくる。
 事実はどうあれ、はっきりと言える事が一つある。
 つまりあの親父は『こういった趣味』を持っているという事だ。
 流石息子に変人呼ばわりされているだけの事はある。
 だが、これからは変人ではなく、よりストレートに変態として認識する事にしよう。
 頭の中で親父の代名詞を変更すると、俺は震える手でそれを手に取り、調査という大義名分の元その細部までも入念に観察した。
 そして俺はブルマーの裏地に、所有者の名前らしき掠れた文字を見つけた。
「え〜と……」
「六才! ここで何やってる!」
 突然の声に俺は飛び上がって驚く。
 心臓が口から出そうという表現は、こういう時に用いるのだろう。
 文字の解析に神経を傾けすぎたのだろう、俺は背後に立たれるまで敵の接近に気が付かなかった。
「お、親父?」
 振り向いた先には親父の姿。
 何らかの理由で早く帰ってきやがったのだ。
 ファック! 俺は慌ててブルマを隠そうとするが、拍子に本に偽装された箱が床へ落ちる。
「やべっ」
 親父の怒号と説教を覚悟した俺だったが、親父は床に落ちた箱を見て明らかに狼狽えていた。
「……お、お前……それを見たのか?」
 そんな親父の態度に戦略的優位を感じ取った俺は、即座にカウンターアタックを仕掛けるべく、自分の事は棚に上げて日頃の鬱憤を晴らす事にした。
「やい親父! これは何だ?!」
「そ、それは……」
 俺がブルマを突きつけると、親父は目を背けて口ごもる。
(行ける!)
 そう確信すると、俺は一気に捲し立てる。
「変人だとは思っていたが、まさかこの様な物まで所有しているとは思わなかったよ。父さんって本物の変態だったんだなぁ〜」
「……」
 芝居がかった俺の言葉に、親父は黙ったまま項垂れると肩を震わせ始めた。
 最高の気分だ。
 高揚感に酔った俺は、更に畳みかける。
「あ〜あ、これを母さんに教えたらどうなるんだろう。流石に愛想尽かされるかもなぁ〜」
 決まった。
 俺は生涯で初めて、親父を完膚無きまでに叩きのめすことが出来た。
 さぁ、その顔を上げて情けない顔を俺に見せてくれ。さぁさぁさぁ!
 やがて親父はゆっくりと顔を上げ――そして俺の目を真っ直ぐに見据えた。
「……六才よ」
 予想に反して、俺の名を呼び顔を上げた親父に、狼狽えた様子はなかった。
 ただ、いつになく真面目で、悲しみを含んだ様な表情で俺の目を見ていた。
「な、何だよ?」
「これから話す事は、母さんも知らない事だ。だが、それを見てしまった以上、話さなければならないだろう」
 親父が神妙な口調で話し始めた。
 そこには普段の何処か茶化した様な雰囲気は無く、親父が珍しく真剣である事を物語っている。
 俺はそんな親父の雰囲気に飲み込まれ、思わず無言で頷いた。
「お前が産まれるもっと前の話だ……俺と母さんは、いわば義兄姉だった事は、お前も知っていると思う」
「……」
 俺は無言で頷いた。
「俺の親父……つまりお前の爺ちゃんだが、その再婚相手の娘さんが彩だったってわけだ。
 そして母さんには姉と妹が居たんだよ。本当に仲の良い姉妹だった」
 千夏さんとななるさんの事だろう。
 今でも家にしょっちゅう遊びに来るので、俺も彼女達の事はよく知っている。
 親父は一端話を区切ると、目線を窓の外へと逸らして昼過ぎの青い空をぼんやりと眺める。
 一度深く呼吸をして一息入れると、親父は再び話し始めた。
「俺は彼女達から慕われ、俺もあいつらが愛おしくて仕方がなかった。本当の兄妹の様に俺達は仲良く暮らしていた。
 だが、あの日……忘れもしない。体育祭を控えたあの日、ななるが俺に苦手な運動を教えて欲しいと言ってきたんだ。
 まぁ俺はこう言っては何だが、スポーツは万能だったし、二つ返事で引き受けたわけだ」
 親父は話を休めて自嘲気味に笑う。
「で?」
 俺が促すと親父は続けた。
「まぁその辺りはあまり関係ないんだがな……要するに俺はお前よりももてたという事だ」
「本題に入れよ!」
「でだ、当時もてもてだった俺に、妹達以外にも想いを寄せていた女の子が居たんだよ。
 正直俺の方はその娘の事はどうとも思っていなかったんだが、何せ当時の俺は高校二年生だ。
 一七歳と言えば異性に対する興味も津々という事は、同じ年齢のお前にも判るだろう?」
「あ、ああ」
 この部屋に入った初期の目的を思い出し、俺は多少気まずさを覚えつつ応じた。
「いくら慕われてるとは言え、そこはそれ義理でも妹だからな、彩達の想いに答える事は出来なかった。
