#3【女王陛下の不沈艦 〜マレー沖海戦〜】


戦艦「プリンス・オフ・ウェールズ」  (1941年時)
基準排水量:36727t 全長:227.07m 最大幅:31.39m 喫水:8.84m 出力:110000hp 速力;28kt 航続距離:15000浬/10kt
兵装:35.6cm4連装砲×2 同連装砲×1 13.3cm連装両用砲×8 2ポンド8連装ポムポム砲×4 航空機×2
乗員:1422名 同型艦:キング・ジョージX世、デューク・オブ・ヨーク、アンソン、ハウ 



人類が体験した二つの世界大戦は、戦争の常識を根底から覆し、かつての人類が繰り広げてきた戦争のシステムを一変させてしまいました。
戦略レベルから言うと私の知能では語れない内容に逸脱してしまうので、難しい話は止めます。
ここでは「戦術レベル」での変化に絞りたいと思います。

一九四一年――日本は太平洋という未だ誰も体験したことのない広大なフィールドで戦争を始めました。
当時の各国海軍の方針はいわゆる「大艦巨砲主義」――つまり、戦艦による砲撃戦で雌雄を決し、「どれだけ巨体で大きな大砲を積んだ戦艦を如何に多く揃えるか」――それが全てでした。
列強各国は、しのぎを削ってこの建艦競争にはまってゆきます。
ですがこのまま建艦競争を続ける事は、世界情勢的に非常に問題があり、また各国の国家予算をも圧迫してゆきます。
それらに歯止めをかけるためにという事で、二度の軍縮会議が設けられました。
イギリスで「ネルソン級やキングジョージX世級」、アメリカで「ノースカロライナ級」、日本では「長門級」といった、最新鋭戦艦が産声を上げたのを最後に、戦艦の保有数が制限され、更に補助艦艇の量も制限されて行きます。

そんな中、発達してきたのが、軍縮規制に囚われない航空機です。
当初海軍における航空機の用途は、「偵察」「着弾観測」「戦果確認」でした。
使用する機体や搭載艦の性能の制限に加え、搭載した水上機をクレーンで水面へ降ろして発進させるやり方(当然回収する際は、近くに着水した機体をクレーンで釣り上げるので、艦の動きを止めなければならない)では、精々その程度しか活用出来ませんでした。
やがて発射機――カタパルトが開発され、船を止めずとも発艦する事が可能になります。
そうなると、更なる運用性の向上が考えられ、着艦も船を止めずに行う方法が模索されます。
しかし水上機ではそれは不可能であり、そうなると自然と普通の航空機を発着艦させる事になります。
一九一〇年にアメリカの民間人が装甲巡洋艦ペンシルバニアへの着艦を成功させると、航空機を効率よく運用する為の本格的な船が考えられるようになります。
このアイディアに飛びついたのが、英国と日本でした。
英国は巡洋艦フューリアスを改装し、巡洋空母へ改造し運用テストを行いました。
しかし巡洋艦時代の艦橋や煙突がそっくりそのまま艦の中央に残ってしまうという、実に中途半端な改造の結果、とても実用に耐えうる物ではありませんでした。
日本は改造ではなく、最初から航空機を運用する専門の船として、航空母艦――すなわち空母を建造します。
この世界最初の正規空母は「鳳翔」と名付けられ、帝国海軍は彼女を以て各種テストを行い、空母と航空機の有効性を見出して行きます。

やがて航空母艦のシステムが熟成して行き各国が装備を始めると、艦載機による敵艦への攻撃が考案されてゆきます。
しかし海戦の主役は、あくまでも戦艦に代表される「水上打撃部隊」です。
そもそも「戦艦」というものは、国の象徴でもある程ですから極端に頑丈に作られており、そう簡単に沈むものでは有りません。
何より当時の航空機兵装や戦術では大した戦果は期待できず、航空機の攻撃はあくまで補助的な物程度でしか認知されておりませんでした。

