#8【虚構の祝砲 〜独練習艦シュレスヴィッヒホルシュタイン〜】

by 梅里 咲 様


独海軍練習艦「シュレスヴィッヒ・ホルシュタイン」 (1939年開戦時)
基準排水量:13191t 全長:127.6m 最大幅:22.2m 喫水:8.23m 出力:20000hp 速力:18kt 航続距離:4800浬/12kt
兵装:28cm連装砲×2 10.5cm砲×4 他
乗員:743名 同型艦:シュレージェン


 1939年9月1日払暁、彼女の主砲が『敵』に向けられた・・・彼女に自分の意思があったなら、どんなに呪ったことだろう。

 これから、自分が始める事の意味を理解していたとしたら・・・

 彼女は物言わぬ証人である。
 
 第1次世界大戦と言われた今世紀最初の大量虐殺の・・・そう、彼女はあの大戦を生き抜き、この独裁者の時代まで生き残っている数少ない一人なのだ。

 前ド級戦艦ドイッチュラント級5番艦
シュレスヴィッヒ・ホルシュタイン。戦艦として生まれ、今は引退し、練習艦としてドイツ海軍の若者たちの教育にあたっている老嬢である。
 
 1908年生まれ、あの三笠の6年後輩、ドレッドノートの2年後輩・・・

 生まれたとき、すでに時代遅れの戦艦となってしまった不幸な一人。かのジュットランド沖海戦で沈んだポンメルンの妹。

 自分よりはるかに大きく強く帝政ドイツの威信の象徴だった妹たちは、スカパフローで自沈し、ほとんどお情けとして残された八隻の旧式戦艦(二隻は予備艦籍)。
 その姉妹たちも旧式化のため、廃棄されてゆき、今や二隻しか残っていない、その片割れ・・・

 ほんとうなら、彼女が戦場に立つことなどもはや無いはずであった。その主砲が人を殺すために用いられることも・・・

 しかし、運命のいたずらが彼女を戦場に連れ出した。


 第1次大戦でドイツから奪われた国際自由都市ダンツィヒ(現在のグダニスク)。
 
 ドイツ第3帝国にとって、ダンツィヒを含むポーランド回廊の奪回は悲願であり、威信の復活のために欠かせないものであった。

 オーストリア併合、チェコ併合に外交的に成功したヒトラーは、ポーランド回廊の奪還を決意し、スターリンのソビエト連邦とポーランド分割秘密協定を結び、ポーランドへの侵攻を計画する。

 その最初の目標が、ダンツィヒである。

 当時、ダンツィヒは、国際自由都市となっていたため、ドイツ、ポーランド共に正規軍の配置は禁止されていた。
 ダンツィヒ周辺は、ポーランド領であり、バルト海に面するヴェステルプラッテには、ポーランド軍兵営が存在している。

 SS義勇軍、国家警察部隊などを派遣することにしたドイツではあったが、軽武装のその部隊では、ダンツィヒの攻略前に、周囲のポーランド正規軍に打ち負かされる可能性が高かった。

 そこで、目をつけられたのが、彼女である。
 
 ダンツィヒで8月25日から28日まで行われる予定の第1次大戦中にロシア軍に撃沈されたドイツ巡洋艦マグデブルグ追悼式典。
 そこに練習艦籍の彼女を送りこみ、彼女の艦砲と乗艦している海軍陸戦隊をもって、ダンツィヒを制圧することを計画したのである。

 かくして、彼女の主砲は、再び『敵』に向かい、火を吹くことになる。
 
 ポーランド軍兵営は、彼女の火力の前にあっけなく炎の中で燃え落ちる・・・

 そして、その炎は、ポーランドを、フランスを、イギリスを・・・そして世界中を埋め尽くすこととなったあの悪夢の種火となり、彼女の砲声は、前回を遥かに上回る大量虐殺・・・第二次世界大戦の始まりを知らせる号砲となったのである。

 
 運命に翻弄された老嬢、シュレスヴィッヒ・ホルシュタイン・・・彼女は、1944年12月ゴールデンハーフェンで爆撃を受け、1945年3月ソ連軍に捕獲されないため、妹たちの後を追うように自沈して果てることになる。

 彼女に意思があったなら、そのとき去来した思いは一体どんなものだったのだろう・・・

 

(『ドイッチュラント』『ハノーヴァー』『ポンメルン』の三隻は第2次大戦時、すでに廃艦もしくは戦没)
 
 参考文献
 ドイツ戦艦史 世界の艦船1989★3 No.405 海人社
 艦船名鑑1939〜45 望月 隆一編 KOEI
 戦艦名鑑1891〜49 パイロンズ オフィス編 KOEI
 欧州戦史シリーズ VOL.1 ポーランド電撃戦 Gakken







管理人ヨグより:
梅里さんより「彼女の想い出」初の投稿を頂きました。有り難うございます。
私が無精な為、更新が滞っていた本コーナーですが、これで少しやる気が回復して参りました。
ドイツの軍艦というと、やはりUボードか、ビスマルク級戦艦が真っ先に思い浮かんでしまう様ではまだまだ甘い様ですね。
尚、タイトルが無かったので、当方にて適当に付けさせて頂きました。
(もしも梅里さん自身でタイトルをお考えだった場合は、ご連絡下さい。速やかに変更させて頂きます)

欺瞞に満ちた舞台で踊らされた悲運のプリマドンナ。
彼女の意思とは関係なしに戦端は開かれ、世界は地獄のさながらの状態へと突入してゆく。
梅里さんの仰る通り、もし彼女に意思が有ったのなら、涙を流し、臓物を掻きむしる想いで最初の砲を放った事でしょう。
そしてソ連軍が迫り来る中、自沈を強要された時、世の中の全てに絶望しながら逝ったのではないでしょうか?
最後まで無謀なダンスを強要され続けた彼女。
その生涯はあまりにも滑稽かつ、悲哀に満ちている。


総員隊艦!