 だから俺は彼女を受け入れ……まぁぶっちゃけその娘と関係を持ってしまったんだ。この関係って意味はお前でも判るな?」
「……」
 俺は無言で頷いた。
「この娘は非常に従順だった。普段はやったら気が強く口も悪かったが、俺と二人だけになると別の顔を覗かせ、俺の言うことは何でも聞いてくれた。
 学校には使われていない体育倉庫があって、そこが俺達がいつも逢い引きする場所だった」
 言葉を止めて親父が書斎の机に腰を掛ける。
 釣られて俺も脇にあったイスに腰を下ろした。
「……そんな彼女の態度に、俺は有頂天になってしまった。体育倉庫という学校内で日毎繰り返される秘め事に、俺は心酔し取り付かれたように没頭した」
 親父は「お前も気を付けろよ」と苦笑気味に言うと話を続けた。
「そしてあの運命の日が来たんだ。俺はその日、いつものように彼女を体育倉庫に呼び出し、肉欲のはけ口としてあいつの身体を蹂躙した。
 そして陽も暮れかかり事を終えた俺は、ある悪戯を思いついた」
 親父は天井を仰ぐように上半身を反らすと、懺悔でもするかの様にゆっくりと続きを話し始めた。
「俺としては軽い気持ちだった。強気な癖に従順で恥ずかしがり屋の彼女に、普段よりもう少し悪戯したくなったんだ。
 あいつの困るところが見たくて……だから俺は彼女の制服や下着を取り上げ、ブルマだけを残して先に帰ったんだ」
「てめぇ正気か!?」
 叫ばずには居られなかった。
 俺の目の前に居る男は正真正銘の外道だった。
「まぁ最後まで聞け」
 殴りたい衝動を抑えて浮き上がった腰を戻す。
「彼女は困惑したと思う。素っ裸で体育倉庫に残されたんだ、当然だろう。
 まさかブルマ一つで外に出られるはずがない。俺はそんな彼女を思って興奮したよ。馬鹿な話だがな。
 でだ、俺は少し間を置いてから彼女を迎えに戻るはずだった。嘘じゃない。ほんの数分で戻るつもりだった。
 だが直後、俺を捜していたというななるから、彩……つまりお前の母さんが部活の最中に突然倒れた事を知らされたんだ。
 母さんは当時はまだ身体が弱くてな、時々発作で倒れた事もあったんだよ。
 慌てた俺は体育館に走り、倒れた母さんに付いて病院へ向かったんだ。
 その時の俺の頭ん中からは、体育倉庫に置いてきた彼女の事は綺麗さっぱり無くなってた。ははっ最低だろ?」
 自虐的に笑う親父は、俺に睨まれている事も知りつつも言葉を続ける。
「病院で検査を終えて落ち着いた母さんに礼を言われた時になって、俺はやっと思い出したんだよ。体育倉庫に置き去りにした彼女の事をな。
 俺は走った。とにかく全力疾走で体育倉庫へと向かった。
 倉庫近くの茂みに隠しておいた制服とかを取って、倉庫に辿り着いた時、彼女は体育倉庫の暗がりで小さく蹲って泣いていたよ。
 あの勝ち気で気の強い彼女が、素っ裸のまま膝を抱きしめて小さな子供の様に、そしてブルマをきゅっと握りしめてさ……」
 親父は言葉を止めて、俺が手にしたままのブルマをじっと見つめる。
「声をかけ必至に謝っている俺の姿を見ようともせず、彼女はただ泣いていた。まぁ当然だろう。俺は自分の行いを呪った。
 ただ彼女に嫌われるだけなら良かったさ。彼女が学校でも親でも警察でも知らせてくれても良かった。それが俺の罰というなら喜んで迎え入れたさ。
 ……だが神はその程度の罰では許しちゃくれなかったのさ」
 何かに耐えるように表情を歪ませると、親父は深く息を吸ってから続けた。
「なぁ、お前も二十数年前にあった大地震は知ってるだろ?」
「……」
 唐突な質問に俺は無言で頷く。
 その地震なら俺も聞いたことがある。
 俺が産まれる数年前に、ここいら一帯を大きな直下型地震が襲い、何人もの人々が命を落としたと聞いている。
「その時だよ、あの地震が起きたのは」
 親父の言葉に俺は息を呑んだ。
「老朽化が著しかった体育倉庫は、その地震に耐えきる事が出来なかった。
 突然の激しい揺れに、立っていた俺は姿勢を崩しその場に倒れた。
 俺はこの時自分の死を悟ったよ。でもこれが俺の償いなのかとも思ったさ。
 だがな、それすらも俺が行った罪に対する罰じゃなかったのさ。
 その総決算はその直後から始まったんだよ」
「……」
 親父の話を俺はただ黙って聞くことしか出来なかった。
「死を覚悟したもののいつまでも訪れない衝撃に目を開けた俺が見たものは、崩れた天井の瓦礫から俺を庇っていた彼女の姿だったんだ。
 はははは……あいつはさ、あれだけ俺に酷い目に逢いながらも、俺なんかを庇うためにその身を投げ出しやがったんだ。