ここで保有海上戦力に制限をされた東洋の小さな島国が画期的な方法を考え出します。
「機動部隊」という発想です。
当時あくまでも補助艦艇に過ぎなかった「空母」は、単独で艦隊に配備し、艦隊のサポートをするのが主な任務でした。
日本はこれを集中運用する方法を考えついたのです。
しかも「空母」とは、艦載機を発艦させる為に速力が必要であり、基本的に高速艦としての性質を持っています。
巡洋艦や駆逐艦、そして高速戦艦といった脚の早い艦と共に、複数の空母を一挙に運用する機動部隊は、三〇ノットという高速で移動する事が可能となり、それまでの戦艦中心の艦隊を一気に時代遅れにしてしまいました。

機動部隊――空母が優れている点は速度と艦載機が生み出す、運用の柔軟さにあります。
それはつまり――
・集中運用された空母の艦載機は数百機に達し、陸上の基地航空隊以上の戦力を持つ。
・基地は移動出来ないが、機動部隊は自由かつ高速に移動ができ、常に位置を変えられ好きな場所から航空機を発進させる事が可能。
・数百門の対空火器を備えた基地は恐らく存在しないが、逆に数百門の対空火器を備えていない機動部隊は皆無である。
・航空機による攻撃距離は、戦艦主砲の射程距離を遙かに上回る。
――という事です。

無論、それなりの艦上航空機と搭載武器を開発できるという、技術的ハードルは存在しますが、如何に機動部隊が戦艦中心の艦隊と比べて優れているか判ると思います。

とまぁ、恒例(?)の長い前振りはここまでのして――今日のお題目!
戦艦というものが、過去の遺物となり「時代遅れ」となってしまった事を決定づけてしまった出来事。
「マレー沖海戦」でのエピソードです。

尚、今回は趣向を変えて小説風にしてみました。

稚拙な内容ですが、宜しければお付き合い下さい。









 一九四一年十二月十一日――
 雲一つない鮮やかな天候の中を一機の飛行機が飛んでいる。

 その機体――一式陸攻のコクピットには、昨日同様壱岐大尉の姿があり、彼が向かう目的地もまた昨日と同様だ。
 双発の最新鋭陸上攻撃機「一式陸攻」は、よく整備されたエンジンから軽快な音を立てて海上を飛ぶ。
 周囲に護衛の零戦の姿はない。
 護衛が付けられないわけではない。必要ないのだ。
 一式陸攻の搭乗員達は、この辺りの敵機が昨日までの戦闘で壊滅してしまった事を知っていた。
 戦時とは思えない程に穏やかなフライトは、何処か優雅な雰囲気すらも感じる事ができる。
 もっとも、そう感じる事が出来るのは、彼等の機体が搭載しているある物を知っている者に限定されるだろう。
 普段であれば魚雷や爆弾を積み込む兵装庫だが、今現在、其処には本来の用途からはかけ離れた物が詰め込まれている。
 そして壱岐は、それを昨日訪れた場所へと投下する為に飛んでいる。
 そう――
 大切な仲間と多くの敵の命が潰えた、あの場所へと。



 一九四一年十二月――欧州での闘いが一段落した頃、地球の裏側ではもう一つの戦争が始まった。
 太平洋戦争。
 真珠湾奇襲攻撃で始まったと思われがちなこの戦争だが、実はマレー方面の「南方作戦」の方が早かったりする。
 当時の南太平洋諸国は、そのほとんどがイギリスを代表とした欧米諸国の植民地であり、突如攻めてきた「下等な黄色人種」に思い知らせるため――そしてドイツ軍の攻撃から守るために――イギリスは当時最新だった戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と、旧式だが速力の早い巡洋戦艦「レパルス」をシンガポールに派遣を決定。
 大艦巨砲主義が蔓延する当の時代にあって、二隻の戦艦の出現は日本軍にとって大きな驚異であった。
 当時南方に進出していた日本軍の艦隊は、高速戦艦金剛を旗艦とした艦隊であったが、今回の戦艦二隻回航の知らせが入ると戦力の均衡を図るべく、同型艦の高速戦艦榛名を投入しこれに当たらせた。
 十二月九日――
 ”敵を殲滅する!”という双方で一致した思惑の元に、日英両国の艦隊は行動を開始する。
 イギリス側は、上陸部隊を載せた日本の輸送船団を何とかして発見し、シンガポール侵攻を阻止しなければならず、日本側は輸送船団を無事送り届けるためにも、やっかいな戦艦は何としてでも排除しなければならなかった。
 互いの敵艦隊の位置を探りながら、双方の艦隊は南太平洋を進んで行く。

