塀に囲まれた狭い坂道をだらだらと登っていく。
この塀の向こう側が墓地であることは以前知った。
やや傾きかけた真夏の日差し受けながら、ゆっくりと坂を登っていくと、遠くの方からカナカナの鳴き声が耳に届く。
丁度、坂を七分目辺りまで登ったところで、いつものように目眩を起こした。
私はその場に立ち止まり、両手に抱えた荷物――両手で抱えるには手頃な大きさの箱を風呂敷で包んでいる物――を脇に抱えて、余った手で額の汗を拭う。
一息付いてから、再び目的地へと歩き始めた。
途中、幾度と荷物持ち直し汗を拭うが、その度足を止めるからなかなか目的地にはたどり着かない。
先程から聞こえるカナカナの鳴き声がやたら鬱陶しく感じられる。
やがて坂の頂きに辿り着くと、その脇に古びた古本屋が目に入る。
この古本屋こそ、目的地であり、偏屈な友人の住処である「京極堂」だ。
店の主に商売をする気が無いのか、夕方と呼ぶにはまだ早い時間というのに、店の入り口には「骨休み」の札がかけられている。
私は溜息を付くと、母屋の玄関へと回った。
引き戸を開けて中にはいる。
「京極堂、居るか? 僕だ!」
玄関で声を出すと、奥の方から私を呼ぶ声が返ってきた。
「おーい、関口君か? こっちだ」
声の主は、どうやら座敷にいるようだ。
いつも笑顔で迎えてくれる彼の細君の声も姿も見えない。彼女は留守であろう。
勝手に廊下を進み座敷にたどり着くと、声の主「京極堂」は床の間を背にして寝そべった格好のまま、目だけ笑った顔で私を出迎えた。
仕事をほったらかして寝そべっている友人を見て、私は開口一番皮肉を言う。
「君が何をしてようと勝手だが、細君の為にも、もう少し真面目に働いたらどうだ」
無精なこの男を見てると、このような皮肉の一つも言いたくなる。
「僕のようにとまでは言わないが、せめて榎木津程度には真面目に働いたらどうだい」
私が皮肉を続けていると
「いや……」
京極堂は片手を挙げて、私の言葉を制しながら、ゆっくりと畳の上から起き上がり、脇に置いて在った座布団を引き寄せて、その上に胡座をかいて座った。
「君の真面目ってのは、怪しげなカストリ雑誌に『恐怖のカルト宗教、服毒犯罪』なんて物を書くことだったのかい」
「……あ・あれは」
事実故に反論できない私を見て、京極堂は楽しそうに続ける。
「いや、素晴らしい内容だったよ。教祖・松本が信者に毒を注入したまくわ瓜で、霞ヶ関の役人や警察予備軍の長官をを毒殺するくだりは最高だね」
「ああ! 解った! もういいよ。その話は! 僕だって好きで書いたわけじゃない!」
やはり、この男に口で勝つことは不可能のようだ。
「で、今日は何か用事が在ったんじゃないのかい? それとも、ただ僕の顔を見に来たのかな? こう見えても僕は忙しいんだよ」
「僕が君の顔を見て楽しいと思うかい? それに忙しいだって? ただ寝ているだけじゃないか」
「空漠人間の君には解らないだろうが、物事を考えるのに横になるのは、脳の可動効率にとって非常に有効だ。食事の後なら尚更だよ。消化にもいい」
卓袱台の上を見る。成る程、彼はついさっきまで食事をしていたようだ。
「ああ解った、君の詭弁はもう良いよ。今日はこれを見せようと思って来たんだ」
私は、持ってきた風呂敷包みを卓袱台の上に載せて、結び目をほどき中身を見せ、自慢げに話を始めた。
「これが、最近巷で流行の『遊戯駅舎』だよ」
遊戯駅舎とは、二〜三年前から東京の品川にある「そにい」という家電を主に扱っている会社が発売している玩具だ。
玩具と言っても、子供だけでなく大人にも人気の商品で、売り切れの店が相次ぎ、なかなか手に入らないという。
宣伝も派手で、
「行くぞ一〇〇萬台!」とか
「奉仕満点!」
とかいう謳い文句で派手に行っていた。
今日、仕事で稀譚舎を訪れていた私はその帰りに、神田の街から萬世橋を渡ってふらふらと歩いていところ、偶々その先の雑貨屋で偶然売っている所を見つけ、今日もらった原稿料で衝動買いしてしまったというわけだ。
そしてその足で京極堂に自慢しにきたのだった。
「何を持ってきたと思えば……相変わらず君も俗物だね」
「?」
「いや、世間の流行に置いて行かれないよう心がける君の行為は、感心はすれど賞賛はできないね。それに同じゲーム機を買うならば、瀬賀土星にすべきだったな」
私は、京極堂の言葉に驚いた。
「へー、君がこういった玩具に興味が無いとは思っていたけど、瀬賀土星なんて機種まで知っているとは思わなかったよ。ゲーム機にまで詳しいとは初耳だ」
私はそう言いながら、京極堂の対面に腰を下ろすと、彼はゆっくりと話し始めた。
「いいかい、関口君。ゲームという物は河豚と同じだ」
「河豚?」
「そう、素人が料理しても食べることはできないが、玄人の手にかかれば最高の料理となる。ゲームも同じだよ。例えば『超家庭電脳機』や『任天堂六四』を造った任天堂、この会社は昔から花札やカルタを作ってきた、いわば玩具の老舗だ。そして君の買った『遊戯駅舎』のそにいだが、これは言うまでもなく電気屋だ。全く畑違いもいいところだ。そう、ゲーム機を造っているゲーム屋というのは、正確には『瀬賀』ただ一社だけなんだよ」