 いくら運動で鍛えてあるとは言え、女の身体ではいつまでも支えられるはずもない。
 気が動転していた俺は、普段のふてぶてしい態度も何処へやら、慌ててさ殆どパニックになったよ。
 だがな、そんな俺を彼女は元気付けたんだぜ? 涙流しながらも笑顔で『大丈夫! 男の子だろ』ってさ。
 倒れた俺に覆い被さるようにして背中で瓦礫を受け止めた本人がだぜ?
 あいつの涙を受けて、俺はやっと正気に戻ったよ。
 そして彼女の腕を伝わり流れている血にも気が付いたのさ。
 俺はただ泣いて謝る事しか出来なかった。
 それでも、彼女は俺の無事を喜んで笑ってくれたよ。彼女がその腕から力を失い俺にのし掛かって来るまでな。
 俺は泣き叫びながら渾身の力を込めて瓦礫を退かそうとした。
 だが、当初はびくともしなかったよ。
 彼女はこんなに重い物をそのか細い腕で支えていたのか……って驚いたと同時に、歯がゆくなった。
 そんな憤慨が俺に力を与えてくれた。
 火事場のくそ力って奴で俺は瓦礫を退かし、彼女と共に外に出る事が出来た。
 裸じゃあんまりだからな、俺は彼女に制服を着せたが、その白い制服はすぐに朱に染まっていった。
 俺は救急車を呼ぼうと電話のある場所へ走ろうとしたが、丁度気付いた彼女に呼び止められた。
 あいつは自分の死期を悟っていたんだろう。
 俺はただ泣きながら彼女の身体を抱きしめる事しか出来なかった。
 意識が無くなって行く彼女はその最期にこう言ったよ。『最期にあなたに抱きしめてもらえて幸せだ』『どうか貴方は生きて幸せに』ってな……」
 俺はただ身体を震わせながら、親父の話を聞く事しか出来なかった。
 やり場のない怒りと悲しみが俺の五体を駆け抜ける。
「彼女の死を看取り受け入れる苦しみこそが、俺の罰だったのさ。
 辛いなんてものじゃない。だから……実際何度も自殺しようと思ったさ。死んでしまえば全てチャラだからな」
「何でそうしなかったんだ?」
 俺はやっと声を絞り出した。
「落ち込んでいた俺を母さん達が励ましてくれたんだよ。当然真実は知らなかったが、彼女達は必至に俺を気遣ってくれた。
 そんな彼女達の心意気を無駄には出来なかった。
 もし俺が彼女達の励ましを無下にすれば、俺はまた同じ事を繰り返す事になるだろうし、それに何より死んだ彼女に対する裏切りだ。
 だから俺は彼女のブルマーを形見とし、また己に対する戒めとして持つことにした。
 辛いことが有る度、俺は彼女のブルマーを見て、そして自分に言い聞かせるのさ、『あいつの分まで回りの人を幸せにしろ』『如何なる時もみんなには笑顔を』ってな。
 だから俺はこれからも彼女の死を背負ったまま生きていかなければならない。それが俺の償いだからな」
 全てを話し終わった親父は、遠くを見るような目でブルマーを見つめていた。
 自分が握りしめていたブルマーの意味を知り、いたたまれなくなった俺は無言でそれを親父に手渡した。
 手渡されたブルマーを丁寧に畳むと、親父は再び箱に戻してそっと蓋をした。
 俺はそんな親父を見て、自分が恥ずかしくなった。
 今までの親父の奇行は、悲しい過去からの脱却と彼女との約束を守る為の擬態だったというのか。
 だとしたら、俺は大馬鹿だ。
 過去の贖罪と想い出の詰まったブルマーを、俺は欲求不満の処理に使おうとしたという事実が、俺に重くのし掛かる。
「父さん……俺」
「いいんだ六才。もう過ぎた事だ。母さん達が今幸せなら、それで俺の罪は償われている事になる。
 罪を背負った俺も、彩という素晴らしい伴侶に巡り会い、心から改心する事が出来た。
 そしてお前が産まれ、幸せな家庭を気付き暮らしましたとさ……」
 めでたしめでたし――親父はそう結ぼうとしたのだろう。
「ただいま〜」
「お邪魔するよ兄ぃ〜」
「お邪魔しま〜す」
 その時、玄関から母さんと千夏さん、そしてななるさんの声が聞こえてきた。
 どうやらスポーツクラブで一緒になったのだろう。
「んげっ!」
 先程までの感動は何処へやら、親父は驚きの声を上げると、ブルマを手にしたまま忙しなく書斎内をうろつき始めた。
 だいぶ気が動転しているのだろう、机の脚に足の小指をぶつけると蹲って痛みに呻き声を上げた。
「〜〜〜〜〜〜っ!!」
 突然の奇行と目の前で痛みに顔を歪めている親父の姿に俺の中で疑念が渦巻く。
「こんなところに居たんだ。ただいま〜あれ、六才も一緒?」
「兄ぃお邪魔〜。六才君こんにちは〜元気?」
「遊びに来たよ」
 書斎の扉が開き、母さん達が揃って顔を覗かせる。
「お帰り母さん。こんにちは千夏さん、ななるさん」