 英国艦隊の司令官フィリップス提督はこの戦艦があれば、シンガポールを守る事は可能だと信じていた。
 彼の日本軍に対する評価は――海上戦力については、かつて同盟国であった日本はそれなりの力を持っているであろうが、航空機については心配するに値しない戦力――というものだった。
 つまり、東洋のちっぽけな島国の有色人種が作った飛行機など眼中にない――その程度の認識だった。
 無論、既に宿敵ドイツと泥沼の戦争状態に突入している英国軍は、航空機の有効性を他のどの連合国よりも――それこそ骨身にしみて――信じている。
 実を言えば、彼の艦隊に空母が存在しないのは、今の英国にとっては太平洋に空母を回す”ゆとり”がないだけだった。
 だが、今回の相手は技術大国ドイツではない。つい百年前まで蒸気機関すら知らなかった蛮族の子孫、日本人なのだ。
 だからこそ「航空支援がない」という危機的状況にも関わらず、フィリップス提督が、さほどその危険性を感じていなかったのだ。

 同日十七時――日本軍司令部に警戒に当たっていた潜水艦より「敵艦隊発見」の報が届く。
 この報を受けて、即座に南方方面を担当していた美幌航空隊に対して出撃命令が発せられた。
「よしっ!」
 攻撃隊の指揮官であった壱岐大尉はこの瞬間を待っていた。
 海軍に入るも航空畑を突き進んだ彼は、日頃から「航空機が如何に有効な戦力か」を実証したかったのだ。
 海軍の華は軍艦であり、何よりも「戦艦」なのだ。
 航空機とはあくまで補助的な存在にすぎない。
 真珠湾への奇襲作戦がほぼ完全成功した後でさえも、この風潮に変化はなかったのだ。
 ――あの作戦は停泊している戦艦に対する攻撃だから。
 動かない標的に爆弾を当てることは、当時の日本パイロットからしてみれば「出来て当たり前」のようなものだ。
 実際に航空機が強力な戦力として通用するとは、ある一国の軍人を除いて世界中の人間が信じていなかった。
 尚、その例外こそが他ならぬ米国である。

 夜間、しかも悪天候という悪条件の中、味方の船団を守る為、ひいては航空機の力の実証の為、魚雷を抱いた一式陸攻が編隊を組んで基地を飛び立ち南下した。
 期待と焦燥、そして戦場へ向かう独特の高揚感を覚えながら編隊は進む。
 しかし敵艦隊発見の報があったポイントに向かうも、彼等は其処に何も発見する事はできなかった。
 だが彼等は子供の使いでは無い。
 上の思惑はともかく、現場の兵士にとってこの度の戦争は、欧米諸国から日本とアジアを守り開放を果たす為の物だと信じられていた。
 その為にも、大事な緒戦を勝利で飾る必要があった。
 日本の――アジアの底力を欧米諸国に見せつけてやりたかった。
 そして航空機の有効性を証明したかった。
 そんな想いを無駄にしない為にも、機上の彼等はすぐに帰投する事なく、現場に留まり辺りの偵察を行った。
 暫くの間、月明かりを頼りに雲の隙間からまっ黒な海面を凝視していたが、やがて攻撃隊の一隊が北上する数隻の艦影を発見した。
「航行中の艦を発見せり」
 英国艦隊はシンガポールから日本の船団を攻撃しに北へと向かって進撃しているはずで、反して日本軍は侵攻の為に南に向かっている。
 となれば北上しているこの艦影は敵艦隊に他ならない――そう結論した攻撃隊は、仲間に合図を送り一斉に攻撃態勢を取った。