「ちょっとまってくれ、任天堂は玩具の老舗だと君が言ったんじゃないか」
「君もわかっているようで、何もわかっちゃいないね。確かにそう言ったさ。しかしだね、玩具とゲーム機は全くの別物なのさ」
「?!」
「関口君、例えば鶏肉と牛肉を比べると確かに、両者共「肉」という共通の枠組みに属する。が、あくまでも鶏肉は鳥類であって、動物じゃない。牛や豚なら同じ動物だがね。つまり、玩具という枠組みで考えればゲーム機も玩具には違いない。が、ゲーム機が独立して一つの枠組みを形成した今は、両者は全くの別物なんだ。この話はもう良い。そこで、唯一のゲームの老舗は瀬賀だとなる」
「確かに『瀬賀土星』も売れているよ。でもこの『遊戯駅舎』はその老舗であるはずの瀬賀の機械よりも売れている。つまり他の会社の機械より優れている、という事だ。でなければここまで人気がでるはずないだろう」
「では君は、何が他社より優れてるというのかい?」
「映像さ! 僕が今日買った『最終幻想七其巻』という作品は、それは素晴らしい出来映えだよ」
「君は映像についてどれだけ知っているのだ? 映像は光の収束体に過ぎない。映像なんて物はねえ、五〇年前にルイ・リュミエールが発明してから何も変わっちゃいないよ。変わったのは人間の脳、つまり意識が変わったのさ。目に見える映像は、角膜をレンズとして光りを収束、信号に変換して神経を通り脳に伝えられる。その際、世間の風潮だとか、流行だとかのフィルターを通って脳で最変換された信号はもはや、本来の信号では無くなってしまうんだ。まやかしと言ってもいい。信じ込んで脳に伝えわったイレギュラーな映像は、その結果として本物以上の映像として映ってしまう。君が素晴らしいと思っている映像は、実際には君が思うほど大したことないというわけさ。君が買った『最終幻想七其巻』などは大衆の人々がそれらのフィルターを通して見てしまった、最高の例だろう。それにな関口、ゲームとは何だ? ただ画面を見ているだけでいいなら、それはキネマでも見れば良いんだ。画面の善し悪しはゲームの出来映えとは一切関係ない。ま、今まで言ったことを理解ししっかりと自意識をもって見れば、その本質が見えてくる。さて、いくら君でも、遊戯駅舎がさして優秀な機械では無
いという事が理解できたと思う、それをふまえて考えてみたまえ、ゲーム機を作るのに最も相応しい創造主はだれか?」
「餅は餅屋と言いたいんだろう」
「そう、住職や坊主に寺を造れと言ったところで、造るのは大工や左官だ。御坊がやれることと言えば、口を挟むことだけだろう。それと同じさ、ゲーム機は電気屋や玩具屋でもつくれるかも知れないが、本当の本物を造っているのは瀬賀だけと言い切っていい
。それにね関口君、そにいと言う会社……彼等が遊戯駅舎で目指すモノはなんだと思うかね」
「そんなの会社の利益を上げるためだろ」
「表向きはそうかも知れない。だが目指すは世界の独占だよ。極端な話、帝国主義を掲げて亜細亜を支配しようとしたこの国の指導者と同じだ。世界中にばらまかれた機械はそれを持つ者の意識に働きかける。洗脳機械といってもいいかな?そう、さっき君がそうだったようにね」
「それじゃ、ペテンじゃないか!」
「はははは、いやペテンというわけではないさ、元々それが目的なんだから。遊びを通しての世界制覇。うん、実に平和的じゃないか。先の大戦が武力による覇権争いだったことに比べりゃ幾分もマシさ。でも純粋にゲームをしたいのなら、遊戯駅舎は止めておいた方がいい。特に君のように流されやすい人間にはね」
「要するに君の話をまとめると、こう言いたいのだろう? 大勢の人々が大絶賛するもの程、危険であり下らない、まして、それが本職でないものが行っている物であるなら尚更だと」
「ははは、よく解っているじゃないか」
「それじゃあ……僕の買った物は……」
遠くから聞こえるカナカナの鳴き声が、頭の中でこだまする。
膝の上に乗せた両手が震え出し、身体中から汗が滲み出て、ようやく乾きかけたシャツを再び濡らして行く。
どのくらい時間が経ったのだろう。
永遠とも思える時間(恐らく数秒も経ってはいまいが)が経ち、京極堂の声ではっと我に返る。
「気にすることはない。真実に目覚めた君なら大丈夫だよ」
「そんなこと言ったって、君にあんな事言われて、僕はこいつで遊ぶ気にならなくなってきたよ。でも折角買ったんだ。遊んでみたいと思う僕もまた、確かに存在するんだ」
「本物のゲームを知れば、君の考えもはっきりするさ」
「……そういう君は、ゲーム機を持っているのかい?」
「ふふふ……なんなら一勝負するかい、関口君?」
京極堂が立ち上がり、背の床の間の小棚を開ける。そこには黒色、つまり初期型の瀬賀土星が置いてあった。
黒い本体に白い五ぼう星がうかんでいる。どうやら特別仕様のようだ。
「それじゃあ『仮想戦士』で勝負だ」
私たちは時間を忘れてゲームに興じた。
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