 俺は挨拶を返すが、親父の方は未だに床に蹲ったまま小指をおさえている。
 その姿に気が付いた母さん達が声を上げる。
「あれ? どうしたの?」
「お兄たん平気?」
「きゃっ、あなた大丈夫……ん?」
 しかし、親父が握りしめたままのブルマを見て、その表情が変わって行くのを俺は見逃さなかった。 
「……」
「……」
「……」
「や、やぁお帰り。それから千夏も元気そうで何よりだ」
 やっと絞り出した親父の声は、どこか弱々しい。
「なにそれ?」
 母さんが無表情で親父が握りしめた物体を指さす。
「……ハンカチだ」
 苦しい。
 それは苦しいっすよ。
 慌ててブルマを隠そうとする親父だが、それより早く母さんが奪い取る。
「あ……」
 情けない声をあげる親父。
「ブルマだね」
「本当だ……私達の学校のものだね。まだこんな物が残ってたんだ」
「……あ」
 母さんと千夏さんが声を上げるが、その節々には棘がある。
 ただななるさんだけは、少し驚いた表情をして、恥ずかしそうに俯いている。
「そ、そうか?」
 親父が明後日の方向を向いて答えると、母さんが無言で手にしていたブルマを床に投げ捨てた。
「ひぃ!」
 親父がまたもや情けない声を出して身を竦めている間に、俺は投げ捨てられたブルマを手にとる。
 先程は調べている途中で親父に邪魔され、最後まで読む事が出来なかった古い文字。
 俺はブルマの裏側に残っていた微かな文字を読み上げた。
「えっと……『な な る』あれ? ななるさんの?」
「……」
「……」
「……」
「……」
 俺の言葉を聞いて、部屋にいた全員の表情が固まった。
 親父はその顔を青く変化させ、千夏さんは顔を真っ赤にして怒りを露わにさせ、そしてななるさんは俯いたまま紅潮させている。
 母さんは表情こそ変えないが、背後にごっつい負のオーラを漂わせ始めている。
 どうやらパンドラの箱を俺は開いてしまったようだ。
「お兄ちゃん?」
「兄ぃ?」
 やべぇ母さんが素に戻ってる。
 以前は病弱だったというが、今の母さんは千夏さんと一緒に毎日スポーツクラブに通い、フルマラソンにも参加する程の強者だ。
 その母さんが本気で怒っている。
「何でお兄ちゃんがななるちゃんのブルマーなんか持ってるの?」
「兄ぃ……前に言ってなかったっけ? ななるには手を出して無いって」
「ななるのブルマーは無くしたって……まだ持ってたんだ」
 三人の言葉に、親父は尊厳をかなぐり捨てて、額を擦るようにして詫びを入れ始めた。
 俺は何となく状況を把握した。
 目の前で土下座をしている哀れな男は、姉妹全てに手を出していた正真正銘の鬼畜だという事だ。
 二十数年を経て明るみとなった親父の鬼畜行為に、母さんと千夏さんは激しい怒りを爆発させる。
 母さん達の怒りももっともだが、俺が余計に腹が立ったのは、ななるさんが怒る事もなく、どちらかというと嬉しそうな表情でモジモジしている事だった。
 一七歳という若さと有り余る精力を有している俺にとって、溢れる羨ましさを怒りに転換するのは容易だった。
「まぁ何だ、人にはそれぞれ合った道ってのがあるんだ。もっと大きな愛で気弱な僕を包んで欲しいなぁ〜」
 面を上げた親父が馬鹿なことを口走る。
 こんな奴に一時でも尊敬を抱いた自分が許せない。
「横浜銀蝿なんかで誤魔化そうとしても無駄だぞ。おい……」
「まぁ待て六才。実はあの話には後日談があってだな」
「ほぅ」
 俺は指をボキボキと鳴らしながら、親父との間合いを狭めていった。
「実はレスキュー隊員の賢明な救出活動で、直後俺達は救急車で運ばれ、千夏は奇跡的に一命を取り留め……」
「千夏さん? このブルマの持ち主はななるさんだろ?」
 俺の言葉に、親父は如何にも『私墓穴掘りました』という顔をする。
「兄ぃは一体何の話を六才君にしてたのかな〜?」
 表情をきつくして詰め寄る千夏さんを見て、俺は確信した。
 こいつの言っている事は全てでまかせであり、ブルマを発見した俺を丸め込む為の言い逃れだった事を。
「待て千夏! なぁ六才、俺の血を受け継いだお前なら判るはずだ。俺達の中に脈々と流れるブルマ嗜好の……」
 俺はこの期に及んで適当な事を話す口を、一刻も早く封じなければならない。
「さっきから聞いてりゃ適当な事をペラペラと……」
 親父の言葉を遮ると、俺は地を這うような低い軌道で拳を繰り出した。
 始めて人に暴力を振るったのが家庭内暴力になるとは思わなかった。
 人を殴った瞬間、意外と手は痛むものなんだと思ったが、不思議と心は痛まなかった。