 しかしその艦影は味方の重巡「鳥海」だった。
 実はこの日、索敵に出た日英両艦隊は、互いに敵艦隊を捉える事が出来ず、一時的にそれぞれの軍港へと引き返していたのだ。
 つまりシンガポールへ向かって南下しているのが英国艦隊であり、北上しているのは日本艦隊だった。
「味方の護衛か?」
 鳥海の乗組員は、聞こえてきた飛行機の音に空を見上げると、友軍の一式陸攻の編隊を確認して呟いた。
 しかしその直後、突然その編隊から吊光弾が投下された。
「馬鹿なっ!」
 友軍の行動に鳥海では大騒ぎとなる。
 吊光弾を艦の反対側へ落とすという行為は、明らかな夜間攻撃を行う為の準備である。
「ワレ鳥海! 繰リ返ス ワレ鳥海ナリ……」
 急いで信号を送るが、夜間と霧のために攻撃編隊へうまく伝わらず、編隊は攻撃体制を着々と整えて行く。
「敵に見つかる危険もあるが仕方がない……探照灯用意!」
 夜間においては、煙草の炎ですら目立つ。探照灯を用いれば潜水艦を始めとする敵偵察部隊に発見される可能性は急激に高くなる。
 だがそれでも同士討ちよりはマシだった。
 急いで探照灯によるモールスが行われるが、それでも敵だと信じ込んでいた攻撃隊は攻撃形態を解くことは無かった。
「まずいっ! 奴等やる気だ。美幌の司令部を呼び出せっ!」
 鳥海内部はパニックに陥る。
 彼等とて壱岐同様、日本を救いたいと思ってこの度の戦争に望んでいるのだ。
 敵との決戦で死ぬ事は想像できても、、まさか緒戦で味方の攻撃で死ぬ事など考えてもいなかった。
 乗員達が迎撃すべきかどうか判断に迷う合間に、編隊はついに攻撃コースへと入る。
「行くぞ!」
 雷撃ポイントへ機体を移動させ射点を確保した壱岐の一式陸攻が突入を開始した時、調子が良いとは言えない無電が鳴り響く。
『攻撃待てっ! 目標は友軍艦。繰り返す攻撃中止!』
「っ!?」
 連絡はギリギリ間に合い、何とか同士討ちの危機は去った。
 肝を冷やした鳥海の乗員達の頭上を、一式陸攻の編隊が通過して行く。
 壱岐の耳に、彼等からの罵詈雑言の叫びが聞こえた様な気がした。

 味方を攻撃――という最悪の危機は免れたものの、壱岐の心境は落ち込んでいた。
 この度の失敗の結果、周囲では航空機の実用性が非常に乏しいという見解を広まってしまったからだ。
 それは航空機の有効性・実用性を証明したかった彼を落ち込ませるには十分だった。
 やがて夜は明けてしまい、英国艦隊を発見することは出来ずに攻撃隊は引き返した。

 実を言えば壱岐が鳥海へ攻撃を仕掛けた頃、日英の両艦隊は互いにかなりの距離まで接近していたのだが、今だレーダーの装備が進んでいないこの時点では、悪天候の所為でお互いに気が付く事が無かった。
 日英艦隊はそれぞれが元の基地へと引き返し、その距離をどんどん離していき、彼等が出会う事は無くなった。


 翌十二月十日の明け方――
 索的警戒中の日本軍潜水艦から「イギリス艦隊発見」の急電が再び美幌航空隊司令部へと届く。
「今度こそ!」
 周囲の冷ややかな視線も気にせず、壱岐大尉は意気込みも新たに出撃した。
 美幌、元山、鹿野各航空隊より合計八五機の陸攻が飛び立ったのだが、今回も敵の正確な居場所は解っていなかった。
 報告が有っても、現地に着く頃には敵艦隊も移動しており、それを大海原で見つけるのは、それだけで一苦労なのだ。
「大尉……見つかりませんね」
「……」
 副操縦士の言葉に、壱岐は味方潜水艦からの報告を思い出す。
「敵は南下していたと言う……つまり我が艦隊を探しているんじゃない。奴等は基地へ……シンガポールへ戻っているんだ。奴等の速度、それから発見地点からの距離を計算して……」
 憶測に過ぎないとも思った。
 だが、彼にミスはもう許されなかった。
 心を決めると、計算で算出した地点へと飛行隊を誘導して飛ぶ。
 現場海域の上空は雲量も多く、所々でスコールも発生しており、視界は好ましくなかった。
 行けども行けども雲と海が続き、壱岐大尉を始めとする乗員達の焦りが積もる。
 第一報以降、潜水艦からも、他の場所を飛んでいるであろう索敵機からも、その後の敵艦隊動向に関する連絡は入らず、ただ時だけが虚しく過ぎて行った。
 乗員達の疲労と空腹がピークに達する頃、機体もまたある問題に直面する。
「大尉……もうすぐ帰投限界点です」
 副操縦士の言葉に、壱岐は唇を噛み締めた。
 限界点――つまり燃料の残量が帰投分になれば、基地へ引き返さなければならない。
 結局、俺に航空機の有効性を証明する事は叶わないのか――壱岐が絶望を感じたその時!
『駆逐艦らしき艦影を発見! 一隻です』
 味方の機体からの連絡が入った。
 この艦は昨夜、補給の為単艦での帰投を命ぜられた英駆逐艦テネドスだった。
「やりましたね大尉! ついに捕まえましたよ」
 思わず副操縦士も喜びを露わにしたが、壱岐の表情は重苦しいままだった。
「駆逐艦だと?」
 彼は考えた。
 通常、外洋を駆逐艦が一隻で航行する事は有り得ない。ならば――
「その先に本隊が居るはずだ。雷撃隊は奴を無視して進む」
 壱岐は決断した。
 駆逐艦一隻を沈めたところで、敵に対するダメージはたかが知れている。
 なにより彼が抱いている航空機の有効性は、戦艦を――航行中の戦艦を沈めてこそ証明されるのだ。
 壱岐の号令により、僅かな爆撃機を残し主力は突き進む。
 自分の予想を信じてはいたが、減って行く燃料計の針を見て、壱岐の心に昨日以上の焦りが押し寄せる。
 そして――
『敵戦艦発見!』
 遂に待ち望んだ報が壱岐の元へ届いた。
 その瞬間、彼等の疲労感と空腹感は消え去り、皆が無我の境地となって敵艦隊へ向けて機体を進ませた。
 今まで血ヘドをはくような猛訓練に耐え、航空機の優位性を証明する為に努力して来たのはこの瞬間の為だった。

 同日十三時――
 ついに壱岐大尉らの攻撃隊は敵艦隊を捕らえた。
「おい! ありゃ金剛じゃないのか?!」
 敵艦隊を自分の視界に捉えた時、壱岐は思わず声を上げた。
「私にも我が「金剛」に見えます!」
 伝声管を通じてコクピット下にある銃座の観測員からの声が返ってきた。
 壱岐の心は再び焦る。
 何しろ昨日の今日で同じ失敗は避けなければならなかった。
 だが雷撃に備え高度を落とし、四五〇メートルまで降下した時になって彼は確信した。
「……違う。あれはレパルスだ」
 その艦が金剛で無いと断定すると、壱岐は全機の突撃の合図を送った。
 彼等が視界に収めたレパルスを金剛と判断したのは仕方がなかった。
 元々、金剛級高速戦艦は、日本が最初に保有した超ド級戦艦であり、そのネームシップたる金剛は英国ヴィッカース社へ受注して作った艦である。
 (その後、この金剛を参考に、姉妹艦の比叡・榛名・霧島を自国生産した)
 いわばレパルスの従姉妹になる。似ていて当然だった。
「美しい……」
 どんどん近かづいてくる艦影をじっと見つめて、壱岐は自然と呟いた。
 大海原を白いウェーキを引いて突き進む優美な艦影は、敵だという事を一瞬忘れるほど美しかった。
 だが、彼女は敵なのだ。
 実際、親・兄弟で戦争をしている奴等だっているんだ――壱岐は頭を振って、余計な事を頭から追いやり、気持ちを切り替えて機体を突撃させた。