 ともあれ、俺は初めて親父を打ち負かす事が出来た。
 母さんは赤飯を炊いて祝ってくれた。
 そして親父は、その夜ブルマ一つだけを手渡されたまま素っ裸で外へと放り出された。
 何となく気分は晴れたが、変態親父が社会的にも変態の烙印を捺され、俺が変態の息子だと世間に認知されるのはもっと困る。
 結局戦術的勝利を収めただけの俺では、親父に対して戦略的勝利を掴むことは無理らしい。
 親父は俺にとって決して越えられぬ壁なのだろう。




 ――後日。

「いやぁブルマーは良いぞ。お前にだって気になる子の一人や二人居るだろ? ブルマーが覆う事で女性の臀部はその美しさを極限まで引き出す事が出来るんだ。ブルマーのエッジ部分が食い込んだ太股なんか最高だ。なぜダビンチはこの姿を後世に残さなかったのか! そしてブルマーの魅力を最大限に引き立てるのが体育倉庫というロケーションだ。この地こそ男の煩悩をもっとも解放できる聖域なんだ。お前もいっぺんやれば判る」
 その後開き直った親父は、母さん達の目を盗んでは俺をブルマーが織りなす官能ワールドへと引き込もうとしている。
「だーから、俺の学校にブルマは無いんだってば!」
 親父の狂った口から発せられるものは相変わらず出任せばかりだが、ブルマー嗜好の血云々に関してはどうやら本物かもしれない。
 俺が奴の軍門に降る日も、近いかも知れない。
 なぜなら俺の秘蔵アイテムはその全てがブルマー関連の物に取って代わっているのだ。
 母さんに知られた時、俺は一体どうなるのだろうか?
 この呪われた血筋を絶やす為にも、俺は親父を道連れに自害すべきなのかもしれない。
「何? それは由々しき問題だぞ。六才よ、お前はブルマーの復権にその生涯を捧げるのだ。政界を目指せ、狙うは文部大臣の席ただ一つ! 日本全国の学校からスパッツを駆逐しろ! トレーニングウェアなんてもってのほかだ! アメリア・ジェンクス・ブルマーの意思を無駄にするなっ! いやっほーブルマー最高!」 
 俺の心配を余所に、親父が叫ぶ。

 いずれ俺も親父と共に、ブルマーを称え叫ぶ日が来るのだろうか?

 その日が来ない事を祈りつつ、俺は今日手に入れたばかりのブルマーの肌触りを楽しんでいた。










   −了−








※あとがき

いもぶるまつり用に書いたお馬鹿SSでした。
当初は中盤のシリアスシーンで締めようと思ってましたが、あんなゲームでこんなSSっつーのも嫌だったんで、結局ギャグにしてみました。
自分にギャグが書けるかどうか不安でしたが、良い感想を頂けてほっと一安心。
それにしてもカノンやONE以外で書いた初のSSがいもぶるってのも嫌な話ですね。




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