「敵機来ます!」
「対空射撃急げ!」
 慌ただしく報告と命令が飛び交うプリンスオブウェールズの艦橋の中で、フィリップス提督は先日から抱いていた自らの認識が間違っている事にすぐ気が付いた。
 日本の飛行機は想像以上に早く飛び、そして何よりその飛行技術に驚かされた。
 彼等は大型の陸攻機だというのに、ほとんど水面すれすれを飛んで襲いかかってきた。
 その高度は、驚くべき事に艦に取り付けられた対空火器の位置よりも低く、それは絶対に当てることが出来ない事を意味している。
「ジャップめ! 見事な攻撃じゃないか!」
「見たこともない戦法だ!」
 艦橋内で口々に驚愕の声が発せられる中、僚艦であるレパルスが日本の航空機編隊による攻撃に晒された。
 上空からの爆撃と、側面からの雷撃による立体的な雷爆同時攻撃を受けたレパルスは、その快速を持ってしても全てを避けきる事が叶わず瞬く間に被弾した。
 その様子に驚愕したフィリップス提督は、急いで緊急電を打ちフィリピンの基地航空隊へ航空援護を要請した。
 だが、それが間に合わない事を予想してしまう程、日本の攻撃は見事だった。
 無論、攻撃側の日本軍側とて被害が皆無であるはずもない。
 激しい対空戦闘において、レパルスに向かって突撃して行く自分の部隊の味方機も火を噴いて海に堕ちて行く。
 一式陸攻は、航続距離を稼ぐ変わりに防御を無視したその脆弱性が、この後戦争終結まで祟られる事になる。
「桃井ぃ! 田上ぃ!」
 壱岐は水面に大きな水柱を立てて落ちた味方機に向かって叫びながらも突撃を続ける。
 プロペラが水面を叩く様な超低空で機体をコントロールし、彼の機体はついに絶好の射点を確保した。
「テーっ!」
 壱岐の掛け声と共に、機体中央部に内蔵されている兵装庫から魚雷が放れる。
 重量を一気に失った彼の機体は高度を上げつつ、そのままレパルスをフライパスして行く。
 激しい敵の対空火器が機体を貫くが、エンジンや燃料タンクへの被弾は運良く避けられ、彼の機体はそのまま離脱に成功する。
 そして、その直後大きな水柱がレパルスに発生した。
「命中!」
 伝声管を通し後部観測員からの絶叫が伝わる。
 その後、壱岐に続いた僚機の攻撃を立て続けに受けたレパルスは、幾つもの大きな水柱によってその姿が見えなくなった。
 さらに爆撃による直撃をも受け、その姿を隠しつつあるレパルスの姿を目撃した、プリンス・オブ・ウェールズのリーチ艦長と艦隊司令のフィリップス提督は呆然となった。
 確かに彼等の攻撃は見事であり、自分達が敗走する事も予想はしていた。
 だが彼等とて沈められるとは思ってもいなかった。

 戦艦が――洋上を全力航行中の戦艦が航空機によって沈められる。
 こんな事は考えられなかった。

 そしてその事実は、それを成し得た壱岐をしても同感だった。
 戦果を確認するために上昇させた機体をレパルスに向けた時、彼女はあり得ない姿を晒していた。
 壱岐は飛行機のコクピットにいながら、彼女の真正面を見ていたのだ。
 つまり、真上から降下している彼の目の前で、レパルスは直立しているのだった。
(……沈むなっ!)
 壱岐は思わず頭の中で叫んでいた。
 自分がした行為によってその姿を海中へと消して行く彼女の姿に、壱岐は形容のし難い感情を抱き、思わず魅入ってしまった。
 やがて彼の眼前で、大きな波紋を残しレパルスの姿は消えて無くなった。

 その後直ぐに、プリンス・オブ・ウェールズにも命中弾が発生し機関を損傷してしまう。
 魚雷を受けて航行不能になっていた彼女に、壱岐ら第一次攻撃隊が発した無電を聞きつけた、一式陸攻九機による最後の攻撃隊が到着した。
 近づいてくる敵機を認めた、フィリップス提督とリーチ艦長は、己の運命がどうなるかを悟った。
 全力航行中の二隻の戦艦へ命中弾を与える敵にとって、今の身動きのとれぬ自分達を葬るのは容易い事である。
 やがて総員退艦命令が下り、乗組員が我先にとへ飛び込んで行く中で、参謀の一人がフィリップス提督に向かって詰め寄った。
「退艦して下さい!」
 これに対して、フィリップス提督はただ一言――
「ノー・サンキュー」
 ――と言い断った。
 傾き始めたプリンス・オブ・ウェールズの艦橋から、退艦してゆく将兵に向かって提督は最後に退艦した者へ向けてこう言った。
「グッド・バイ」
 リーチ艦長は――
「ありがとう幸運を祈る。神の祝福を……」
 ――と言い残し、艦と共に海に消えた。
 彼らは英国海軍の伝統を最後まで守ったのだ。

 六機のバッファロー戦闘機が戦場に飛来した時、すでに日本機の姿はなく、生き残った駆逐艦が海面上の遭難者を救出しているだけだった。

 この戦いにおいて、女王陛下の浮沈艦と謳われた最新鋭戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」は七発の魚雷と一発の爆弾を。
 巡洋戦艦レパルスに至っては、魚雷十三発、爆弾二発が命中とされている。(いずれも日本側資料)


 大戦果を挙げ帰投する機内で、壱岐は自分が長年言い続けていた事が正しかった事を実感していた。
 思わず操縦桿から手を離して「万歳」を叫んでしまい、機体がぐらついたりもした。
 しかし直後、不思議な悲しみが押し寄せ、急に視界が歪み自分が泣いている事に気が付いた。
 先の戦闘に入る直前、レパルスを見たとき感じた、あの言いようのない奇妙な衝動――。
(我々帝国海軍は英国海軍を参考に設立されている)
(そう……かつて同盟軍だった英国海軍は、我らにとって兄貴分ではないか? とすれば我々は兄弟で戦争をやった事になる)
 そう思って、壱岐ははっとする。
 金剛とレパルスがそうであったように――彼等もまた同じ関係だったのだ。
 だが、それでも現実は変わらない。
 戦争は始まってしまい、あの美しい艦は自分の魚雷を受けて海中に没し、自分の部下も大勢失った。
 無電で戦果の報告をする際、壱岐は自分の機が当てた雷撃を、部下だった桃井と田上の武勲として報告した。
 それが彼らに対して出来る全てだった。
 壱岐は涙を流しながらかつて同盟軍だった偉大なる英国海軍の為、そして散っていった部下の為に祈った。

 この報告を聞いた内地の軍令部は、作戦の成功を喜ぶよりも、この成功の意味する事を知って困惑していた。
 戦艦が大海原で、”たかが航空機”によって沈められた――それは彼らにとって信じられない事であり、彼らの築いてきた闘いの終演を意味していたからだ。

 基地に戻ると基地中の人間が押し寄せ、壱岐は機体から引きずり出されるや無茶苦茶に胴上げされた。
 やっとの事で胴上げから逃げ出した壱岐は、同乗の部下達と並んで歩いている時、不意に切り出した。
「突っ込んで行った時……魚雷を撃ちたく無かったなぁ」
 突然の言葉に、皆が驚いた様な顔を浮かべる。
「……だってあまりにも美しい艦だったからさ」
 そう言って何処か遠くを見つめる壱岐の表情を見た部下達は、口を噤み彼等の隊長と同じ方向を見つめて佇んだ。






「到着しました」
 観測員の声で、壱岐は目的地に辿りついた事を知る。
 彼等が辿り着いた場所。
 そこは悲しき戦場の跡地――
「投下ヨーイ!」
 まだ朝日と呼べる陽光を受けながら、一式陸攻はプリンス・オブ・ウェールズが沈む海上を飛ぶ。
「投下!」
 壱岐の号令で、兵装庫のハッチが開かれる。
 中から舞い降りるは無数の花束。
 基地の裏から仲間と共に集められた色とりどりの花々が海面へと舞い降りてゆく。
「我らが帝国と、偉大なる英国海軍に敬礼っ!」
 乗員達は見事な敬礼を行い、この地で失われた全ての命に哀悼の意を捧げ、機体は彼女の墓標をフライパスしていった。














というわけで、
脚色はしてありますが、おおむね史実のままです。
このマレー沖海戦は「大艦巨砲主義」が終わったことを意味する闘いであり、日本は信じて疑わなかった大艦巨砲主義を、自らうち破ってしまいました。
直後の十二月十六日に「大和」が就役したのは皮肉以外の何者でもないですね。

しかし、それでも「戦艦」とは打たれ強い存在です。
練度の高い乗員さえ乗っていれば、そう簡単に沈むものではありません。
実は純粋に航空機の攻撃”だけ”で沈んだ――作戦行動中の――戦艦は、世界に五隻しか存在しなかったりします。
日本の「大和」「武蔵」、イタリアの「ローマ」、そして今回のお話しに登場したイギリスの「レパルス」「プリンス・オブ・ウェールズ」です。
意外に思ったのではないでしょうか?


総員退艦!